第10話 自覚

ヘッセン達は探索を止め、アルドバンへの移動を始めた。

途中の探索はないので、移動の速さを優先する。


地図上で言えば、ドンズ丘陵地帯を越えて北西へ進むと、アルドバンへの最短ルートとなる。

しかし、丘陵地帯には魔獣車が通れる程の道がない。

歩いて越すことになるのなら、遠回りでも魔獣車で来た道を戻る方が時間的には早い為、再び魔獣達を連れての魔獣車移動となった。




◇ ◇ ◇




ムルナはテオドルの肩に止まり、車の振動に身体を揺らしながら、羽根を膨らませていた。


行きと同じ様に、ヘッセンとテオドルが並んで座り、向かい側の席にキセラが座っている。

それぞれの足下には、ベルキースとココが幅をとっていて、空いた場所にトリアンとラッツィーがいる。

マリソーは外だ。



トリアンの尻尾に戯れていたラッツィーが、ココがぷりっと動かしたお尻の先で揺れる尻尾に気付いて飛び付いた。

キイィと鳴いて引っ張り上げるトリアンと、ブヒンブヒンと抗議の声を上げるココ。

それを見て笑いながらココを撫で、ラッツィー達のことをヘッセンと話すキセラ。

テオドルにも話を振り、軽く会話する。


テオドルが、話の途中でムルナの方を向いた。

目が合って、頭を撫でられる。

ムルナは、再びほわほわと羽根を膨らませ、クルと鳴いた。



一見、行きと変わらない魔獣車内であるのに、ムルナはとても落ち着いていた。

いや、どちらかといえば気持ちが浮き立っていた。


テオドルの意識が、常にそばにあるのだ。


窓から見える景色をムルナに見せ、話し掛けてくれる。

時折顔を覗き込み、調子を尋ね、頭を撫でてくれる。


かと思えば、何気ない会話の合間に、「なぁ、そう思うだろ、ムルナ」と、突然声を掛けられて、ムルナは驚いた。

まるで人間の会話の仲間に入れてくれるようだ。

そうすると、答えないといけない気がして、テオドル達の会話をよく聞き、様子を注意深く見ることになった。


そうして見ていると、テオドルがキセラと話して笑うことは、ヘッセンと話して笑うことと同じ様なものだと分かった。

自分ムルナの方に顔を向けて、微笑んでくれる顔とは違うのだ。

楽しそうに、嬉しそうに目を細めてくれるこの笑顔は、自分だけに向けられたもの。



……ワタシ、テオドルの特別なんだ。


不意に、それを実感した。



それからは、不思議と心が凪いだ。

キセラがそばにいたらあんなに苦しかったのに、今はあまり苦しくない。

呼吸が楽になったようにすら感じた。



首元で、淡い蜂蜜色の布が風に揺れる。

頭を撫でられて、クル、クルル、と細く歌う。


久しぶりにそうしたい気持ちだった。




◇ ◇ ◇




肩の上で柔らかく鳴くムルナを見て、テオドルは密かに安堵の息を吐いた。


行きに寄った街で一泊し、更に魔獣車で移動を続け、分かれ道の所まで戻った頃には、傍目で分かる程にムルナは元気で安定していた。


キセラの言った通りだったのだ。




ヘッセンとテオドルの決意を知り、ムルナの呪いや従魔について三人で語り合った夜、キセラは言った。


ムルナあの子、私に嫉妬しているのよ」

「嫉妬!?」

「そう。私がテオドルのそばにいることが不安なの」

「何でだ! 俺はアンタのことなんて何とも思っちゃいないぞ!」

テオドルは、すぐにでもムルナにじかに訴えようと思って見回したが、周囲の下生えにムルナはいなかった。


そっと飛び立ったムルナに気付いていなかったらしい。


「ムルナ!?」

慌てて立ち上がるテオドルを、残念な奴だと言わんばかりの目で見上げて、キセラは盛大な溜め息を付く。

それに輪をかけて、ココがキセラの足元でブブーッと鼻から息を吐くと、額を押さえるヘッセンの膝でラッツィーがヂヂッと鳴き、トリアンがイライラと尻尾で地面を叩いた。


「あなたの駄目なとこ、そういうとこね。女心分かんない奴ってよく言われない?」

「言われたことねぇ!」

「どうせそういう相手がいなかっただけでしょ」

