第18話 旧知

……リリー?


消え入るような声が聞こえて、テオドルはヘッセンの横顔をうかがう。

顔色が悪いと気付いて声を掛けようとする前に、ベルキースがパシリと尻尾でヘッセンの手の甲を叩いた。



「しっかりしろ、ヘッセン。あれはリリーではない」

素早く囁かれた声が、頭の中で鈍く回る。

「…………分かっている」

答えたヘッセンの声には、明らかな動揺が滲む。


ヘッセンは浅く呼吸する。

よく見れば、あの魔獣小猿はリリーよりも色が濃いし、顔付きも気が弱そうだ。


…………いや、そんなことは関係ない。

リリーは、死んだ。


あの日、目の前で、死んだのだ。




「……ヘッセン?」

様子がおかしいヘッセンにテオドルが声を掛けたと同時に、グンターはすぐ側までやって来て足を止めた。

その後ろに護衛兵が続く。


「道沿いで採掘士が何人か探索していると聞いてな。特徴が似ているからまさかと思ったが、やはり君だったか!」

喜びを大袈裟にアピールして見せるグンターは、撫で付けられた白髪混じりの灰色の髪と、同じ色の口髭を揺らして笑い、ヘッセンの肩を叩く。


「……お久しぶりです、グンター殿」

ヘッセンが応えると、グンターの太い眉がピクリと動いた。

「はは! いや、すっかり姿を見せなくなったので心配していたが……、まあどうして、元気そうではないか」

「おかげさまで」とだけ答えたヘッセンの姿を舐めるように見たグンターは、次は盛大に溜め息をついた。

「しかし、まだ細々と採掘士を続けていたとは思わなかったよ。続けるならなぜ私の所に来なかったのだ。高待遇で迎え入れてやれたのに。……君、そんな姿ナリで……」


ヘッセンは今、質は悪くないが着古したローブ姿。

背負った荷物も道具も、手入れは行き届いているが使い込まれた物ばかりだ。

グンターは、さもみすぼらしい者のようにヘッセンを哀れみの目で見ていた。



「いくら家門を失くしたと言っても、元はあれほど高貴な血筋だと言っていたのに。さすがにこの有り様では、代々の先祖も嘆かれよう」



あまりに配慮のない言い様に、テオドルは思わず眉根を寄せて口を挟んだ。

「失礼だが、雇い主とどういったお知り合いだろうか」

割って入るように一歩前に出れば、グンターは初めてテオドルが視界に入ったような顔をする。

「君は何だ?」

「俺はヘッセンの護衛です。今は護衛任務中なんでね、誰彼無条件に近付けるわけにはいかないんですよ」

「テオドル」

後ろからヘッセンが止めた。

「グンター殿は以前……家族が世話になったのです。ですから、大丈夫です」

ヘッセンはそう言ったが、ベルキースは低く唸った。


途端に、グンターはさらに大きく溜め息をついて首を振る。

「傭兵一人雇って採掘の旅を? ヘッセン、それ程魔石採掘に拘るなら、やはり今からでも私の所に来なさい。今回のドルスカル鉱山跡の大規模採掘は、私が仕切ることになっている。君程の採掘士なら、今ならまだ管理指導者として優遇してやれるぞ」

