第22話 過去 ⑴
昼前に焚き火の前に陣取り、単調に小鍋をかき混ぜていたテオドルは、顔を上げてヘッセンのテント入口近くに座っているベルキースを見た。
その白い毛には、まだ所々に魔獣の血が付いて汚れている。
ヘッセンをここまで運ぶ際に付いたのだ。
「なあ、“リリー”というのは、誰だ?」
パチと薪が爆ぜる音と共に、テオドルが尋ねた。
「……ヘッセンの従魔だった猿型魔獣だ。あの従魔と同種だった」
ベルキースは顎をしゃくるようにして、鼻先で岩壁側を指した。
今日は雲が多く、昼だというのにどこか陰鬱な空ではあったが、昼間の明るさの中では、岩壁に花開いたように散った赤黒い染みが、嫌でも良く見えた。
グンターの指示で子猿の残骸は処理されたが、その跡はまだ生々しい。
「……その
テオドルが続けて問えば、ベルキースはピクリと紫灰色の耳を動かして、テントの方へ向いた。
「……直接ヘッセンに聞け。目が覚めたようだ」
テオドルは小鍋を火から降ろし、立ち上がった。
あの後、ベージに襲い掛かったヘッセンを、ベルキースは電撃でベージごと気を失わせた。
そうでもしなければ、怒りに我を忘れていて、押さえることが出来なかったのだ。
完全に夜が明けて、ちょうどドルスカル鉱山跡へ向かう魔獣車が通り掛かったので、テオドルはベージを強引に捩じ込み、グンターに
一刻程して、グンターから指示を受けたという傭兵達が急ぎ片付けに現れたが、その中にラタンがいて、テオドルは詳しく話を聞くことが出来た。
ベージは故意にヘッセンの探索を妨害したとして、魔石採掘士
また、魔術士
ともあれ、今回のことはベージ個人の引き起こした事故として、やや強引に幕引きされたのだった。
テオドルがテントの中に入ると、ヘッセンはヒシと胸に抱きつくラッツィーを、何とか
「……すみません、世話をかけました」
テオドルの姿を認めて、ヘッセンは微かに微笑んだ。
その表情は愛想笑いにも似て、今まで見てきたどの彼にも似つかわしくないものだ。
彼はぐるぐると包帯を巻かれた右手を見た。
「恥ずかしいところを見せてしまいました。それにしても、人間を殴ると意外と痛いものなのですね、手を怪我するなんて採掘士として…」
「ヘッセン」
意味なく言葉を重ねようとするヘッセンの声を切り、テオドルは近付いてそこに
「“リリー”について、俺に話してくれないか」
ヘッセンの身体に力が入ったのが分かったが、テオドルはそこに座ったままで続けた。
「どうしても話したくないなら、無理にとは言わない。だが、話してみないか。俺は“リリー”がアンタにとってどういう者だったのか、知りたい」
ヘッセンは曖昧な表情を消して、視線を漂わせた。
ふわり、と顎に柔らかなものが触れて、下を向く。
胸にしがみついたラッツィーの尻尾が、かろうじて届くヘッセンの顎を優しく撫でる。
小さな瞳が、心配そうに見上げていた。
「…………ラッツィー、ムルナ、外に出ていてくれないか」
弱く吐かれた言葉に、テオドルの肩上のムルナは瞬き、ラッツィーはイヤイヤと首を振る。
しかし、ヘッセンは眉尻を下げて言った。
「お前達には聞かせたくない。頼む……」
命令ではなかったが、ヘッセンの気持ちを察して、ラッツィーは渋々ムルナと共にテントを出た。
テントに残されたテオドルは、ヘッセンが言葉を発するのを、ただ静かに待った。
長く逡巡していたヘッセンは、意を決したのか、一度長く細く息を吐いた。
「……九年程前……虹霓石を初めて掘り出した時、私には四匹の従魔がいました。皆低ランクで、優秀な探索魔獣でした。
ヘッセンは包帯が巻かれた右手を見つめる。
ベージを殴った際に歯に当たったのか、拳の皮膚が一部切れ、血が滲んでいた。
そして、その血とは色の違う、赤黒い血の跡が残っているのを見て、目を細める。
テオドルとラッツィーが出来るだけ拭いたが、
「その従魔達は、どうなったんだ?」
静かに問われて、ヘッセンは顔を上げる。
こちらを向く赤茶色の真摯な瞳を見つめ返して、あの日以来初めて向き合う重石を口にした。
「……私のせいで死にました」
アスタ商業連盟の西部。
古い屋敷の背後に広がる、切り崩された山々の斜面の上で、
空中で器用に首を素早く回して、地面に降り立つと、大袈裟に首を傾げる。
そして地面にゴロンと転がると、親指を咥えてチュッチュッと音を立てて吸い始めた。
「……あれが探索と呼べるのか?」
端正な顔を嫌そうにしかめて、
「ああ。ここに有用な魔石はないみたいだな」
楽しそうに笑いながら、十九歳のヘッセンは腕を伸ばす。
途端に、転がっていたリリーが立ち上がって、ピョーンとヘッセンの腕に飛び込んだ。
足下では
「リリーの探索は正確だよ。もう分かっているだろう?」
優しくリリーの頭を撫でるヘッセンに言われ、ベルキースは「そうだが…」と言いながら頭を抱えた。
確かに、この数ヶ月ヘッセンに付いて魔石採掘を手伝っているが、先行探索を行うリリーの魔力読みは正確だった。
しかし、なぜそれがヘッセンに伝わるのかは謎だ。
何しろ、終始遊んでいるようにしか見えない。
それでも、掘削する段階になれば、バロンを中心にベルキースに伝えられる情報は丁寧で分かり易く、質の良い
だから、文句はない、……つもりだ。
親指は変わらず吸ったまま、リリーは反対の手で、ヘッセンの腰に巻かれた小さな革袋を叩いた。
ヘッセンが笑ってそれを開くと、リリーは長い指を突っ込んで、小さな魔石の欠片を取り出した。
口から指を抜き、代わりに魔石を放り込むと、甘い飴玉をしゃぶるように表情を
「ヘッセン、魔石を簡単に与えるな」
見咎めたベルキースの言葉にも、ヘッセンは軽く笑った。
「大丈夫だ。この子達は、自分でちゃんと必要量を分かってる」
幼い頃から従魔を側に置いて生活してきたヘッセンは、この頃、獣魔達との信頼関係に少しも不安はなかった。
だから強く制限を設けることはしていなかったし、それで問題はないと思っていたのだった。
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