第12話 失踪 ⑴

日の出から一刻以上経ち、すっかり明るくなった頃。

街道脇の防風林の中を、トリアンは一匹で駆けていた。


ビュウと強い風が吹き、木々が一斉に枝を鳴らす。

葉と葉が叩き合うようにして発した音は、不穏な響きとなって辺りを包みこんだ。


トリアンは足を止め、一度周囲を素早く見回す。

尖った鼻をスンスンと動かし、残り香を嗅ぎ分けようとするが、これだけ風が強くては正直もう分からない。

代わりに、細く薄く続いていた魔力の残滓ざんしを見分けようと、釣り上がった目を細めた。

は確かにここまで続いていたが、何とか辿ってきたものの、この先はもう見えなかった。



チッと舌打ちしたトリアンは、ふと、久しぶりに完全に一匹だけひとりきりであることに気付いた。

命じられてここまで駆けて来たとはいえ、なんという開放感か。


……いっそ、このまま逃げ出すか?


考えた途端に、息が詰まりそうな圧迫感を感じて、身震いした。

従属契約を解かれたわけではないのだから当然か。


トリアンはビュンと長い尻尾を振り下ろして気持ちを切り替える。

〔本気じゃないさ。大体、ラッツィーあの子を置いていけないんだから〕

誰に聞かせるでもなく呟いて、再び周囲を見回した。


茂る葉の上、強風に煽られながら飛ぶ鳥はマリソーだ。

あの様子では、アイツも手掛かりは掴めていないのだろう。



〔まったく、ベルキースあの年寄りめ! 面倒かけやがって〕

トリアンは忌々し気に言い放ち、再び駆け出した。




◇ ◇ ◇




「ちゃんと食っとけ」

テオドルに声を掛けられて、宿の食堂で遅い朝食を摂っていたヘッセンは、スプーンを持つ手が止まっていたことに気付いた。

「分かっています」

固く答えて、冷めた残りのスープを掻き込む。

味がしないのは、決して味付けが薄いからではないだろう。



膝上にいるラッツィーから気遣うような視線を感じ、軽く撫でてやる。

側にラッツィーしかいないことが妙に心細く思えて、強く奥歯を噛んだ。

今、この場に残るヘッセンの従魔は、ラッツィーのみだ。



ベルキースが昨夜の内に姿を消したのだ。



朝、皆が起き出す段になっていないことに気付き、宿の敷地に続き町の中を探したが見つからなかった。

従魔達にはベルキースの魔力の残滓を見ることができ、その結果、彼が町の外へ出たことまでははっきりした。

街道を避けてはいるようだが、来た道を戻るように、南に向けて痕跡があった。

そこから先は、移動が早く魔力探知能力の高い、トリアンとマリソーに追わせた。


ベルキースがなぜ姿を消したのか、理由は分からないままだ。




「それにしても、ベルキースに何の制約も課してなかったって言うんだから、驚きよね」

キセラが言って、細い肩を竦める。

口調は呆れたようだったが、隣のテーブルから向けられた視線は険しい。


ベルキースが勝手に姿を消すことが出来たのは、ひとえに、主人であるヘッセンが何の制約も課していなかった為だ。

本来ならば、従属させる際に魔獣にはいくつかの制約が課せられるもので、その後に個体の特徴などを見て制限を変えていく。


ムルナがヘッセンやテオドルを目視できる範囲でしか離れられないのも、そういった制限あってのことだ。


「いくら長年家門に従ってきた魔獣だからって、油断するにも程があるんじゃない? まあ自己流で魔獣使いやってるような人なら、そんないい加減なもんかしら」

「キセラ」

「何よ、本当のことじゃない」

たしなめるようにテオドルが名を呼べは、キセラは更にテオドルも睨んだ。


魔獣を適切に規制して扱い、ひとつの生命として従属させること。

それが魔獣使いとしての基本的概念で、これを汚すことをアルドバンでは許さない。

アルドバンで生まれ育ったキセラには、テオドルとムルナのことに加えて、ヘッセンのベルキースに対する扱いは許容出来ないものなのだ。


「何とか言ったらどう?」

空になった食器を持って立ち上がったヘッセンに、キセラは噛み付いた。

しかし、ヘッセンは軽く視線を向けただけで、普段と同じ調子で答える。

