第21話 過剰強化
夜明けにはまだ少し早い。
テオドルはテントの中で身体を起こした。
さすがに風の季節の夜は冷えるので、今回の魔石探索の旅には、テオドルもテント持参だ。
側でふわりと羽根を膨らませ、首を
「悪い、起こしたな」
ムルナを起こさずに出ていくことなど出来ないのに、テオドルはムルナを起こしてしまう度にそう言って笑う。
ムルナはそれが嬉しいのか、出された右手に顔を擦り付けた。
「なあ、ムルナ。ヘッセンが
ムルナの
昨日ヘッセンは、事件のことを口にして話を締めた。
しかし事件の詳細までは語らなかったし、家長であるヘスティアが手放さなかったという虹霓石の行方についても触れなかった。
そもそも、ヘッセンが集めている虹霓石は、
ヘスティアが手放さなかった理由も、それに通じるのだろうか。
考えに沈みそうになったテオドルの指を、ムルナは優しく甘噛みした。
その感触に瞬いて、テオドルは寝起きで乱れた金髪の頭を掻いた。
「……焦る必要はない。そうだよな?」
クル、とムルナが答えた。
隠していること、言いたくないこと、人間そんなことがあるのは当たり前だ。
要は、それによって、苦しくて助けが必要になっているのかどうかだ。
ヘッセンは少しずつ、テオドルのことを信頼し、自身の周りの壁を取り払い始めたように思える。
もしも助けが必要なら、いずれはそう言ってくれるだろう。
それを信じようと、テオドルは思った。
テントを出ようとすると、ムルナは急いでテオドルの肩に飛んで来た。
「まだ寝てていいんだぞ」
そう言ってはみたが、ムルナはぷるっと首を振る。
付いて行くと態度で主張されて、テオドルは微笑んで一緒にテント入口の幕を潜った。
外はまだ暗い闇に覆われていたが、ポカリと浮かぶ丸い月がぼんやりと光を放ち、岩や僅かに生える草木の形を浮かび上がらせていた。
皮膚に触れる外気はピリと冷たい。
肩の上のムルナが、一度ぶると震えて羽根を膨らませた。
闇の中、燻った焚き火の側に、ベルキースが静かに伏せていた。
テオドルが夜眠る間、ベルキースが周囲を警戒していてくれるのだ。
夜ゆっくりと休めることは、護衛の身としては相当に有り難い。
「交代する。朝食まで少し休めよ」
テオドルが声を掛けると、ベルキースはチラと目線を向けて、そのまま目を閉じた。
動かないということは、ヘッセンのテントの中には戻るつもりがないのだろう。
テオドルのテントの中にも、焚き火跡の周囲にも、ラッツィーとトリアンの姿がない。
おそらくヘッセンのテントの中に一緒にいて、ベルキースはそこへ入りたくないというところだろうか。
「俺のテントの中で寝ていいぞ」
気を利かせて言ったつもりだったが、クワと目を開けたベルキースにブフフンッと大きく鼻息を吐かれた。
……全く腑に落ちない。
テオドルが鼻の上にシワを寄せて下唇を突き出した途端、肩のムルナが緊張したように羽根を萎ませた。
「ムルナ?」
同時に、ベルキースが音もなく立ち上がり、夜空を見上げた。
つられて、テオドルもその視線の先に目を凝らす。
月光がぼんやりと光を放つ空に、小さな点のような影が見えた。
「…………鳥?」
バサとムルナが肩から飛び上がり、その点目掛けて飛んで行く。
「探索魔獣だ」
いつの間にか側まで来ていたベルキースが、足下で唸るように言った。
初めて直接声を向けられたことに驚きつつ、テオドルは問い返す。
「探索魔獣? こんな時間にか?」
ほとんどの魔獣は夜目が利くし、魔力の流れを見ることは昼でも夜でも関係ない。
しかし、昼間の方が地形ははっきりと確認出来、情報を伝えるべき人間は夜目が利かないのだから、昼間に探索するのが普通だ。
