第三章 小さな生命の光
第1話 輝く石
郊外にひとつの屋敷があった。
柵で囲まれた敷地の広さはそれなりにあるものの、柵に沿って植えられていた生け垣は所々が枯れて失われ、屋敷の姿を丸見えにしている。
屋敷は古いレンガ造りの建物で、壁の黃褐色も屋根の黒茶も、日に焼けて
この辺りは、大昔に“
魔石採掘に関わる者達が近隣に住み着き、一時は町として栄えていた。
しかし、山を切り崩して採掘を繰り返す内、魔石は採り尽くされた。
採掘に関わる者達は、別の場所に少しずつ移り住み、町は衰退していった。
この屋敷は、おそらく町が栄えていた頃、町長の役割を担っていた者が住んでいたのだろう。
この一帯にポツポツと残る建物の中では、一番立派だった。
屋敷の背後には、切り崩されていた山々の斜面が広がっている。
今では緑濃い野草や、素朴な野の花が斜面を染めているが、所々に剥き出しの岩盤面が見えていた。
敷地の中には、広い庭園の名残を感じる場所もあったが、それらは
かと言って、打ち捨てられたというほど荒れているわけではない。
古いながらも屋敷は最低限の手入れはされているようだったし、均された庭園跡地には背の低い草花が並んでいて、一見花壇のようにも見える。
少ない住人が、細々と生活しているような、そんな印象を受ける場所だった。
屋敷の裏口から、一組の男女が出てきた。
前を歩くのは、白髪の長い髪を後ろでひとつに編んだ、若い女性。
十代後半、又は二十代になったばかりというくらいだろうか。
スラリと伸びた背に、女性らしいメリハリがある身体ではあったが、これから乗馬でもするかのようにピッタリとしたズボンを履き、簡素なシャツ一枚の上半身は、肘まで腕捲りをしていた。
「ここに越してきてもう一年よ。いい加減に諦めても良いと思うのだけれど、まだ同じことを言うのね、母上様は」
彼女は大股に歩きながら、呆れ口調に言った。
「なぜああも、家門だとか格式に
彼女が大きく溜め息をつけば、後ろの男が口を開く。
「昔から、貴族に連なる者はそういうきらいがあるものだ。“己の血統は特別である”という想いから離れられない。……お前達の家門は、特にそういう想いが強かろう」
閑散とした庭には不釣り合いな、質の良い長衣を着た男は、細く柔らかな紫灰色の髪をふわりと揺らして歩く。
美男と称しても良さそうな顔立ちの彼は、前を行く女性より少々年上に見えるが、その声は老紳士のように、低くやや
「特別ねぇ…。その血統を証明するものなんて、後生大事に残してある家系図くらいのものでしょうに」
彼女はそう言った途端、手入れが行き届かず転がっていた石に
すかさず、付き従っていた男が腕を伸ばし、彼女を支えた。
「気を付けろ、ヘスティア」
ヘスティアと呼ばれた彼女は、すぐ側に寄った彼の顔を見上げた。
心配そうに見下ろす瞳は、血の色の深紅。
「……家系図どころか、“
「……この私のせいだと言いたいのか」
彼は形の良い眉を寄せた。
「あはは、ごめん、そんな顔しないでベルキース」
ヘスティアは支える彼に笑い掛けて、腕を離すと再び歩き出す。
深紅の瞳は、魔獣の証。
男は魔獣なのだ。
彼は、この世界に“魔獣使い”という名称が定着するよりも遥か前、魔竜出現以前の時代、特異な魔力を持った魔術士によって、その者の家門に従属するよう契約を課された初めての魔獣。
“最古の従魔”と呼ばれ、最高ランクに位置する
主人に付けられた名を、“ヴェルハンキーズ”という。
家門の長が代替わりする度、ヴェルハンキーズはその家長を主人として、ずっと家門と共に生きてきた。
しかし、一般的に魔獣は人間に忌み嫌われるもの。
魔獣の姿のままでは、あらゆる場面で抵抗があった。
そこでヴェルハンキーズは、
最高ランクの魔獣ともなれば、その外見は自在に変態出来るものなのだ。
魔竜出現以降、魔獣の生体数が増えたことと、魔獣使いの台頭によって、世界中で魔獣が人と混ざる機会は増えた。
しかしヴェルハンキーズは、今も
現在の主人は、数年前家長である父を亡くし、家門を継いだヘスティアだ。
ヘスティアはまだ幼い頃、ヴェルハンキーズの名が呼び難いと言って“ベルキース”という愛称を与えていた。
ベルキースは、眩しい物を見るようにして、前を行くヘスティアを眺める。
ベルキースだけでなく、双子の弟の名も、ヘスティアはわざと愛称で呼ぶ。
「平民のようではしたない」と嫌な顔をする母親に対する当てつけからかもしれないが、片割れの弟と同じように特別に想っていると言われているようで、ベルキースはこの呼び方が気に入っていた。
ヘスティアとベルキースは、屋敷の裏へ向かって歩いて行く。
花壇のように見える所で、小さな影が動いた。
ヘスティアは、その影に向かって声を掛ける。
「リリー、精が出るわね! ヘセは?」
影がピョンと立ち上がって、キキッと鳴く。
それは薄墨色の子猿で、両手には花の苗を持っていた。
花を植えているのだ。
この辺りの花々は、リリーと呼ばれたこの猿型の魔獣が植えた。
リリーは再びキキッと鳴いて、丸い目をくるくると回し、両手がいっぱいだったからか、器用に片足立ちして右足で屋敷裏の斜面を指差した。
その格好を見てヘスティアは吹き出したが、逆にベルキースは難しい顔をした。
「ヘッセンの従魔は、どうも自由が過ぎる。
「小言が多いと年寄り臭いわよ、ベルキース」
「ヘスティア」
「あはは、冗談よ」
ヘスティアが楽しそうに笑う。
「低ランクを使うのは、古い従属契約法しか使わないからでしょう。新しいのは魔獣の負担が大きいから嫌なんですって。ヘセらしいわ」
ふふ、とヘスティアが笑う。
「それに、魔石採掘には低ランクが適しているのですって。ここに越して来て、一番喜んでいるのは間違いなくヘセでしょうね」
言って向けた視線の先に、剥き出しの岩盤斜面に張り付くようにして掘削作業をしている弟の姿を認め、ヘスティアは大声で呼び掛けた。
「ヘセ! そろそろ休憩にしたら!?」
呼ばれて振り返ったヘッセンは、いつも通り砂埃にまみれていたが、どこか様子がおかしかった。
ヘッセンの足元で、彼の従魔である白黒長毛の大型鼠が二匹と、赤い
ヘスティアとベルキースは顔を見合わせた。
どうしたのかと近寄った二人に、ヘッセンは作業用の手袋を着けた両手を差し出し、大事そうに握っていた物をゆっくりと開いて見せた。
手の平の上には、淡く虹色を放つ、魔石がひとつ。
ベルキースが目を見開く。
「
興奮を抑えられないといった顔付きのヘッセンが、黙って頷く。
魔竜出現以降、その採掘法は失われたとされてきた幻の魔石、
この日、一人の年若い魔石採掘士の手によって、その魔石は再び世界に姿を表した。
そして、これが彼等の運命を大きく変えることになるのだと、その時は誰も気付かなかったのだった―――。
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