第13話 失踪 ⑵

トリアンとマリソーが町に戻ったのは、それから半刻ほど経った頃だ。


二匹はベルキースの魔力残滓ざんしを追える所までは追ったが、結局姿を捉えることは出来なかった。

従魔とはいえ、主人と離れて行動していれば、人間に見つかった際にただの魔獣として狩られることもある。

ベルキースが向かった方角だけは確認し、深追いはせずに帰って来たのだった。




◇ ◇ ◇




ご褒美とも言える生肉に齧り付き、トリアンは急いで空腹を満たす。

探索途中で小動物でも狩って食ってやろうと思っていたのに、結局探索して終わったら、寄り道せずに帰って来てしまった。


従魔になって真面目に探索するクセがついてしまったのか?

せっかくの自由時間、もっとゆっくり愉しめば良かった。

……つまらない。



〔トリアン、トリアン。肉、美味しい?〕

ラッツィーが横から覗き込んで来たので、トリアンは血の付いた口周りを舌でベロリと舐めた。

〔まあまあ、ね。……なんだい、食べたいのかい?〕

〔えっ? ち、違うよ。それはトリアンのだもん……〕

〔ふ〜ん〕

クワと口を開いて残りの肉を残らず咥えると、ラッツィーの口が、〔あー…〕というように開く。


ククク、とトリアンが笑って肉を離し、片端を牙で引っ掛けて割くと、ラッツィーの開いた口に押し付けた。

〔お食べ、おチビちゃん。大きくおなり〕

〔おチビじゃないよっ!〕

言いつつ、ラッツィーはぺたりとそこに座り込んで、嬉しそうに肉に齧り付いた。


残りを平らげながら、やっぱりさっさと戻って来ておいて良かったかもと、トリアンは満足気に笑った。




〔ベルキース、見つからなかったの?〕

机の上から、ムルナが尋ねた。

〔ああ。方角的には南部へ戻ったんだと思うけどねぇ……〕

塊を飲み下し、トリアンは皿を舐めながら昨夜のことを思い起こす。


昨夜、外の獣舎で嫌々ながら転がっていたトリアンは、離れた所でフゴフゴと鼻を鳴らして、別の魔獣使いの従魔と楽し気に会話するココに辟易として顔を背けた。

その視界に、上部の窓に向けて跳び上がるベルキース白い犬の姿が入った。

器用に壁を蹴り、上部の太い梁に身体を乗り上げると、明かり取りの窓を鼻で押し上げる。


辛うじて通れそうなだけ隙間を作ると、ベルキースは一度下を見た。

その時、トリアンと一瞬目が合ったが、次の瞬間には白い姿は窓の隙間に消えた。


きっとまた月を見に行ったのだろうと思い、トリアンは特に気にしなかった。

月が見える夜は、大体ベルキースは抜け出して行くし、主人ヘッセンはそれを知っていて放置しているのだから、とやかく言うつもりもない。

大体、従魔が一匹で勝手にどこか遠くへ行けるわけがないことは、身を以て知っているのだから、そんなことまでは想像しなかった。



最後の一口を頬張り、ラッツィーが耳を倒して呟いた。

〔ベルキース、どうしちゃったのかなぁ〕

〔さあねぇ……。こんなこと、初めてなんだろ?〕

トリアンはムルナを見上げる。

従魔の中では、ベルキースと共にいた時間が一番長いのはムルナだ。

〔うん。何があっても……離れることなんて、ないと思ってたけど……〕


揺るがない共通の何かを持っている。

そういう一人と一匹に見えた。

今回の失踪は、その“何か”が揺らいでしまったと言うこと……なのだろうか……。


ムルナの思考が、鈍くなる。

なぜか、頭が回らない。

ただ、視線だけは動かすことができない。


ラッツィーの口周りに付いた、赤い……。



「ムルナ」

突然掬い上げられて、ムルナは瞬いた。

視界が澄み、目の前に水の器が差し出されて、急いで嘴を突っ込む。

喉がカラカラになっていたことに、今気付いた。


何口か水を流し込んで見上げると、テオドルの赤茶色の目がこちらを見ていた。

