第7話 確認
「全く、貴方はやることがガサツなのですよ」
翌朝、宿の一階に併設された食堂で、四人席のテーブルに向かい合って座ったヘッセンに睨みつけられ、テオドルは大きく口を歪めて天井を仰いだ。
テーブルの上には、朝食に丸パンと具の少ないスープ、そしていつくかの果実が並ぶ。
そして端にはムルナが止まって、器から水を飲んでいた。
空いた椅子の一つにはラッツィーが当然のように座っていて、自分の頭程の大きさの
椅子の下のトリアンは既に生肉を食べて終わり、小麦色の毛を念入りに毛繕い中だ。
もう一つの椅子は使われていないが、その椅子とヘッセンの腰掛けた椅子の間で、ベルキースが床に伏せていた。
伸ばした前足の上に顎を乗せ、目を閉じている。
昨夕、ムルナの為に水を運んだ際、テオドルは外の大型従魔用の厩舎から水桶をひったくり、なみなみと水を汲んで二階まで駆け上がった。
もちろん厩舎から二階の客間まで、水を零さず走り抜けることなど出来ない。
建物内のあちこちに水溜りを作ったテオドルに、宿屋の主人から雷が落ちたことは言うまでもない。
「仕方ないだろ、急いでたんだから」
「急いでなくても、
ヘッセンの言葉には随分棘がある。
はっきりそうとはいわないが、ムルナに水を与え忘れたテオドルに怒っているのだ。
テオドルが顔をしかめると、テーブルの端に止まっているムルナが、気遣うようにクルと鳴いた。
まるで“大丈夫だよ”と言ってくれているようで、テオドルは頬を緩める。
主人である自分が失敗しても、変わらぬ情を寄せてくれるムルナが可愛くて、テオドルは笑んで果実を一つ手にして差し出した。
「ムルナ、来なさい」
しかし、ヘッセンのその一言で、ムルナが当然のようにヘッセンの差し出した左腕に飛んだので、テオドルは再び口を歪めた。
「ムルナは俺の
「その隷獣に水を与え忘れたのは誰ですか」
「ぐ……」
昨日は、久々に会った恩人にすっかり以前の感覚になってしまい、ムルナに苦しい時間を与えてしまった。
水が間に合ったから良かったものの、もしも間に合っていなかったらと思うと、ゾッとする。
怒っていたのは何故かムルナでなくラッツィーだったが、テオドルは何度もムルナに謝ったのだった。
そして、二度とこの手の中にある生命の重さを忘れてはならないと心に刻んだ。
言葉に詰まっているテオドルを
その間、ムルナは大人しくされるがままだった。
元々ヘッセンの従魔であったし、四年近く従属していたのだから、ヘッセンのやり方に慣れていた。
何かあった後は必ず、
「……特に異常はないようだが……何か変化は感じていないか?」
ヘッセンが顔を寄せたまま尋ねると、ムルナはコクと頷いた。
昨日、ムルナの様子が少しおかしかったと、ヘッセンはベルキース経由でラッツィーから聞いた。
水を飲んで普段の様子に戻ったのなら、ただ渇きが酷かったということなのだろうか。
「俺にも、ムルナの健康観察のやり方を教えてくれよ」
ヘッセンとムルナの様子を眺めていたテオドルが言った。
その目は真剣だ。
「魔獣は魔力を持っていても、基本普通の動物と変わりません。毛艶や皮膚の張り、食欲はあって元気に動いているか…そういった部分を見るのが一番です。……あとは個体差ですから、ムルナを側に置いて、貴方が自分で感じることが大事でしょう」
ヘッセンのアドバイスを聞き、テオドルは神妙に頷く。
その様子を見て、ヘッセンは密かに怒りを薄めた。
「…………異常を感じたら報告しなさい。良いな?」
声量を落として掛けられたヘッセンの声は、心配の気配を含んでいる。
クルと答えて再び頷き、ムルナは止まっているヘッセンの腕に嘴を擦り付けた。
途端に、ヒョイと両側からテオドルの大きな手で掬われて、ムルナは彼の側に戻された。
「これも食え」と言ったテオドルは、何故か少し不満気に果実を嘴に寄せる。