あっさりと切り捨てられて、テオドルはぐぅっ、と言葉を詰めた。



はあ、と再び溜め息をついて、キセラはヘッセンに視線をやる。

「ムルナの呪いは“渇き”なのよね?」

「そうです。水を飲むことで呪いは落ち着いていました」

キセラはひとつ頷く。

「聞けば、ムルナの気質は穏やかで真面目。それも呪いの進行を抑えられている要因ね」


気性の荒い個体は、呪いの奔流に呑まれやすい傾向がある。


「人間と同じよ。精神が安定して気力が落ちなければ、極端に進行することはない」

「精神が安定して……」

テオドルは最近のムルナの様子を思い出す。


魔界に帰すことを考えた時の揺らぎ。

ベージの従魔の過剰強化による死。

キセラ達との合流とマリソーの接触。


ストレスになりそうな事が短期間に続いている。




一度ココを撫でて、雰囲気を改めたキセラが口を開いた。

「最大の問題は、あなたよテオドル」

「……俺?」

その指摘に愕然としたテオドルを、鋭く見上げる。

「ムルナはあなたをつがいに選んだ。それを受け入れたあなたには、あの子に向き合う責任がある。だけどあなたにはその自覚が足りてない」

「俺は向き合っているつもりだ! だが、番を受け入れたというのは……」


自分は人間で、ムルナは魔獣だ。

オスを求められても、どうしようもない。


「あのね、魔獣の番は、なにも身体の関係だけの話じゃない。特に同種でないのなら、求めるのは間違いなく心の繋がりよ」

決して例は多くないが、魔獣同士でも異種の番は存在する。

決まってそれ等は、端から見ても微笑ましい程に睦まじく寄り添う。

「言葉を発しない分、魔獣達は仕草や目で多くを語るわ。それをよく見て、感じるの。あなたはまだまだ

ムルナが飛び去ったことにも気付けていなかったテオドルは、なんの反論も出来ない。

ただ奥歯を噛み締めて、突き付けられた事実を受け止めるしかなかった。



「“向き合う”って、言葉で言うほど簡単なものじゃないのよ」

キセラの言葉は、夜の冷たい空気と共にピシとテオドルの頬を打った。





それからテオドルは、キセラの言う通りムルナをよく見て、常に存在を感じるように意識してみた。

すると、ムルナがどれ程主人テオドルを中心として動いているのかが分かったのだ。


心配を掛けないよう、いつも平気そうに見せる。

笑いかければ嬉しそうにし、話し掛ければ一心に聞き、撫でてやれば羽根を膨らませる。

キセラがそばに来ると身体が強張り、話をしていればふるふると儚げに震える。

何より、目を合わせれば、その瞳は常にテオドルへの情に溢れている……。



自分は、今までムルナの何を見てきたのだろう。

理解しているつもりで、その実、彼女からの信頼に甘えていただけなのではないだろうか。



ムルナと信頼関係を築けていたらいい、自分達の関係を分かってもらえなくてもいいなんて、思い上がりもはなはだしい。

自分は魔獣使いの多くを知らないまま、偶然が重なって、ムルナという純粋な魂と縁を繋いだに過ぎなかったのに。


「ムルナ、ありがとうな」

自然と感謝の言葉が溢れた。

変わらず、いや、その想いを徐々に強くして側にいてくれるこの鳥ムルナを愛しいと思った。


クル、と鳴いた声は、柔らかな響きだった。




魔獣車の振動に身を任せながら、ヘッセンは隣の一人と一匹テオドルとムルナを見て安堵した。

おそらくテオドルは、これからもムルナと強く繋がっていけるだろう。



同時に、ふと、自分はベルキースとそんな関係を築けているのだろうかと自問する。


ベルキースは言うまでもなく自分にとって特別だ。

しかし、目的の為に自ら隷属契約を受け入れたベルキースを、真に自分の従魔として見ていただろうか。

今でも心の底では、ベルキースはヘスティアの従魔だと思っている部分がある……。


側に座るベルキースの鼻先に手をやる。

クン、と匂いを嗅いで見上げたその顔を、ヘッセンはそっと撫でた。

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