第19話 哀哭

「……ドラゴンだと?」

膝をついてヘッセンを支えたまま、テオドルは呆然と呟いた。

竜の眷属といえば、高ランクの魔獣の中でも最上級クラスだ。

ベルキースは犬型で中ランクだと認識していたのに、これはどういうことなのか。



ベルキースと思われる白竜は、一度紫灰色の耳をピシリと鳴らして、テオドルを睨んだ。

耳の側に生えた角に、白い火花が散る。

深紅の瞳には轟々と炎が燃え上り、ギチギチと耳に刺さる音で牙を鳴らす。

その様子は普段のベルキースとはかけ離れていて、圧倒的強者の気配を肌で感じて、テオドルは思わずゴクリと唾を飲む。

特徴的には、確かにベルキースと思われる竜だが、もしかしたら別の魔獣なのではないのかという疑問も頭をよぎった。


「……おい、ベルキースなんだろう?」

辛うじて掠れた声で呼びかけるが、竜は怒気をあらわに一歩踏み出した。

隠す気のない牙の間から、青白い炎と共に、怒りの籠もった低い声が溢れる。

「賊め……今すぐヘスティアを離せ」

「ヘスティア……?」

テオドルが名を口にした途端、竜の紫灰色のたてがみが逆立ち、ガッと音を立てて前足を一歩進める。


テオドルがまずいと身構えた時、支えていたヘッセンが、右腕を引きずるようにしてテオドルの前に出た。

「ベルキース、やめろ!」

「…………ヘ……セン…?…ヘスティアは……」

ヘッセンは痛みからか、顔をしかめて立ち上がり、ベルキースの側まで行くと、まだ燃え上がるような瞳を覗き込む。

「ヘスは、もういない」

「…………ヘスティア……」

「……ヘスティアは死んだ」

ビクリと竜の身体が震え、瞳の炎が弱く揺れる。

「もう、いない。ヘスはもう、どこにもいないのだ、ベルキース……」

ヘッセンは左腕で竜の首を抱いた。


オオオ…と低く弱く、嗚咽のような声が竜の口から漏れる。

その声で魔力が散っていくように、竜の身体は少しずつ縮むように小さくなった。


やがて角や鬣が消えて大型犬の姿に戻ると、ベルキースはヘッセンに抱きしめられたまま、放心したように動かなくなった。

ヘッセンはただ腕に力を込めて抱きしめ、濡れたその白い毛に額を擦り付ける。


炎の消え去ったベルキースの瞳から、雨粒と共に静かに涙が流れ落ちた―――。






雨粒は次第にその数を増し、辺りに広がっていた土煙を徐々に消していった。

岩壁破裂はガス溜まりによる小規模爆破だったようで、その後は静けさが戻っていた。


作業場となっていた大岩は、地響きにより大きく傾いて、岩壁から離れていた。

椀状に抉られていた穴には、別の方法でよじ登られねばならないが、下から見た様子からは、崩れて埋もれているようにも見える。


ヘッセンの手から落とされた虹霓石こうげいせきがどうなったのか、今は分からなかった。



ベルキースが元に戻り、テオドルは急いでムルナを迎えに行った。

命じられた通り、雨に濡れながら岩の上で待っていたムルナは、テオドルの姿が見えた途端、負傷した片翼を無理に動かしてその胸に飛び込んだ。

改めてよく見れば、破裂した岩壁部分はここから十分に見ることが出来、異音や振動も感じていたムルナは、相当に心配で心細かったことだろう。


震えながらテオドルの胸にしがみつき、甘えるように頭を擦り付けるムルナが愛おしく、テオドルは置いて行った時よりもそっと、小さな頭を撫でたのだった。




テオドルがムルナを連れて戻る頃になると、雨脚は更に強くなっていた。

この分だと、今夜は本降りになりそうだ。


ヘッセンは雨に濡れながら、辺りに散らばった採掘道具を拾い集めていた。

負傷した右肩を庇っているように見えるが、頭部の傷は大した手当はしていないのだろう。

雨水が横顔を流れると、赤味の混じった色に見える。

「ヘッセン、雨が止んでからにしろよ」

「駄目です。道具だけは回収しなければ」

それは職人の矜持か拘りか。

確かに、テオドルでも剣を落としたら、何が何でも探し出そうとするだろう。


仕方なく手伝おうとすれば、離れた場所で、普段よりしょぼくれて見えるベルキースが、ゆっくりと歩みを進めながら道具を探していた。

しょぼくれて見えるのは、おそらく白く柔らかな毛が雨で濡れているからだけではない。



「……ヘッセン。ベルキースは、一体どういう魔獣だ? ヘスティアってのは、誰なんだ」

テオドルはその疑問をようやく口にした。

腕の中のムルナが、心配そうな瞳で共にヘッセンを見つめている。


ヘッセンの足が止まる。


「……ヘスティアは、亡くなった私の双子の姉です」


僅かに血の混じる雨水が、こめかみから目の横を通って流れた。

ヘッセンは地面に向けていた視線を上げ、落ちているたがねを咥えて拾い上げたベルキースを見た。

「私の隸獣れいじゅうになる前、ベルキースは姉の従魔でした」

「姉さんの……。亡くなって、アンタが従魔を受け継いだってことか?」

「ええ。ヘスの……ヘスティアの遺言でした。ベルキースは、ヘスティアの為にオスになった魔獣なのです」


ムルナが小さくクルと鳴いた。

雌雄同体の魔獣が性を選ぶ時。

それは、つがいを定めた時だ。

ベルキースは、ヘッセンの姉であるヘスティアを愛していたということか。



『ヘスティアッ!』


あの時聞いた、ベルキースの悲痛な叫びを思い出せば、テオドルの胸さえも苦しくなる気分だった。

「しかし、なぜ姉さんはアンタにベルキースを隸獣として残したんだ? 隸獣になれば、アンタの生命と……」

ムルナを抱いているテオドルは、その先を言えずに口籠った。

隸獣は、主人の生命が尽きる時、共に尽きる運命だ。


「それは…」とヘッセンが口中で呟いた時だった。

転がる大岩の上で道具を探していたラッツィーが、チイと鳴いて呼んだ。




ラッツィーがヘッセン達を呼んだ場所には、息も絶え絶えで転がっているトリアンがいたのだった。



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次話で第二章完結です。

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