第15話 ひとり
ハガンの街を出たベルキースは、街道を外れるまでは
背負い袋に収めた
身を隠せるような森や山道の辺りまで辿り着くと、犬型に変態して身を沈める。
どんな場所でも、魔獣を狙う人間に出くわすこともあれば、魔力を取り込むことを目的に、自分より弱い魔獣を狩ろうとする猛獣型の魔獣が襲ってくる可能性もある。
慎重に気配を探り、出来るだけ人の入らない場所を選びながら、ベルキースは北へ駆けた。
深夜、ベルキースは
ヘッセンが一緒にいた時は、日が暮れる前に野営地を決め、翌朝までは動かなかった。
人間は夜目が効かないし、休まなければすぐに不調の出る弱い生き物だから。
しかし、一匹の今は、深夜でも動くことが出来る。
魔獣にも休息は必要だが、人間ほどは要らない。
そもそも、気が急いていた。
自分でも良く分からない。
だが、急ぎたい。
早く、終わらせたい。
ベルキースは、足を止めた。
そして、鬱蒼とした木々の合間から、空を見上げた。
生い茂る葉の間には、冴える月光が輝く。
―――そう、もう終わらせたい。
ずっと、ヘスティアの最後の願いを叶えることだけを考えてきた。
そうすることで、ヘスティアを失くした後も、なんとか自分を保ってきた。
いや、一人では保てなかっただろう。
大切な者を失い、共に喪失に耐えるヘッセンがいたから、保つことが出来たのだ。
何があっても二人で約束を果たすという誓いは、互いに支えになっていたはずだ。
しかし、そこまでしか、考えたことがなかった。
テオドルがムルナと共にアルドバンに留まることを告げたあの日、ベルキースはゆっくりと話の内容を頭に浸透させながら、漠然とした“未来”というものを初めて意識した。
最後の虹霓石を手に入れた後、
その、ヘスティアの願いを叶えた、後。
それは、ベルキースには一度も想像したことのないことだった。
願いを叶えれば、終わりだと思っていたからだ。
別に生命を絶とうなどと具体的に考えていたわけではない。
だが、そこが終着地であるような気がしていた。
その時、ヘッセンの声が聞こえたのだ。
『ムルナと別れるのが寂しいか? アルドバンに行けば、また会える』
ムルナと別れることを寂しがったラッツィーに向けた言葉。
それは、確かにヘッセンが先を意識して発したもの。
ヘッセンは、ヘスティアの願いを叶えた後のことを描き始めている。
テオドルやラッツィー達と出会い、この先も生きて行く未来を受け入れているのだ。
ベルキースの目の前が揺らいだ。
ヘスティアのいない生は、願いを叶えた後も続くのだという事実が、今更ながらに迫ってきた。
それは終わりのない闇のようにも思えた。
そして、その闇の中を、ヘッセンはもう共に行けない。
彼は既に、新たな光を手に入れているのだから……。
気付けば、ベルキースは町を抜け出て、
何もかもを、ひとりで終わらせなければならない気がしていた。
魔閉扉を閉じることは、おそらく簡単なことではない。
扉を動かせたとして、完全に閉められるのかどうかの保証もない。
創り上げられた時の様に、多くの魔術士がいるわけでもなければ、その仕組みを理解する設計者達が側で見守るわけでもないのだから。
それならば、未来を望んでいない自分ひとりで終わらせるべきなのだ。
かすかに笑い声が聞こえ、ベルキースは我に返った。
こんな山奥にも、人がいるのだろうか。
気配を殺して風上に回る。
斜面の下に、焚き火を囲む旅人の姿が数人見えた。
低ランクの魔獣を連れた魔獣使いに、剣を携えた傭兵。
道具の手入れをする者が数名。
魔石採掘士の一行だとすぐに分かった。
人が好んで分け入らない場所に魔石発見の可能性を求め、探索に来ているのだろう。
温かな炎の色。
手にした湯気のたつカップ。
漏れ聞こえる談笑と、気を許す従魔の気配。
その光景にベルキースは見入った。
一行を包む空気は、つい数日前まで自分も感じていたもの。
それを心地良いと思ったことなどなかったはずなのに、なぜこうも目を離すことが出来ないのか……。
ベルキース、戻って来い。
不意にヘッセンの呼びかけが聞こえた気がして、足に力を込める。
離れてから、幾度となく伝わってくる想いだ。
隷属契約による結び付きは強い。
強い想いは、意識して遮断していなければ互いの胸に流れ込む。
強く奥歯を噛み、ベルキースはその想いを断つように首を振って、身体を反転させる。
温かな光景が一瞬で消え去り、目の前は月の光が僅かに散るだけの夜に戻った。
〔これでいい〕と、ベルキースは独りごつ。
ヘッセンは、人間だ。
元々双子と交わる前は、自分と人間の距離感など、この光と闇と同じ様なものだった。
虹霓石の採掘効率を上げるために隷属契約は交わしたが、ヘッセンからなんの制約も与えられてはいない。
ただ、生命が紐付けされているだけ。
私は、ひとりでいい。
ベルキースは重い足を引き摺るようにして歩き始めた。
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