第25話 輝く生命
テントの中で過去語りを止めたヘッセンは、込み上げる何かを抑える為にか、数度深呼吸した。
「二階にいた親族とは別に一階で賊と対峙したヘスティアは、果敢にも魔術で強く抵抗したようで、ベルキースが助けた時には大怪我を負っていました。……リリーが助けた母と従兄弟は、外に連れ出した時には虫の息でした」
ヘッセンは淡々と続ける。
向かい合って
「……その襲撃は、仕組まれたものだったのか?」
ヘッセンは力なく首を振る。
「分かりません。ヘスティアを助ける際、
翌日、全焼した屋敷を見たグンターは、顔色をなくして呆然と佇んでいた。
その後で、死者を悼み、ヘッセンを強く励ましてくれた。
あれが演技だとしたら、相当の役者だろう。
「あの夜、まだ息のあったヘスティアだけでも助けようと、私とベルキースは少し離れた集落までヘスティアを抱えて走りました。……間に合わず、夜道で看取ることになりましたが……」
深手を負ったヘスティアを助けるには、神聖魔法でなければ無理だった。
間に合わないかもしれないと分かっていても、聖職者のいる集落の神殿を目指すしかなかった。
「ヘスティアは最期に、私とベルキースが
語り終えたヘッセンをテオドルは黙って見つめていたが、しばらくして、小さく数度頷いた。
「アンタ、よく生きてきたよ。リリー達も喜んでいるだろう」
言われたヘッセンは鋭く顔を上げた。
語る間感情の乗っていなかった瞳に、ありありと怒りが滲む。
「いい加減なことを言わないで下さい。あの子達を死なせて私だけが生き、しかも、今も魔獣を従えている。そんなことを喜ぶはずがないでしょう」
ヘスティアの最後の願いを叶える為に、魔石採掘士として生きるしかなかった。
しかし、虹霓石を求めるには、どうしても従魔が要る。
―――探索魔獣は使い捨て。
魔石採掘に携わる他の魔獣使いのように、無理にでもそう思わなければ、再び従魔を持てなかった。
距離を置き、制限を設け、最低限の個体数を連れ歩いた。
再び魔獣を従えることを、心の中でリリー達に詫びながら……。
しかし、テオドルは表情を変えず続ける。
「いや、きっと喜んでるよ。その魔獣達は、アンタのことが好きだったんだから」
ヘッセンは両手を強く握りしめる。
右手の包帯にじわりと血が滲む。
「……ええ、私に向けてくれる愛情も信頼も感じていました。そして私は、その上に胡座をかいていた。信頼し合っていればなんの規制も要らないと、魔獣使いの本分を軽んじていた」
従魔を適切に規制することは、魔獣使いの責務だ。
ベルキースは何度も忠告していた。
従魔に何でも自由に決めさせてはならない。
個別で対応を変えてはならない、と。
「貴方が以前に言った通りです。従う意思を持っていれば、状況に合わせて自由に行動させて良いと思っていた。その結果がリリー達の死です! 私が彼等を死なせた! 私が殺したんだ!」
初めてヘッセンが感情的に言葉を発した。
強く吐き出された言葉には、見えない血が混じるようだった。
「それは違う」
肩で息をするヘッセンに少しも動じず、目を逸らさないテオドルが静かに言った。
「規制して抑えつけても、魔獣達は本当に表したい想いがあれば、どんなに痛くても言うことなんて聞かないさ。ムルナも、トリアンだって、以前身体を張って主張したじゃないか」
呪いに侵されて役に立てないくらいなら、捨てて行って欲しいと魔石を拒んだムルナ。
ラッツィーを助ける為に、許可を得ずに夢中で駆けて行ったトリアン。
彼等には心がある。
どんな者でも抑えつけることの出来ない、尊い光とも言うべきもの。
「リリー達の死は、確かに辛いものだ。だが、彼等の選択を否定するな、ヘッセン。彼等は、愛する主人を守りたかった。願いを叶えたかったんだよ。彼等は全身全霊でアンタを愛したんだ」
ヘッセンの脳裏に、今も忘れられない従魔達の姿が甦る。
ギュウと腕に掴まり、チュウと口を寄せるリリー。
仲間を統率して、常にヘッセンを助けてくれたバロン。
いつも楽しげに走り回って、温かなぬくもりと笑いをくれたフールとマナ。
皆、
