第20話 真の願い ⑵

それは、グンターの助力に縋り、アスタ商業連盟西部の屋敷へ移り住んだ頃のことだ。


家長の執務室という名を付けた一室で、荷物の片付けを手伝っていたヘッセンは、本棚に本を並べているヘスティアをチラリと見て言った。

「ヘスは、次期家長をどうするつもりなんだ?」

「なぁに、突然。……もしかして、次期家長には自分が、とか思ってるの?」

手を止めて、ヘスティアが大きく目を見開いて振り返った。


「そんなわけないだろ」

ヘッセンが大きく顔をしかめると、床に座って本をパラパラとめくっていた薄墨色の子猿リリーが、真似をしてイイーッと顔をしかめた。

リリーを見て笑ったヘスティアは、その笑みのままで言う。

「どうせ母上様に頼まれたのでしょ?」

「……まあ、そうだけど。私も心配しているよ。次期家長の心配というよりは、ヘスの婚期を」


ヘスティアは既に十八を過ぎた。

貴族令嬢であれば、成人の頃には婚約者を定めるのが一般的だが、ヘスティアは母親がそういった話題を持ち出すたびに拒絶していた。

「結婚なんて、しないもの」

「それは、ベルキースの為?」

「いやだわ、どうしてそうなるの?」

「だって……」


別にヘスティアが結婚しようがしまいが、ヘッセンは構わないと思っていたが、その理由がベルキースの存在だとするならば、そう表明すれば良いのにと思っていた。

魔獣が相手というのは、他の人には受け入れ難いかもしれないが、ずっとふたりを側で見てきたヘッセンには、それ程違和感はない。

この頃にはむしろ、自然かもしれないとも思い始めていた。

もちろんそれは、ヘスティアにその気があればという話だが、彼女は意固地な程に否定しているから、黙って見守っている。

近い距離だからこそ、踏み込めないこともある。



言葉に詰まるヘッセンを見て、ヘスティアは苦笑して本を置いた。

「続きは明日にしましょう。もう、寝かせてあげなきゃ」

指差した床には、リリーが転がり、いつの間にか指を吸い始めている。

「ああ、リリーごめん。おいで」

ヘッセンが抱き上げると、リリーはそのまま安心したように目を閉じて胸に収まった。


ヘスティアは窓に近付いて空を見上げた。

今夜も月は静かに光を降らせている。


「ねえ、ヘセ。もしこのまま……、次期家長を定めないまま私が死んだら、ベルキースはどうなるのかな……」

部屋を出ようとしていたヘッセンは、驚いて振り返った。

ヘスティアは窓の外を眺めたままだった。


「縁起でもないことを言うなよ」

「もしもの話よ。もし、そうなったら、どうなるの?」

窓の外を見るヘスティアの横顔がいつになく真剣で、ヘッセンは一度唇を引き絞った。


「主がいなくなるんだ、従属契約は消滅するだろう」

「そうよね。じゃあ、その後は?」

「後?」

ヘスティアはゆっくりと頷いたが、視線は外に向けたままだった。

「この世界に来てから、ずっと家門に従属して来た彼は、契約がなくなった後、どう生きるの……」


ヘッセンは答えるべき言葉を失くして、口を閉じる。

縛りをなくし、ただの魔獣となるなら、ベルキースは自由だ。

しかし、この世界において自由な魔獣は、常に駆除の対象、又は、従属させる為の獲物として認識されている。

竜型であるベルキースは、本来の姿を見せれば間違いなく後者として追われる生活となるだろう。


ヘスティアの側で安定して見えるベルキースの生活は、どうやっても大きく変化せざるを得ない。



ヘッセンがどんな言葉を掛ければ良いのか迷っている内に、ヘスティアは細く息を吐いて、窓ガラスに手の平を添えた。

「私は、どうするべきなのかな……」


呟いた彼女の視線の先には、上の階のバルコニーから月を眺めるベルキースの姿があった―――。






問い掛けをした郷長さとおさのバチェクは、ヘッセンが答えるのを、静かに待った。

大蛇ディメタもまた、縦割れの瞳孔がヘッセンを捉えたままだった。



ヘッセンはテーブルの上の手紙に視線を落とした。


ヘスティアは、自分の代で契約を終えたかったが、その後に残されるベルキースのことを案じたのだ。

だから、魔界へ帰すことを考えた。

この世界にただ一匹ひとりで残されるよりも、生きやすいと考えたから。


けれども、その手段はなかった。

ヘッセンが虹霓石を掘り出すまでは―――。


奥歯を強く噛み締め、ヘッセンは拳を握る。

虹霓石を採掘してしまったことで、運命は狂った。

もしも、あの日掘り出さなければ、ヘスティアは……。

そしてベルキースは……。


「ヘッセン、大丈夫か?」

気遣うような声と共に、大きな手が肩に置かれた。

顔を上げればテオドルと、大蛇と距離が近付いて怯えきったムルナが、それでも身を震わせながらこちらを見ていた……。




ヘッセンはテオドルに頷いてから、深く息を吐く。


後悔は、今まで腐る程してきた。

しかし、ただ悔やんでいても、未来は決して良い方へは転がらない。

生きているのなら、ひたすらに、最善を思い描いて藻掻くしかないのだ。


それは、従魔達とテオドルが教えてくれたこと―――。




「バチェク殿、ベルキースは必ず魔閉扉に姿を現します。しかし、私は扉を開かせません」


強く言い切ったヘッセンを見ても、バチェクは動かず問いを重ねる。

「それが姉君の残した願いであってもですかな?」

「そうです。……いえ、おそらくは、姉がもう少し生きることが出来ていたなら、その願いは違うものになったはずです」


リリー達過去の従魔が、身を以て教えてくれた。

ムルナも、ラッツィーやトリアンも。


おそらくヘスティアも、ベルキースと想いを伝え合うことが出来たなら、気付いたはずだ。


人間でも魔獣でも関係ない。

誰かを愛したなら、ずっとその側にいたいと願う。

例え困難な道であっても、その者から離れて安穏な生命を望みはしない。

側に在ることが幸せなのだ、と。


「姉が望んだのは、ベルキースの幸せのはず。悲しみを抱えたまま魔界へ帰すことではありません」

「この世界に残して、幸せになれるとお思いですか」

さらなるバチェクの問いは、決して簡単に頷けるものではない。

しかし、ヘッセンは目を逸らすことも、誤魔化すこともしなかった。

「分かりません。それでも、ベルキースは私の家族であり、友であり、相棒です。私は側にいて、その悲しみから決して目を逸らさない」


共に生きた八年は、そうして強く繋がってきた。

ベルキースにも、確かにその想いが根付いていると、今は信じられる。




バチェクが僅かに笑んで、肘掛けの上に置かれた大蛇ディメタの顔を見下ろした。

「これが彼の答えだよ、ディメタ」

ディメタの縦割れの瞳孔が、一度スウと細められた。


ゾロリと身体を滑らせて、胴より上をテーブルに乗せたディメタが、ヘッセンに向けてチロリと舌を出す。


「及第点としてやろう」


ディメタの口から、低くざらついた声が発せられた。






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