「苦しかったんじゃないのか?」

ぷるる、とムルナは首を振る。


嘘ではない。

苦しくも辛くもなかった。

ただ、なんだろう……。

あまり、よく考えられなくて……。

気が付いたら喉が渇いていた。


そっと下を見れば、心配そうな顔でラッツィーが見上げていた。

その手や口は既によく舐められていて、なんの痕跡もなかった。




◇ ◇ ◇




「ムルナは平気ですか?」

水を飲ませ終わったテオドルが近付けば、キセラと話していたヘッセンが顔を上げて尋ねた。

「ああ。なんかこう……、変な感じがしたんだ。生肉食ってるところに近付けない方がいいかもしれないな」

以前、ムルナが生肉を食べた後に渇きが増したことを、テオドルは覚えていた。



肩の上のムルナが落ち着いていることを確認して、テオドルは椅子に腰を下ろす。

部屋にはトリアンとココを連れて入れないので、食堂で話をしていた。


「それで、ベルキースの行き先は分かったのか?」

「南部へ戻って行ったのなら、おそらくハガンの街でしょう」

「何故そう思うんだ?」

問われて、ヘッセンは向かいに座るキセラをチラと見た。

果実を突付くマリソーを労っていたキセラは、サラリと流れる髪を耳にかけて、横目にヘッセンを見返す。

「従魔を使って犯罪行為でもするなら別だけど、そうじゃないなら、信用してくれていいけど?」

口調こそ軽いが、キセラの視線は真剣だ。


彼女の従魔に対する想いは強い。

自分の従魔達だけでなく、他の魔獣使いの従魔にも気持ちを向けていることは、ベージへの怒りや、テオドルへの本気の忠告を見れば明らかだ。

ベルキースは彼女の従魔ではないが、行方をくらませるというこの異常事態に、心から心配しているのだ。



ヘッセンは周りに人がいないことを確かめ、口を開いた。


「ハガンの貸金庫には、今まで採掘してきた虹霓石こうげいせきを全て預けてあるのです」

「虹霓石……」

驚いたキセラが口を押さえた。

魔石に大して興味がないキセラにも、その石がどういう価値を持っている物かくらいは分かる。


「ベルキースの目的は、ヘスティアの最後の願いを叶えること。それが変わるはずがありません。必要なのは虹霓石です」

テオドルが腕を組んで眉根を寄せる。

「ベルキースが勝手に引き出せたりするのか?」

「私でなければ出来ないはずです。しかし、ハガンに向かうのならそれが目的としか……」

「ちょっ、ちょっと待って」

キセラが困惑して腕を突き出した。

「話が見えないよ。ヘスティアって? 願いって何?」



ヘッセンは逡巡して右手を握る。

全て失ったあの時から、ヘッセンとベルキースだけで守ってきた誓い。

それを、テオドルに明かしただけでなく、ここでキセラにも明かして良いのか……。


何かに迷った時、常に側に控えて力を与えてくれた温かな手触りは、今ここにない。

その者ベルキース自体を、自分が今見つけ出してやらなければ……。



「ヘッセン」

呼ばれて我に返り、顔を上げる。

ぶつかったテオドルの視線は迷いなく、明るい。

「アンタもベルキースも、自己完結しすぎなんだよ。似た者主従め、もっと周りを信じて頼れって!」

バシッと力任せに肩を叩かれ、ヘッセンはむせた。


ラッツィーとムルナから同時に抗議されて、テオドルが両手を上げて一歩下がった。




……いつからこの強い瞳に、力を与えられるようになったのだろう。


ヘッセンは叩かれた肩をさすり、細く息を吐く。

そして、しっかり顔を上げて、こちらを見つめる二人に向き合った。


「ヘスティアは私の姉で、トルセイ家最後の家長です。ベルキースはヘスティアの願い通り、魔閉扉まへいひを動かし、完全に閉じるつもりなのです」

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