第3話 溝

「久しぶりじゃないか! 何年ぶりだい? こんなところで会えるなんて!」

ラタンと呼ばれた大柄で筋肉質な女は、テオドルの身体を離すと、両手で彼の頬をぐわしっと挟んで顔を覗き込んだ。

目尻のシワが深く刻まれ、心底嬉しそうに笑う彼女の顔からは、中年代であることがうかがえた。


「ちょっ! 姐さん、力入れすぎだって!」

「アハハ、ごめんごめん、嬉しくて……」

両手を離す瞬間、肩に乗っている青い鳥を見て、ラタンは笑顔を消す。

「……まさか、魔獣?」

「ああ、大丈夫だ、俺の従魔だから」

テオドルが距離を開けるように左肩を後ろに逸らすと、ラタンの眉根が寄った。

「従魔だって!? あんた、魔術素質なんかなかったはずだろう? なんで……」

「待った、待った! あー…説明するから、場所を変えよう姐さん」


道具屋入口を陣取っていた二人は、通行人からも、店の中からも視線を浴びている。

戸惑うようにつぶらな瞳を瞬く鳥を、ラタンはいぶかしむように見てから頷いた。




◇ ◇ ◇




〔あ~あ、退屈だねぇ〕

宿屋の一室で窓際に陣取り、大きく欠伸あくびをして言ったのはトリアンだ。

テオドルの泊まっている部屋で、ラッツィーと二匹仲良く留守番をしている。


ハガンの街に入り、ヘッセンとテオドルは宿で二部屋を借りた。

従魔と共に寝泊まり出来る宿なので、それぞれの従魔と共に部屋に入る予定だったのだが、なにせベルキースとトリアンの折り合いが悪い。

喧嘩するわけでは無いが、どことなく二匹の間の空気が悪いのだ。

それで、トリアンはテオドルの部屋に置いてもらうことにしたのだが、トリアンが部屋を移動する際、当たり前にラッツィーの首の皮をくわえて、一緒に連れて行ってしまったのだった。

それで、結局ヘッセンの部屋には、ベルキースだけが一緒に寝泊まりしている。




トリアンが長い尾を、規則的にパタン、パタンと左右に動かすのを、フットワーク軽く追いかけてじゃれていたラッツィーは、突然トリアンが尻尾を止めたので顔からぶつかった。


その場にペタンと座り、小さな手でくるくると顔を撫でつけながら抗議する。

〔もう、トリアン! 急に止めないでよ!〕

他所ひとの尻尾で勝手に遊んでおいて、よく言うよ、この子は〕

ククと笑って吊り上がった目を細め、トリアンは止めていた尻尾を動かし始めた。

〔子供扱いするなよ!〕

口ではそう言うが、動き始めた尻尾に再び飛び付かんと、ラッツィーはぴょんと立ち上がる。



途端に、ガチャと扉の鍵が開く音がした。

その音にトリアンは尻尾の動きを止め、ラッツィーは再び顔から突っ込んだ。


部屋に入ってきたのは、勿論鍵を持っているテオドルだったが、彼は戻って来るなりムルナをベッドの上に置いた。

「じゃあ、ちょっと行ってくるから、部屋でいい子にしててくれよ。……お前らもな!」

テオドルはムルナの頭を撫で、ラッツィーとトリアンに釘を刺してから、すぐに扉を閉めて行った。




ガチャと鍵を掛ける音に向かい、ムルナはクル…と小さく鳴いた。


〔何だよ、『いい子』だって! ゲーッ!〕

オエッと舌を出してから、ベッドの上にピョンと飛び移り、ラッツィーはムルナの顔を覗き込んだ。

首に巻かれた淡い蜂蜜色の布を、小さな手でツンと突付く。

〔おかえりムルナ。新しいの買ってもらったんだな!………どうかしたのか?〕

テオドルに新しい布を買ってもらって嬉しいはずであろうに、浮かない顔をしているムルナに気付き、ラッツィーは首を傾げた。


〔テオドル、人間の女の人と食事をしに行くんだって……。置いて行かれちゃった……〕

〔人間の女? 誰それ〕

〔分からない。以前からの知り合いみたいだったけど……、抱きしめてた〕

〔ええーっ!?〕

ラッツィーの尻尾がピンと立ち、ムルナはしょんぼりした様子で項垂れた。


多くの従魔は人間の言葉を理解出来るが、ベルキースの様に言葉を発することは出来ない。

だからムルナがテオドルに質問することは出来なかったし、質問されないのだから、テオドルが全てを説明するようなことはないだろう。


そもそも、そんな気の利いたことが出来る男でもないのだろうが。



〔その女、つがいじゃないのかい?〕

トリアンが言った。

〔つ、番? そんな人いるって、今まで言ってなかった〕

ムルナが首を伸ばすようにして窓際を向けば、トリアンはククク、と少しばかり意地悪気に笑う。

〔そんなの、ただの従魔にわざわざ説明するもんか。……ああ、アンタは呪いに侵された可哀想な隸獣れいじゅうだったっけ〕

ラッツィーは三本の尻尾でペシリとベッドを叩く。

〔トリアン、ムルナに意地悪なこと言うな!〕

〔嫌だねぇ、意地悪だなんて。本当のことを言っただけじゃないか〕


鼻を鳴らして、トリアンはグイと顎を上げる。

〔だって、所詮はなさけをかけられて生かしてもらっただけの愛玩動物ペットみたいなもんだろ?〕


ヒュッとムルナが鋭く息を吸い込み、羽根を萎ませた。


〔トリアン!〕

ラッツィーが再び抗議の声を上げれば、トリアンは先程までと違った冷たい視線を向ける。

反射的に、ラッツィーは半歩引いてしまった。

〔だってそうだろう? 考えてごらんよ。アイツは今、ムルナを置いて行った。


渇きの呪いに侵されているムルナは、短い間隔で度々水を必要とする。

テオドルは頻繁にムルナに水を与えているが、今は何も用意せずに出て行ってしまった。

しかも『この部屋で』と言い残して。

この部屋はムルナが自分で水を得られる環境ではなく、隷獣は主人に命じられたことに背けないのに。



ムルナはふるふると羽根を震わせた。

〔どんなに慕っても、あのオスはアンタの番にはなれやしない。……アイツは結局なんだ〕

低く言ったトリアンからは、消すことの出来ない人間への憎しみが滲む。


言葉なく震えるムルナと、こちらを見つめたままヒゲを垂らしたラッツィーから目を逸らし、トリアンは窓の外に向くように身体を捻って伏せたのだった。




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