ムルナは首を捻りながらも、テオドルが手に持ったままの果実を突付いて、羽根をポワポワと膨らませた。
ムルナを奪い取ったテオドルに呆れ顔を向けてから、ヘッセンは革紐で首から下げた小さなメモ綴りを手にとって、筆記具で書きつけ始めた。
「前から気になってたんだが、それ、いつも何書いてるんだ?」
テオドルが指差した。
ヘッセンは魔石採掘の旅の途中でも、二つのメモ綴りによく書き付けているのだ。
「魔獣について、気付いたことを書き留めているのです。新しく探索魔獣にする魔獣を選ぶ時の参考になりますから」
「もう一つは?」
「採掘に関して」
テオドルは太い眉を大きく上げる。
「アンタ、真面目だなぁ」
「……真剣に採掘に努めているので」
あれだけ大きな芋だったのに、ぺろりと食べ切ったラッツィーがヘッセンを見上げた。
そのヒゲが力なく垂れているのに気付き、ヘッセンは腕を伸ばし、そっと頭を撫でる。
「……どうした、足りなかったか?」
チチと小さく鳴いて、ラッツィーはその手に頭を擦り付ける。
テーブルの果実をラッツィーに渡すと、テオドルがニヤニヤしながら見ていた。
「……何です? 気持ち悪い顔をして」
「べーつに」
否定せずにニヤけたままなので、ヘッセンは顔をしかめつつ食事を再開した。
「「……それで」」
二人の声がタイミングよく重なり合った。
互いに次の言葉を飲み込む。
ヘッセンが先を促すので、テオドルがスープを飲み干してから、先に口を開く。
「それで、今回は大規模採掘とやらに参加するのか?」
テオドルが旧知のラタンに会って得た情報は、昨夜の内にヘッセンに話していた。
その時に、ラタンがどういう知り合いかも説明した。
一緒に聞いていたムルナが、なんとなく元気になったような気がするのは気のせいかもしれない。
ヘッセンの過去を聞いたことだけは、まだ何も口に出せてはいないのだが。
「いいえ。あれに参加しても、私のやり方で採掘は出来ませんから」
ヘッセンはそう言ってスープを口に運ぶ。
以前講義のように説明されたやり方は、確かに大規模採掘にはそぐわない。
予想通りの答えにテオドルは頷いて、先を続ける。
「じゃあ次はどこへ?」
「ドルスカル鉱山跡へは行きます。大規模採掘の現場から外れた所を、念の為この子達に見て貰ってから、別の所へ移動するか決めようと思います。……何です、またそんな顔で」
ヘッセンは頬を引きつらせ、気持ち悪いものを見るように、ニヤけたテオドルを睨む。
「いやいや、別に」
“この子達”と言っていることを気付いてなさそうなヘッセンに、思わず笑ってしまった。
おそらく無意識なのだろう。
「で、アンタの方の話は?」
改めて話を向けると、ヘッセンは数度瞬きをして、一度咳払いした。
「……それで貴方は、……その、旧知の方と、また一緒に仕事をするつもりなのですか?」
「ラタン姐さん? いや? あの人は大規模採掘の方で雇われたらしいぞ」
「ええ。だから、貴方もそちらへ一緒に行きたいのかと。……もし、そうなら」
ムルナの嘴を指で拭いていたテオドルは、驚いて勢いよく顔を上げる。
「ヘッセン、アンタ俺をクビにするつもりか!?」
「クビ? いえ、そうではなくて……」
「なんだ、そうじゃないならいい。あのな、言っとくが、俺は当分アンタの専属護衛でやってくつもりだ。アテにしてるんだから、もしクビにするつもりならちゃんと早目に言ってくれよな?」
当然のように言って、テオドルはムルナの頭を撫でた。
「…………分かりました」
小さく答えた主人の声に安堵感が滲んでいて、二人のやり取りをハラハラしながら見ていたムルナとラッツィーは、こっそりと笑い合ったのだった。
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