弾け飛ぶ最期の瞬間の、リリーの顔を思い出す。
聞こえるはずの無い声がヘッセンには聞こえた気がした。
〘 アルジ、ずっと、ひとりじゃないヨ 〙
「………っ」
ヘッセンの顔が大きく歪んで、下に向けて逸らされた。
「それにな、もう既に、アンタは従魔達をこの上なく大事にしてると思うぜ。ラッツィー!」
突然テオドルが大声で呼んだ。
一拍置いて、テント入口の隙間からラッツィーがぴょこんと顔を覗かせた。
「絶対すぐ近くにいると思ったぜ」
笑って立ち上がったテオドルは、心配そうに主を見つめるラッツィーを摘み上げると、その身体をポンとヘッセンに向けて放る。
「泣かせてやれ」
言って、テオドルはテントを出た。
くるりと回転してヘッセンの身体にしがみついたラッツィーは、チチッと鳴いてヘッセンの顔を覗き込み、そのままぎゅうと抱きついた。
小さな手が、柔らかな毛皮が、生命の温かさを伝える。
大好きだよ。
大丈夫だよ。
精一杯の思い遣りが胸に染みて、ヘッセンはあの日以来、初めて声を上げて泣いた―――。
テントを出たテオドルの肩に、ムルナはすぐに飛んできて止まる。
その頭を撫でると、ベルキースが歩いて来て、ピシリと尻尾を鳴らして言った。
「トリアンが採掘可能な場所を見つけた。ムルナにも確認させてくれ」
テオドルは頷いて、ムルナを連れて岩壁の方へ足を向けた。
日が暮れる頃になって集まった一行は、今日の情報を共有する。
道沿いをもう少し西へ進んだ所に、
おこしたばかりの焚き火に屈んで薪を足し、テオドルは炎に照らされたヘッセンを見上げる。
どこか腫れぼったい目を厚い眼鏡で隠した彼の肩には、ラッツィーがいる。
白髪の頭にぺったりと身体をくっつけた姿は、以前よりも距離感が近く感じられた。
トリアンとムルナから得た情報をベルキースが説明し終わると、少し間を置いてヘッセンは首を振った。
「いや、今回の採掘は見送ろう。グンター氏の手前もある。ここでの採掘は再び混乱を招く恐れもある」
驚いたベルキースが、詰め寄るようにヘッセンに近付く。
「
「いや、そうだとしても、当初予想していたよりも深すぎる。……危険だ」
ベルキースは不満を
「私なら出来る。分かっているだろう!」
「駄目だ」
虹霓石を得る為の旅を始めてから、採掘に関してのベルキースの意見を、ヘッセンが強く反対することは初めてだった。
困惑したベルキースが深紅の瞳を瞬く。
「必ず最後の
ヘッセンはベルキースの前で膝をついた。
察したラッツィーが、ピョンと降りてトリアンの側に駆ける。
ヘッセンはベルキースの細長い顔を両手で挟んで、少し上向きにした。
ベルキースの瞳が見開かれる。
この動作は、ヘスティアが生前ベルキースにしていたもので、ヘッセンは一度もしたことがなかったのだ。
「ヘッセン……?」
「……ベルキース、お前は確かに特別な魔獣だ。この八年、同志として生きてきた意味でも。……だがお前もまた、私の大切な従魔だ。たった一つの、大切な生命」
厚い眼鏡の奥で、ヘスティアと同じ薄い水色の瞳がベルキースを見つめる。
ヘッセンはベルキースを抱きしめた。
どれ程貴重な魔石であっても、それはただの物だ。
そんな物の為に擦り減らして良い生命など、一つもなかったのに。
しかし、ベルキースは納得できずに身を
「あと一つなんだぞ! 私は生命を削っても構わ…」
「ヘスティアは、お前を愛していた」
雷に撃たれたように、ベルキースの身体がビクリと震えた。
力無く声が漏れる。
「…………嘘だ…、そんなことは、一度も……」
「嘘じゃない。一度だけ聞いた。お前に言うなと言われていたけれど……」
ベルキースの身体から力が抜けていく。
「そのヘスが、お前の生命を削ってまで虹霓石を望むはずがない。……今回は、諦めよう」
呆然としたベルキースを、ヘッセンは強く強く抱きしめる。
長く痛みに耐えてきた凍えた心が、初めて強く生を、生命を求めていた。
《 第三章 小さな生命の光 終 》
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