第18話 事故
トリアンは、全ての神経を魔力読みに集中させる。
ヘッセンが
後少し打ち込めば、あの魔石は岩壁から完全に離れ、完璧な
その直前に、ガスを噴出させるのだ。
今の岩壁の内に溜まるガスでは、大規模な崖崩れのようなことは起こらない。
おそらく、落ちて来る岩石に押し潰されて、ヘッセンとベルキースが死ぬようなことはない。
せいぜい、治療が必要な怪我をするくらいなものだ。
万が一死んだなら、それは事故で、運良く皆で従属契約から外れることが出来るだろう。
トリアンは、ヘッセンを殺すつもりではなかった。
いや、自力で殺せないのは分かっている。
そもそも従魔になった時点で、主人を殺害しようとすれば、まず自分が重大なダメージを受けることになるのだから無理な話だ。
だから、この虹霓石の採掘が失敗すればいいと思っていた。
そう、失敗すればいい。
こんなにも欲している魔石を、目前で失うのだ。
アタシが魔力を読んだから。
そうすれば、どれだけラッツィーが優秀か分かるだろう。
トリアンは、真剣な表情で鏨を握るヘッセンを見下ろす。
いいか、ラッツィーの替えはないと、しっかり心に刻めよ、憎き人間め。
トリアンは無意識に牙を剥いた。
この人間が坊やと
見下ろす先、ヘッセンの立つ乾いた大岩の表面に、ポツリ、ポツリと雨粒が落ちる。
それは黒いシミとなって、ヘッセンの周りに穴を穿っていく。
まるで、彼を奈落の底に飲み込んで行くように……。
……殺すつもりはない。
…………でも、もし。
もしも死んでくれたなら……。
目の前の光景に、
身体に負荷が掛かって、ギギギ、とトリアンは苦しく声を漏らし、魔力読みと伝達が大きく崩れる。
直後、ヘッセンが最後の一打を打ち込み、その左手に虹霓石が落ちた―――。
ボッ、と籠もった音と共に、地響きが起こった。
「!」
突然の振動で立っていた大岩が傾き、ヘッセンは椀状に
ベルキースもまた、共鳴を解く前に足元が傾いた為に、下半身を滑り落として前足で岩面を搔く。
続けて、ボグッ!と固いものが破壊される音が響き、岩壁の上部が内側から破裂した。
発生した穴から、土煙と共に大きさの様々な
身体に負荷が掛かっていたトリアンは、踏ん張ることが出来ずに石塊と共に落ちた。
チィィーーーッ!
作業用の手袋を着けた左手で虹霓石を握ったまま、岩壁に押し付けられた格好で動けなかったヘッセンは、甲高く響いたラッツィーの声に、弾かれたように振り返る。
隣の大岩から大きく助走をつけ、小さな手を精一杯開いて、ヘッセンの方へラッツィーが飛んだ。
◇ ◇ ◇
必死に駆けたラッツィーは、目の前で起こった岩壁破裂に、頭が真っ白になった。
破裂した岩壁の下方に、主人は立っている。
〔主ーーーっ!〕
ラッツィーは先のことは考えずに、最大限の速さで飛び上った。
落ちて来る
驚いて目を見張った主の顔が見えた。
次の瞬間、主人は左手の
◇ ◇ ◇
落ちてきた拳大の
「っ!」
その衝撃で、ヘッセンの意識が飛ぶ。
「ヘッセンッ!」
大岩に這い上がろうとしていたベルキースは、
横腹から無様に落ちたベルキースは、即座に首を振って立ち上がり、大岩を見上げた。
岩壁にもたれ掛かったヘッセンが、ズルリと滑るようにして、崩れ落ちる。
蒼白の顔に、白い横髪を赤く染めながら真っ赤な血が流れ落ちるのが見え、視界から消える。
ベルキースの目は大きく見開かれた。
大岩の向こうに落ちたのなら、すぐにでも駆け寄るべきところだ。
しかし、金縛りにあったように動けない。
ただ、脳裏に忘れたくても忘れられない光景が
ヘッセンとよく似た横顔。
緩く閉じられた瞳。
意識なくだらりと下がる腕。
白い頭髪を染める赤い血液。
「ヘスティアッ!」
悲痛に吐かれた言葉と共に、ブワとベルキースの身体から魔力が立ち上がった。
ラッツィーを追って走ったテオドルは、最初の異音と地響きで、異常を察した。
抱えていたムルナを、手近な場所にある腰高さの岩の上に降ろす。
片翼を畳めていないムルナを置いていくのは心配だが、異変のある場所には連れて行けない。
「ここで待っていろ。いいな!」
言い聞かせて、潤んだ深紅の瞳を隠すように、わし、と一瞬右手で大きく頭を撫でた。
背を向けた時、クルという鳴き声が微かに聞こえた。
ヘッセンが従魔に絶対服従を言い渡す気持ちが、今ならよく分かる。
強く命じてなければ、ムルナは無理にでも
ヘッセンは紛れもなく、己の従魔を守ろうとしているのだ。
二度目の異音が聞こえ、地響きで動いた岩を避ける。
見上げたテオドルは、破裂した岩壁から土煙と石塊が飛ぶのを目撃した。
「どうなってる!?」
ヘッセン達の身を案じながら走り、邪魔な岩々を飛び越えて採掘現場の大岩前に辿り着いた時、岩の上からズルリとヘッセンの身体が頭から滑り落ちた。
テオドルは舌打ちして、ヘッセンの身体に飛び付いた。
さすがに落ちる成人男性の重量を支えきれるものでもなく、共に地面に転げたが、頭部を強打することだけは避けられた。
しかし、すでに負傷している状態を目にして、強く眉根を寄せて叫んだ。
「おいヘッセン! しっかりしろ!」
チィと鳴いて、ヘッセンの腕に抱えられていたラッツィーが這い出てきた。
「ラッツィー!……ヘッセンが守ったのか」
ラッツィーは必死にヘッセンの顔面に垂れた血を尻尾で拭い、小さな手でぺちぺちと頬を叩いた。
ヘッセンの顔が僅かにしかめられる。
「………う…」
「ヘッセン!」
「ヘスティアッ!」
その切羽詰まったような叫びを聞いて、テオドルは勢いよく振り返った。
どこかで聞いたことのある声だと思い、それが一度だけ聞いたベルキースのものだと理解した時には、我が目を疑った。
上から降ってきた土煙によって悪くなった視界に、テオドルよりも二回り程大きな魔獣の姿が浮かび上がる。
大岩の脇からのそりと現れたそれは、
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