つまり、あの点が探索魔獣であれば、普通の事態ではないということだ。
ムルナが戻りながら、細く高く鳴く。
魔獣同士の念話が通じたのか、ベルキースがギッと牙を鳴らして大声を上げた。
「
異変を感じていたのか、ベルキースの声にすぐトリアンとラッツィーが飛び出してきた。
遅れてヘッセンがテント入口の幕を跳ね上げる。
「グンターの魔獣使いだ! 盗られるぞ!」
言うが早いか、地面を蹴って駆け出したベルキースを、ヘッセンとテオドルが追った。
「気付かれた!」
岩壁の段差に立ち、ムルナが飛んで行った方を睨んだベージが歯噛みする。
夜明けまでに、この付近の魔石の在り処を見極めるつもりだったが、時間が掛かり過ぎた。
ベージは、少し離れた岩壁に両手両足を付き、ブルブルと震えている大猿を見た。
薄墨色の毛皮は、所々盛り上がった皮膚から滲む血で汚れているが、まだ日の光がない薄闇の中では、黒いシミに見える。
ただ、涙で潤んだ赤い瞳だけが、月光を映して揺れていた。
昨日、グンター達と別れた後のヘッセンは、まだ日が暮れていないのに場所を移動せずに野営場所を決めている。
やはりこの辺りに魔石の当たりを付けているのだ。
ならば、奴等が動き出す日の出前に、その在り処を特定しなければならない。
ここで出る魔石を奪われるわけにはいかないのだ。
「もう時間がない! まだ特定出来ないのか!?」
焦りと苛立ちで、ベージは従魔に掴みかかる。
猿は怯えたように首を振った。
それが、“まだ特定できない”なのか、“ここにはない”なのか、それとも別の訴えなのか、焦燥感に駆られたベージには分からなかった。
「クソッ!」
ベージは腰掛け鞄から、魔石粒を掴み出す。
「食え!何が何でも見つけるんだ!」
従魔は主人の命に逆らえない。
飲み込んだ猿の身体が細かく震える。
周囲の空気が、大きく揺れた。
日の出の時間が近い。
淡い月光が弱まるに合わせ、太陽が強い光を放ち始めると、既に薄まっていた闇が押し潰されるように散じていく。
「あそこだ!」
驚きのスピードでベルキースに続いていたテオドルが叫ぶ。
指差した先、こちらに気付いて振り返ったベージが、猿が振り上げた腕に弾かれ、道沿いに飛ばされて転がった。
上空では狂ったように黒い鳥が急旋回を繰り返す。
「……あれは、なんだ……」
思わず足を止めてテオドルが呟いた。
猿の身体が、不自然にボコボコと膨らむ。
駆け抜けたベルキースが、地面に転がったベージを押さえ付けた。
グゥ…オオオォォォ………
「過剰強化……!」
追いついたヘッセンが、大きく息を呑んだ。
そのままテオドルを追い越して、猿に向かって駆けるヘッセンに驚き、テオドルもそれに続く。
「ヘッセン! もう無理だ! 行くな!」
ベージを押さえ付けていたベルキースが気付いて叫んだ。
ヘッセンが近付いた時には、子猿であった魔獣は、風船のように大きく膨らみ、身体のあちこちから、プシッ、と音を立てて血を吹き出していた。
「こっちへ!」
思わず叫んで伸ばしたヘッセンの手の先で、猿が振り向いた。
涙を流した深紅の瞳が、助けを求めている。
ヘッセンの脳裏に過去の光景が甦った。
「リリーッ!」
ヘッセンの叫びと同時、鈍く弾けた音を立て、目の前で風船は弾け飛んだ。
魔獣の血を浴びて呆然と立ち尽くすヘッセンの耳に、ベージの微かな呟きが聞こえた。
「役立たずが……」
次の瞬間、ヘッセンは獣のように吠えてベージに殴りかかっていた。
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