「グンター殿、せっかくですが、私は個人採掘で結構です」

「才能を無駄にするな、ヘッセン」

「いいえ、評価は有り難いことですが」

ヘッセンは型通りに礼をして、話を終わらせようとした。




「グンター様がこれ程まで買って下さるのに、断るというのか」

口を挟んだのは、猿型の魔獣を連れた小柄な男だった。

彼は、ヘッセンやテオドルと同年程の若さだが、グンター程ではないにしろ上等の短衣を着ていた。

その左腕には子猿が掴まり、反対側の肩には黒い小鳥が止まっている。

魔石探索魔獣たちだ。

グンター子飼いの魔獣使いであるとすぐに分かった。


おそらく、この魔獣使いの探索魔獣が、ドルスカル鉱山跡の魔力を読んだのだろう。


「紹介しよう、ヘッセン。今回の大規模採掘で魔力脈を読んだ、ベージだ。探索魔獣を使うことにかけては、なかなかの実力だよ」

グンターから紹介された魔獣使いベージは、形だけの挨拶をすると、周囲の景色を見回した。

「グンター様が目を掛けていたと聞いたからどんな採掘士かと思ったが……こんな場所を?」

ふ、とベージは見下したように鼻で笑う。

「あんた、こんな魔力の痩せた場所をせせこましく採掘するくらいなら、その能力をグンター様の下で有用に使ったらどうなんだ」



ヘッセンは、この場でグンターと対立するつもりもなければ、強い印象を与えるつもりもなかった。

しかし、ベージの腕の従魔小猿が、何か言いた気にしながらも、恐る恐る首をすくめるのをどうしても見逃せなかった。


「魔石採掘が可能な場所を見つけるのは、魔獣使いではなく探索魔獣です。この土地が痩せきっているのかどうか、貴方は従魔の声を感じたのですか?」

軽く目を細めて、ヘッセンが固い声で問うと、魔獣使いは大きく口を歪める。

「……俺が従魔を使いきれていないとでも言いたいのか?」

「少なくとも、この子は何か言いたそうに見えますが」

ヘッセンが子猿を見れば、ベージは腕の従魔をキツく見下ろす。

キイと鳴き、子猿は腕で顔を隠した。


「ヘッセン、この場所に高い熱量の魔石がまだあるということか?」

グンターが驚いて岩壁を見遣った。

「……それは、……まだなんとも言えません」

それは事実であったが、グンターはヘッセンが故意に隠したように受け取った。

「……またそうやって勿体ぶるのか。君がそんな風だから、ヘスティア姉君や家族はあんな無惨な死を迎えることになったというのに?」


ベルキースが大きく唸った。

ヘッセンが急いでその背を強く押さえる。


一瞬ひるんだグンターだったが、ヘッセンが何も言い返さず俯いている上に、護衛兵が側に立ってベルキースを牽制したのを見て、憎々しげな言葉を止めなかった。

「いい加減に意地を張るのはやめて、虹霓石こうげいせきを私に売れ、ヘッセン! そうすれば、打ち捨てられた家門の墓くらいは建て直せよう…」



「いい加減にするのはアンタだろう!」



声を張って場の雰囲気を破ったのはテオドルだった。

赤茶色の瞳に強く力と憤りを込め、ヘッセンの前に出た彼は、真正面からグンターと対峙した。

「黙って聞いてれば、他人の傷を抉るような事ばかり並べ立てやがって」

「貴様、グンター様に向かってなんという口のきき方を!」

ベルキースを牽制していた護衛兵が鞘付きの剣を突き出したが、テオドルはそれを素手で握る。

手の甲に筋が浮いた。

「立場のある人間なら余計だろうが!」


護衛兵を鋭く睨み、テオドルは続ける。

「上に立つ人間だって言うなら、関わる人間にもっと心を砕けよ!」

「テオドル、良いのです」

ヘッセンが後ろからテオドルの腕を引けば、テオドルは素早く振り返り、護衛兵を睨んだ以上に強い瞳を向けた。

「いいわけねぇっ! アンタ今も傷付いてるだろうがっ!」

驚いたヘッセンの肩にラッツィーが駆け上がり、ガバと首に抱きついた。



テオドルは再びグンターに向かい、一歩前へ出た。

「付き合いの浅い俺でさえも、ヘッセンコイツの過去が傷だと分かるってのに、それ以上の関わりがあるアンタがなぜ分からない? もし、分かってやってるって言うなら、立場云々うんぬんは関係ない。……俺は黙ってられねぇ」


テオドルの肩で、ムルナがフーッと威嚇の声を上げた。

テオドルは立ったままの姿勢を崩さず、剣を手にしたりはしていなかったが、放たれた気迫に思わずグンターは半歩引き、ベージの肩からは鳥が飛んだ。



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