第24話 過去 ⑶

この回には暴力的表現がありますが、行為を容認・推奨するものではありません。


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翌日、ヘッセンは日が暮れてから屋敷裏の魔力脈に沿って歩いていた。


共に歩くのはベルキースで、ヘッセンの腕には眠そうにしながらもしっかり掴まっている薄墨色の小猿リリーがいる。

少し先の地面をシャシャと滑るように走るのは、赤い蜥蜴トカゲのバロンだ。



リリーの広範囲探索で得た情報を、地を這うバロンが精査する。

採掘時は、フールとマナが側で魔力の細かな流れを読み取り、ペルキースを介してヘッセンに伝わる…というのが、今のところ一番良いやり方だ。

今夜はバロンの見立てた場所を見に行っていた。




斜面を登るヘッセンは、後ろを歩くベルキースが何度目か振り返ったことに気付いた。

「どうかしたのか?」

「……いや……」

何というわけではない。

ただ、胸の奥がザワザワとして落ち着かない気がして、気が付くとベルキースは振り返っていたのだった。


どう答えたものかと逡巡しゅんじゅんしたベルキースは、何か小さな魔力が斜面を駆け上がってくることに気付いた。

同時にバロンも歩みを止めて振り返る。


薄ぼんやりと月に照らされた斜面を駆け上がってきたのは、二匹の大鼠フールとマナだった。

完全昼型の二匹は、屋敷で眠っていたはずだ。

「お前達、どうして……」

ヘッセンが二匹に手を伸ばすより早く、フールから念話で状況を知らされたベルキースは、素早く犬の姿に変態して駆け出す。

「ヘッセン! 賊だ!」

「……賊?」

ベルキースはあっという間に斜面を駆け下りて行く。

残されたヘッセンは、“賊”という言葉に全く現実感を持つことが出来ず、呆然と立ち尽くす。


キィと側でリリーが鳴いて袖を引く。

ハッと我に返ったヘッセンの耳に、薄闇に沈む屋敷から微かに悲鳴が響き、弾かれたように駆け出した。



賊だって?

打ち捨てられたような、こんな古い屋敷に?

一体、なぜ?


……いや、思い当たる理由など一つしかない。




続けて聞こえる叫び声や物が壊れるような音が近付くにつれ、不安と焦りでもつれそうになる足を鼓舞して、ヘッセンは駆けた。


建物の近くまで戻った時、屋敷の裏口から歳を取った下男が転がり出てきた。

子供の頃からずっと家の世話をしてくれていた、数少ない使用人の一人。

家族同然の彼は、ヘッセンの姿を認めて何かを叫びかけた。


しかし、その背後から追いかけて来た見知らぬ男が、下男をあっさりと斬り捨てた。

下男は崩れるようにその場に倒れ込み、斬った男は、「ひゃはぁ」とおかしな笑い声を高く上げた。



ヘッセンは、呼吸を乱して後退りした。

今度こそ足がもつれて、後ろ向きに転倒する。

血の付いた剣を持った男が、ヘラヘラと笑いながらヘッセンに近付いて来た。


殺される、そう思った時、フールとマナが男に向かって飛び掛かった。

男は難なくフールを左手で掴み、マナを右手の剣で斬り落とす。

そしてその切っ先で迷わずフールを刺し貫いた。


あまりのことに、ヘッセンの喉は痙攣したように引きつり、叫ぶことも出来なかった。

代わりにリリーが、キィーと細く鳴いてヘッセンの腕をギュウギュウと抱きしめた。



「猿……白髪の青年、ね」

男は確認するようにヘッセンを眺めると、興味をなくしたようにきびすを返して屋内に戻って行く。




何故か何もされずに取り残されたヘッセンは、耳に響くザクザクという心臓の音の中で、混乱して頭を抱えた。


何が…一体何が起こっている……?


いや、頭の隅では、何者かが虹霓石を求めて押し入ったのだということは予想が付いた。

しかし、今ここでどうすれば良いのかがわからない。

戦う術は持っていない。

剣も使えなければ、魔術でさえ、攻撃的なものはほぼ使ったことがない。

それどころか、今は発動体金の指輪すら身に着けていないのだ。

助けを求めようにも、屋敷の周辺に人の住んでいる家もない。



二階から大きな物音と悲鳴が聞こえて、ヘッセンは反射的に立ち上がった。

しかし、前へ出ようとしてつんのめり、そのまま膝と両手をつく。

その振動でリリーが地面に降りた。


ひどく足が震えて、ヘッセンは走るどころか立ち上がることさえままならなかった。


早く! 助けに行かなければ!

屋敷の中には、ヘスティアも、母や叔父、従兄弟もいるのに……!


重なる叫び、怒声。

ヘッセンは震えた。

家族が、世界が失われてしまう……。



「誰か……たすけて……」



それは無意識に口から溢れた願いだった。


気付けば、キィと小さく鳴いたリリーが目の前に立っていた。

その横に、小さな革袋を咥えたバロンがいる。

いつの間にか、ヘッセンの腰の革袋が奪われていた。


リリーの長い指が革袋に差し込まれ、握りしめたいくつもの魔石粒が月光を不吉に弾く。

上を向いてザラザラと、その魔石を口の中に流し込んだリリーが、パッと駆け出す。

革袋に顔を突っ込んでいたバロンが、ゴクリと喉を鳴らしてその後に続いた。


「待っ…、リリーッ、バロンッ!」


言うことを聞かない足を叩くようにして、ヘッセンは必死に立ち上がってその後を追う。

屋敷に入ってその荒らされように顔を歪めながら、ホールを進み周囲を見回した。

既に賊が何人か倒れていた。

リリーとバロンはどこへ向かったのか。

そう考えた途端、上擦った賊の声が階段の上から響いた。

「な、何だ!? この化け物はっ!」


二階には親族それぞれの居室があった。

這い上がるように階段を登った先、廊下突き当りの母の部屋で絶叫が響き、扉からゴウと火が吹き出た。

幾度か繰り返された絶叫の末、ヘッセンが廊下の中程まで駆けたところで、奥の部屋からは出てきた。



ボコボコと不自然に膨れ上がった、血だらけの大猿リリーだった。



その両手には、ヘッセンの母と従兄弟が抱えられていた。

「リリー」

ヘッセンが呼んだ途端、奥の部屋でボンと鈍い爆発音と共に、再び火が吹き出した。

そこに千切れたバロンの足が落ちる。

「バロンッ!」

火はあちこちに燃え移り、古い屋敷の奥を燃やし始めた。


リリーが足を引き摺るようにして、ヘッセンの側に寄る。

「どうして……、リリー…」

ヘッセンが震える腕を伸ばせば、リリーは両腕に抱えていた人間二人をヘッセンの側の床にそっと降ろし、ズルリと一歩近付いた。

薄墨色の毛は無惨にも汚れ、その身体は既に見るに耐えない形に膨れ上がり、所々でプシッと赤黒い血を吹き出す。


しかし、その愛嬌ある深紅の瞳だけは、変わらずヘッセンを見て、嬉しそうに細められた。

キィとか細く鳴いたリリーが、ヘッセンに顔を寄せ、チュウと口付ける。



その瞬間、愛すべき子猿は弾け飛んだ。

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