第16話 固い声
翌日、風は止んだが、雲の多い日だった。
どうも夜には雨が降りそうだ。
「今日中に、
ヘッセンは朝食の時にそう宣言した。
雨が降れば作業は難しくなる。
その為、最後の繊細な作業を今日中に集中して行うらしい。
「ラッツィー、トリアン、頼むぞ」
二匹に向かって言えば、ラッツィーはチチッと返事をして、トリアンはゆっくりと頷いた。
最高級の魔石採取だ。
作業とは関係ないテオドルでさえも、普段より緊張感を増した朝だった。
◇ ◇ ◇
昼前、集中力の限界に来て、ラッツィーは項垂れて大きく息を吐いた。
「……ラッツィー、先に休憩しろ。トリアンはまだいけるな?」
トリアンは普段よりもずっと集中した様子で頷く。
主人とトリアンがそのまま作業を続けるので、ラッツィーは何も言わずそっとその場を離れた。
ラッツィーは水を飲むために、小川に向かって駆けた。
今日はトリアンにも気合が入っているのか、魔力読みとベルキースへの伝達力が強く、ラッツィーには戸惑いと負担が大きい。
さっきはもう、いつもと違い過ぎてよく分からなくなってしまった。
あれが中ランク同士のやり取りだとすれば、自分が間に入るのは邪魔なだけかもしれない。
小川に着いて水際で止まり、水に映る自分の姿を見つめた。
空の雲は増えて、川面はいつものように眩しく陽光を弾いていない。
予想よりも、雨は早く降り始めそうだった。
〔その内、オレはあんまり必要なくなるのかな…〕
ラッツィーは思わずポツリと零した。
ベルキースとの相性が良いなら、トリアンが魔力読みの主力となってしまうのかもしれない。
そう考えるとちょっと寂しくなったが、主人に不要と言われた訳では無いし、今までちゃんと役に立てていたのだ。
これからだって、やれることをやって、主人の役に立ちたい。
ラッツィーは
ラッツィーは、フンフンと鼻息を荒くして首を振ると、いつものように水面に顔を突っ込んで水を飲んだ。
起き上がって、両手でくるくると顔を拭いていると、ムルナが上空から降りて来た。
喜んで迎えようと思ったが、その様子が緊張しているように感じられて、ラッツィーは耳をピッと立てる。
〔ラッツィー、作業場は大丈夫?
〔もうすぐ休憩だと思うけど…、どうかした?〕
ムルナはぶるると一度震え、羽根を萎ませる。
〔岩壁の辺り、やっぱり何かおかしい。さっきから、この辺りに小動物の姿がないもの〕
採掘が進むほどに不穏に感じるのであれば、やはりここの魔石は掘り出すべきではないのだと、ムルナには思えた。
〔ラッツィーは何も感じなかった?〕
不安気に尋ねられ、ラッツィーはさっきまでの作業を思い返す。
今日はやけにトリアンの読み範囲が広くて、ラッツィーには途中から見えなくなっていた。
こんなことは、今までなかった。
どうしてだろう。
どうしてトリアンは、急にやる気になったのだろう。
今日中に採ると言われたから?
ラッツィーは、昨夜見たトリアンの暗い穴のような瞳を思い出し、背がスウと冷えた心地になった。
〘人間なんて、化け物だ……!〙
トリアンの憎悪に満ちた声が耳に甦る。
〔……まさか?……ううん、そんなことないよね〕
〔ラッツィー?〕
〔とにかくオレ、
〔ワタシも一緒に行って、ベルキースに伝える〕
二匹は一緒に戻ろうと振り返ったが、そこにいる者の姿を見て、ギクリと身体を強張らせた。
〔どこに行くんだい? アンタ達〕
いつの間にかすぐ側まで、トリアンが近付いていた。
クククといつものように笑ったが、その目は少しも笑っていない。
〔……トリアン、どうしてここに……作業は?〕
何とか言葉を発したラッツィーとムルナの方へ、トリアンはスルリと近寄る。
〔どうしても、ちょっと水が飲みたくなってさ〕
下位ランクに通用する威圧の気配をまとわせたトリアンは、それにより動けなくなったムルナを瞬時に尻尾で叩き倒した。
そして、右前足で踏みつけて首を圧迫する。
〔行かせないよ、あそこは危ないからねぇ〕
〔ムルナッ!〕
飛び付こうとしたラッツィーに、トリアンは喉からシィィと震えるような音を響かせた。
それを聞き、トリアンと目を合わせたラッツィーは、ビクリと身体を震わせてその場に崩れ落ちた。
魔獣はそれぞれに特徴的な技を持つ。
自分よりも弱いものにしか強い効果は出ないが、トリアンは麻痺の技を有していた。
〔ト……アン……なん、で…〕
ラッツィーが辛うじて放った質問に、トリアンはスウと目を細めると言った。
〔主人は何としても魔石が欲しいと言ったんだ。アタシはそれに従っているだけ。……それがどんな結果になったって、知ったこっちゃないさ〕
息苦しさに暴れるムルナの翼を左足で踏みつけ、トリアンはラッツィーを見つめたまま、ムルナが意識を失くしてしまうまで、そのまま動かなかった。
止んでいた風が、弱く吹く。
ベルキースは、薄く暗雲が広がり始めた空を見上げる。
天気が悪くなってきたからなのか、どことなく雰囲気が重く感じる。
しかし岩壁を見れば、椀状の穴の奥には、確かに淡く美しい虹色が滲む。
……あれを、手に入れる。
ベルキースは、心の内で固い声で呟く。
同じように、岩壁の前に立つヘッセンは、穴の奥を思い詰めたような瞳で見つめている。
抑えきれない昂ぶりが、普段ならば感じられるはずの感覚を鈍らせていた。
それ程に、ベルキースはあの虹霓石を欲していた。
おそらくは、ヘッセンよりも―――。
スルリ、とトリアンが大岩の上に戻って来た。
〔待たせてすまなかったね〕
〔水は飲めたか?〕
〔ああ、おかげさんでね〕
最後の仕上げの前に、どうしても水を…と、トリアンは少しだけ離れることを許されていたのだった。
〔さあ、魔石を採ってしまおうか〕
トリアンの声が、固く響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます