第5話 発現
黙り込んで杯を握るテオドルを見て、ラタンは雰囲気を戻そうと、努めて声を明るくする。
「まあとにかく、
「待った!」
テオドルは持ったままだった杯を離し、両手を広げてラタンの前に突き出した。
「それ以上は聞かない。……聞かない方がいい」
ゆっくりと手を下ろし、テオドルは息を吐く。
「すまねえ、姐さん。俺が無理やり聞こうとしたのに。だけど、混み合った身の上話は、ヘッセン本人の口から聞いた方がいいと思うんだ。……いや、俺は本人から聞きたい」
「……ああ、いやぁ、どうせこれ以上詳しいことは、あたしも知らなかったし」
言ってラタンは、三杯目を口元に持っていきながら、拳でテオドルの肩を小突いた。
「はは、テオドル、あんたなかなかいい仲間を見つけたんだねぇ。正直、あんたがそういう仲間を見つけられるのか、あたしはずっと心配してたんだよ?」
「俺だって、そんな奴は見つからないと思ってたさ。……けど、何て言うか」
小突くラタンの拳を押しやりつつ、テオドルは頬を緩める。
「掛け値なしに向けられる情ってやつに、心動かされた……っていうか……」
少々照れくさいのかテオドルが視線を逸らすと、齧ろうと持ち上げた肉をラタンが落としかける。
「は? えっ? あんた、もしかしてヘッセンとそういう…?」
「あ?……!! はあっ!? 何勘違いしてんだ、姐さん! 俺が言ってるのはムルナだよ! さっき見ただろう、俺の従魔だ」
「従魔? あの鳥?」
ラタンは更に困惑して聞き返す。
「ああ、正確に言えば
「隸獣? 何だいそれ?」
「いや、ちょっと成り行きで……」
言いかけて、ハッとする。
「今、何刻だ!?」
「え?
テオドルは、ガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。
窓から見える空は既に薄闇だ。
風の季節の日暮れは早いとはいえ、ムルナと別れてからもう随分時間が経っている。
「悪い、姐さん。俺、急いで戻らないと!」
「いきなりどうしたんだい?」
「ムルナの水を忘れてたんだ!」
「詳しくは今度」と言い捨て、テオドルは投げるように銀貨をテーブルに置いて店を走り出た。
「………なんだい、あれ……」
杯を持ったまま、揺れる入口のドアをぽかんと眺め、ラタンは呟いた。
酒場を出て、暮れ時の路地を、テオドルは器用に人を避けて駆け抜ける。
長いこと世話になったラタンに再会したことで、人に頼って生きていた頃の自分が今更に顔を出した。
そして、気付いた。
魔獣使いでない自分は、ムルナのことを今でもヘッセン頼みにしている。
そしてそのことを、頭のどこかで当たり前だと思っていたのだ。
ムルナはもう、自分と離れては生きていけないのに。
あの子の生命は、言葉通り、自分が握っているのに……!
「……バカヤロッ!」
後悔に歯ぎしりし、テオドルは駆けた。
◇ ◇ ◇
テオドル達が泊まっている宿の一室。
ベッドの上に座ったままのムルナは、ぐったりと首を垂らして、喉の渇きに耐えていた。
テオドルが出て行ってしばらくしてから、ムルナは喉の渇きに苦しみ始めていた。
テオドルがムルナに水を多めに用意しておくということを忘れて行ったので、ラッツィーとトリアンは
〔ムルナ、大丈夫?〕
ラッツィーがムルナの顔を覗き込む。
ハ、ハと荒く呼吸をするムルナは、余裕がないのか、ラッツィーの声にほんのわずか頷いただけで、返事はしなかった。
……熱い。
ムルナの頭は、少し前からそのことだけでいっぱいになっていた。
荒く息をする度、喉に焼け付くような痛みを感じる。
その内、身体も熱くなっているような感覚に襲われ、部屋の外から聞こえる生活音はもちろん、側でラッツィーが掛けてくれる声まで、よく聞こえなくなってきていた。
ボワンと籠もった音だけが、頭に響く。
しかし、時折その中に、薄っすらと聞き慣れない声が聞こえた。
『……水を……あつい……』
ハ、ハ……。
声と、自分の荒い呼吸が混ざる。
『……渇いた……熱い……水を……』
それは、少しずつ、少しずつ、ムルナの頭の中を埋めていく。
『ああ……熱い……、何か……渇きを癒やすものを……何か……水じゃなくてもいい』
ハ、ハ、と息を吐くムルナが、一度ギチと
『……渇きが癒せるなら……何でもいい……何か……』
半分閉じていたムルナの目が、深紅の色を濃くしていく。
〔オレ、窓から出て
ラッツィーが、トリアンの寝そべっている窓際に駆け寄った。
〔よしな、主人は出掛けてる〕
トリアンが長い尻尾でラッツィーの身体を受け止めた。
窓から見えるのは宿の前門と、その先の大通りだ。
トリアンはずっと窓際に陣取っていたが、ヘッセンとベルキースは昼過ぎに出て行ったきりで、帰って来たのを見ていない。
〔そんな…、じゃあどうしたら……〕
言って両手を揉むラッツィーの後ろ、ムルナの様子を横目で捉えたトリアンが、吊り上がった目を
ムルナはゆらりと頭を上げた。
振り返ったラッツィーと合わさった視線は、虚ろに揺れている。
ハ、ハ、と吐かれる息は、熱く粘る。
〔……渇イタ……何、カ……欲ィ……〕
〔……ムルナ?〕
心配そうに寄ろうとしたラッツィーの首の皮を、トリアンが後ろから
ラッツィーはジタバタと手足を動かして逃れようとするが、トリアンは立ち上がりながら強く引き寄せる。
〔寄るなラッツィー。様子が変だ〕
〔え、何?〕
ラッツィーが目を丸くすると同時に、ムルナは、ギチと再び嘴を鳴らした……。
途端、ガチャと鍵の回る音がして、扉が乱暴に開け放たれた。
「ムルナ!」
飛び込んで来たのは、手桶を持ったテオドルだ。
驚いて毛を逆立てたラッツィーとトリアンには目もくれず、ベッドの上のムルナを持ち上げて、手桶の縁に寄せた。
チャプと音を立て、なみなみと溜められた手桶の水が、ムルナの顔に飛沫を飛ばす。
その飛沫で、ハッと我に返ったムルナが、顔を突っ込むようにして急いで水を飲み始めた。
必死に水を飲むムルナの身体を抱えたまま、はぁぁ…と息を吐いて脱力し、テオドルは床にしゃがみこむ。
「…………焦った……」
呟いたテオドルの後頭に、飛び上がったラッツィーの渾身の蹴りが入った。
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