第14話 指輪
全てを失った、あの日。
自分達以外、世界中の時が止まったような夜だった。
瀕死のヘスティアを抱え、竜型のベルキースの背に跨ったヘッセンは、振り落とされないよう、片手で力一杯毛を握りしめて縋り付いていた。
ベルキースが必死に駆ける振動と、ザクザクと頭に響き続ける自分の鼓動。
思考は乱れに乱れ、何をどう考えれば良いのか少しも分からない。
ただ、右腕に抱えた
ヘッセンはただ「待ってくれ、……ヘス、待って」と何度も呟き、全てに堪えていた。
生まれ落ちる前から共にいた生命。
それぞれに別の人生があると分かっていても、どこか繋がっていて、生きている限り決して一人ではないという絶対の安心感があった。
それが今、砂のように溢れ落ちていく。
どれだけ力を込めても、受け止められない。
すり抜けていく生命。
唐突に迫りくる喪失と孤独が、震えを呼ぶ。
共鳴するようにヘスティアの身体も震えた。
「……ベルキース……」
弱々しく呼ぶ声が聞こえて、ヘッセンは急いでベルキースに止まるよう指示した。
月だけが変わらず美しく夜を照らし、何もかもが静まった土道の脇に、二人と一匹は蹲った。
「……月が……きれいね……ベルキース」
血と煤で汚れた顔で、ヘスティアは穏やかに笑んだ。
そして、両手を伸ばす。
左手をヘッセンが握り、右手を握る為に
「ヘスティア、もうすぐ神殿に着く。だからもう少しだけ……」
「ヘセ、……ベルキースを、頼むわね……」
ヘッセンとベルキースは息を呑む。
「ヘスティア! 私は」
「ヘセと、……虹霓石を集めて」
ベルキースの言葉に被せて、ヘスティアは言った。
もしかしたら、既に声は耳に届いていなかったのかもしれない。
「最後、の……お願い……きっとよ。そして……とびら、を……動かし、たら……」
ヒクリ、と彼女の身体が震えた。
「ヘスティア!」
ヘスティアの目には、最後まで月が映っていた。
確かに映っていたのに、光だけは、不思議と失われていった。
「……ずっと、一緒に月を見てくれると言ったろう……ヘスティア」
長い長い生の中で、初めて得た光。
光無くして、この先などあろうはずがない。
それなのに、なぜそんな願いを残すのか。
土道に爪を立て、ベルキースは動かないヘスティアを片腕に抱く。
……お前が最後の主人だ、ヘスティア。
願いを叶える。
必ず、約束する。
ベルキースは月夜に吠えた。
……ふわり。
温かなものが額を撫で、ヘッセンは目を開ける。
息を詰めていたのか、急に大きく息を吸ってしまい、咳き込んだ。
身体を折って呼吸を整えながら、側にラッツィーとトリアンがいることを確認する。
今は深夜。
ここは、アルドバンへ向かう街道脇に張ったテントの中だ。
ベルキースは虹霓石を求めて南部へ戻った可能性が高く、この後どう動くか三人で話し合った。
移動スピードはベルキースの方が格段に上。
探しに行っても行き違うかもしれず、そもそもどういう理由かは置いておくとして、黙って行ったのだから、ヘッセン達を避ける可能性は高い。
そこでヘッセン達は、先回りしてアルドバンへ行くことに決めた。
キセラの話によれば、アルドバンの魔獣使いの中には、遺跡付近の探索に慣れている者も少なくないというし、キセラの父親や
アルドバンで助力を乞い、魔閉扉を目指す。
ベルキースの最終目的地は、フルブレスカ魔法皇国の遺跡地下にある、魔閉扉だ。
そこへ至る場所で待てば、必ず会える。
ゆっくりと身体を起こすと、チチッとラッツィーが肩に登ってきて顔を覗き込んだ。
トリアンがそろりと距離を空けるところを見るに、おそらくうなされていて、二匹は心配して側に来てくれていたのだろう。
ヘッセンはラッツィーの後頭を優しく撫でた。
「大丈夫だ。ありがとう。……トリアンも」
ラッツィーは嬉しそうに身体を寄せ、トリアンはツンと鼻を上げたが、顔を背けはしなかった。
ヘッセンはラッツィーを撫でながら、今見た夢を頭の中で反芻する。
何度思い出しても、胸が潰れそうになる記憶。
しかし、あれは全てがヘッセンのものではない。
ヘッセンとベルキースの記憶、あの時の苦痛と慟哭が混じり合ったものだ。
それは今もヘッセンとベルキースが深く繋がり、互いの想いが流れ込んでいることの証拠でもある。
ヘッセンは強く瞼を閉じる。
ベルキース、戻って来い。
私達は一緒にヘスティアの願いを叶えると誓ったはずだ。
頼むから、一人きりで苦しむな……。
どうか届いて欲しいと願いながら、ヘッセンは心の中で、強く強くベルキースに語りかけていた。
アスタ商業連盟南方都市、ハガン。
貸金庫の店が並ぶ一角は、今日もいつも通りの雰囲気だった。
様々な職種の者が取引のある店を訪れる中、目深にフードを被った背の高い男が一人、貸金庫店の中でもおそらく一番古い建物の中へ入った。
「いらっしゃいませ」
カウンター越しに挨拶した
「久しぶりにその姿を見ましたね」
「……仕方があるまい。人でなければ、街を自由に行き来出来ないのだからな」
答えたフードの男は、
この腕に、この手に触れるのはヘスティアが最後。
そう決めて、あの日から一度も
他の何者にも触れたくはない。
指に、腕に残る感覚を上書きしたくなかったからだ。
しかし、仕方がない。
ハガンの街には魔獣だけでは入れないし、街の中を犬の姿で自由には動けない。
一匹で行動するには、
それで、と
「金庫の中身を全てもらう」
「残念ですが、預け主でなければお渡しすることは出来ません 」
ベルキースが来店した時点で予想がついていたのか、店主は驚くことなく返事をした。
「魔法契約ですから、融通は利きません。知っていて来たということは、私を害してでも持って行くつもりですか?」
トルセイ家が初めてこの店で貸金庫を開設した時、ベルキースは家長と共にいた。
魔法契約がどういうものか、よく知っているはずだ。
預けたものを引き出すには、預け主であるヘッセンがいなければならない。
しかし、ベルキースは長衣の内から小さな物を取り出し、静かに差し出した。
「引き出すのではない。トルセイ家の貸金庫を解約する。解約が出来る者に必要な条件は、これを持ち、
ベルキースの手には、トルセイ家の家長の証である指輪があった。
ヘスティアを館で助け出した際、賊が奪い取っていたものを取り返し、ずっと隠し持っていた。
「……条件は満たしているな?」
店主はわずかに目を細めた。
彼が否定しないということは、ベルキースの主張は筋が通っているということ。
ベルキースは指輪を握りしめた。
「解約し、全ての
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