「言い返すべきことがありませんので」

「はぁ!?」

テオドルが二つのテーブルの間に入った。

「キセラ、落ち着けよ。ヘッセンも、言い方! アンタの悪いクセだ。ベルキースが心配なのは分かるが、トリアン達が戻るまで待つと決めたんだろ。焦るな」


キセラは思わず強く眉根を寄せてテオドルを見上げた。

平然とした顔で、憎たらしい態度にしか見えないのに、ヘッセンこの男のどこがベルキースを“心配して焦っている”というのか。


しかし、キセラの憤りとは反して、ヘッセンはぐっと言葉を詰め、一度深く息を吐いた。

食器をテーブルに置いて、脱力したように椅子に身体を戻す。

「……すみません」

「…………ちょっと、拍子抜けするからやめてよ素直に謝るの!」

居心地が悪そうに、キセラが身体を捻る。

分かり難いが、ヘッセンはヘッセンなりにこの事態に狼狽えているのだろうか。



ヘッセンは軽く額を押さえ、鈍く口を開く。

「……貴女が言った通りなのです。家門に従属していた状態のベルキースが私の根底にあって、油断していたのです」

「『家門に従属していた』って、今もそうでしょ。ベルキースはあなたトルセイ家長に従属してるのに、制約は持続させなかったの?」

キセラは理解出来ないというように言った。


トルセイ家の大魔術士は、召喚した魔獣ベルキースを家門に従属させた。

個人に従属させるよりも、ずっと複雑で強い契約だ。

そこには多くの制約が課せられたはずだ。

そしてそれは、トルセイ家に脈々と受け継がれてきた。


ヘッセンは、テーブルの上で軽く拳を握った。

「私は契約上の“家長主人”ではありません」

「家長じゃないって、どういうこと?」

「契約では、家長の証である指輪を授けられ、家門の記録を受け継いで初めて“家長主人”となれるのです。……八年前、事故で家長が亡くなった時に指輪は失われ、私は正式に家長とならないまま、ベルキースと隷属れいぞく契約を結びました」


契約の重複は出来ない。

ヘッセンがベルキースを隷属させた時には、長い年月受継がれてきたベルキースの従属契約は消滅していたということになる。


キセラは眉間のシワを深くする。

「じゃあ、どうして新たに隷属契約した時に何も制約を課さなかったのよ」

更に問われて、ヘッセンは表情を歪めた。

「……ベルキースは、知っての通り喋ることが出来ますが、実は、変態すれば人形ひとがたにもなれるのです」

驚いた二人が一瞬声を上げたが、ココがそれ以上の音量でブゴォッ!と鳴いたので掻き消された。

「幼い頃から共に過ごす時間のほとんどを、そうして過ごしてきました。友人のような感覚で……いえ、家族に近いかもそれません。ですから、隷獣れいじゅうとなっても、他の従魔と同じ様に制限を設けることは出来なかった……」

ヘッセンは唇を噛んだ。




「油断じゃなくて、信頼だろう」

言ったテオドルが、置かれたままの空食器を手に取り、側を通った食堂の者に渡す。

代わりに受け取った水を器に満たすと、何も言わなくてもムルナが肩から降りた。

テオドルと目を合わせてから、水を飲み始める。

「他の従魔達と違っても、ベルキースとアンタには確かな絆がある。今、何かしらの掛け違いがあって離れたのだとしても、それで終わりじゃない」


共に行動するようになって数ヶ月ほど。

それでも寝食を共にして過ごせば、彼等の絆がどれ程のものかは分かるというものだ。


テオドルに視線を向けられたキセラが、ムウと唇を歪めたが、ココが平たい鼻先を太腿に押し付けるので、肩をすくめた。

「……まあ確かに、隷属契約は抑えつけて出来るものじゃないからね。結局ベルキースはあなたを信じてるんでしょ」

テオドルがニッと笑って、太い腕を組む。

「ほらな? とにかく、先ずはベルキースを早く見つけて、心配かけやがってって叱ってやらなきゃな!」



叱られるベルキースを想像して、ヘッセンはふっと笑いを漏らす。

少し楽になり、今まで身体が強張っていたのだと気付いた。

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