第6話 痛み
一行は街道沿いを離れて、ドンズ丘陵地帯に入った。
街道を離れたと言っても、まだこの辺りは人の行き来の多い場所だ。
山林には、木材を扱う業者の出入りも多い。
荷馬車が通れる程度には踏み固められた土道を歩き、周辺を探索しながら進んでいた。
ヒュウと冷たく強い風が吹き、上空を飛ぶ二羽の鳥の影が揺れる。
マリソーとムルナだ。
キセラが口元に指を持っていき、ピューと高い音で指笛を吹いた。
マリソーが下降し始めると、ムルナが一拍置いて続く。
テオドルの伸ばした腕に降り立ち、ムルナは青い翼を畳んだ。
すぐに水を貰って、一息つく。
ふと見上げると、覗き込むようにして様子を見守るテオドルの顎下に、細く筋が見えた。
ムルナは、ふると羽根震わせて身体を萎めた。
「ムルナ〜、気にするなと言ったろ?」
ムルナが何を気にしているのか分かったテオドルは、わざと明るく言って、ムルナを抱え上げた。
「お前の
指先でツンと栗色の嘴の先を突付けば、ムルナはパッとテオドルの肩に飛び移り、彼の頬に頭を寄せた。
「ふ~ん、魔獣使いでない人が
マリソーに干し果実を与えていたキセラが、テオドル達の様子を見て言った。
「そりゃどうも」
テオドルは軽く口をへの字にして答えた。
『それなりに』という言葉は引っかかるが、魔獣使いから見ればそんな程度かもしれない。
第一、自分とムルナの関係を詳しく説明するつもりはないのだから、深い理解など求めない。
ムルナと信頼関係を築けているのなら、それで良いのだ。
「ホント、面白いわよね、あなた達って」
そう言って笑ったキセラの髪が、強い風に煽られて乱れた。
艷やかな焦げ茶色の髪が半顔に掛かり、片手でそれを掻き上げる。
ふと、テオドルは疑問を口にする。
「そういえばターバンは?」
出会った時からずっと、頭に幅広の黒い布を巻いていたキセラは、先日滞在した街を出る時からそれを身に着けていなかった。
「ああ、あれね。ずっと巻いてると頭が蒸れるの」
「じゃあ何で今まで巻いてたんだ?」
「こんなか弱い女と、弱い従魔での旅は危ないでしょう」
当然のように言ったキセラの足元で、
そのなかなかの存在感は“弱い魔獣”というイメージではないが、猛獣型のような戦闘能力はないのだろうから弱いのかもしれない。
妙に圧はあるのだが。
「じゃあ護身の為のターバン?」
「そうよ。一応青年に見えたでしょ?」
テオドルはキセラの身体を上から下まで見てから、微妙な笑みを漏らした。
小柄な彼女の身体は、あまり女性らしい凹凸はない。
髪を隠して男物の服装でいれば、まあ少年のようには見えるだろう。
しかし、かわいらしい少年だ。
「あー…、その感じでは別の意味で危なそうだが?」
「何よ」
「イテッ」
テオドルの含み笑いに反応して、筋肉質な彼の腕をバシッと叩いたキセラは、ちょうど肩上から見下ろすムルナの姿を間近に見て小さく息を呑んだ。
深紅のつぶらな瞳。
その奥に、黒くどろりとしたものが
その目はキセラを凝視していて、薄く開いた嘴から、ザラリとした息が低く吐かれた。
キセラは眉根を寄せて、そっと身を引いた。
「……ねえ、この子、随分呪いが進行しているよ」
ムルナはピクリと身体を震わせた。
「…………分かってる」
テオドルは答えて、ムルナを撫でる。
先日の激高。
それは、穏やかな気質のムルナからは、およそ考えられないようなものだった。
テオドルが抱き止めても落ち着く気配はなく、むしろ更に暴れようとした。
『その内自我を無くす』と、以前にキセラが忠告したことは、おそらくこういうことなのだろう。
「それでも、俺は最期までムルナと一緒にいるって決めたんだ。なぁ、ムルナ」
クル…とムルナが小さく応える。
テオドルは撫でていた手の平で、ムルナを頰に引き寄せた。
「魔獣の呪いは解けないとして、例えば進行を止めたり遅らせる
側で聞いていたヘッセンが尋ねると、キセラは乱れた髪を撫でつけながら目を細めた。
「……二人はあくまでも、
「ああ」
返事をしたテオドルだけでなく、黙って見ているヘッセンの視線からもその意志を感じる。
「……嫌いじゃないんだよね、そういうの」
キセラは頬を緩め、ココとマリソーを撫でた。
「手助けできるかもしれない。詳しく話して」
◇ ◇ ◇
日の入りから一刻以上が経ち、辺りは重い闇に包まれている。
ポカリと空に浮かぶ月には雲が掛かり、その姿を半分程隠していた。
月明かりが半減した今夜は、木々を照らす灯りの乏しさに、その影も闇に溶ける。
少し離れた野営地には、まだ焚き火の勢いがあった。
まるでそこだけ光を吸い集めたようだったが、そこから離れれば、途端に闇に吸い込まれそうな夜だった。
地面に盛り上がった大木の根に座り、月を見上げていたベルキースは、紫灰色の耳をピクリと動かした。
微かな羽ばたきを拾って、頭上の枝を睨む。
枝に止まったのは、ムルナだった。
ベルキースは鼻を鳴らす。
〔…………何をしに来た?〕
〔……別に。ただ、あそこに居づらくて……〕
ムルナの言う“あそこ”は、勿論さっきまで居た焚き火の側だ。
日が暮れて冷え冷えとした今も、ヘッセン達三人は焚き火を囲んで話し込んでいる。
普段ならば、ムルナはテオドルの側で羽根を膨らませて座っているはずだった。
チラリと明るい方に視線を向けたベルキースは、再びフスンと鼻を鳴らした。
〔呪いに関した話をされて、居た堪れないか……〕
〔そうじゃない……〕
確かに、魔獣の呪いについて詳しく聞くのは厳しいものがある。
しかし、三人が話しているのは呪いに限ったことでもない。
キセラが積極的に会話に加わったことで、様々な情報交換も始まっている。
〔では何だ?〕
ベルキースは窺うように闇に沈む青い鳥を見遣る。
今まで、用もなくムルナ
〔…………ベルキースは、人間を
〔……何?〕
突然の問いに声を尖らせれば、枝の上の影がふるふると震えた。
〔…………テオドルが笑ってくれたら、嬉しい。それなのに、横にキセラがいたら、ワタシ、どうしてこんなに苦しいのかな……〕
テオドルに向けられた気持ちが嬉しくて、与えられた水が胸に沁みて。
気がつけば、ムルナは無意識に
〔こんなつもりじゃなかった。一緒にいると嬉しいって、これからも一緒にいたいって、そう思っただけだったのに……〕
ムルナの声が震える。
ベルキースの鼻筋に、一滴の水が落ちた。
それは白い毛を伝い、闇に流れ落ちる。
一緒にいたい。
側に居て欲しい。
これからも、ずっと……。
その純粋な願いの芽生えは、ベルキースにも覚えがある。
それこそが、自らの
唯一人への、止められない
「ヘスティア……」
知らず知らず、ベルキースの口から二度と抱きしめることの出来ない者の名が漏れた。
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