第15話 葛藤
ザワ、とトリアンの短い
要らない?
何が?
ラッツィー?
なんで?
耳鳴りがしたように、周りの音が籠もって頭の中で反響する。
風の音だけが、はっきりと耳を刺す。
息が荒くなりそうになるのを何とか
「まだだ。もう少し様子を見た方がいい」
「ヘッセン、お前は甘い」
「……この
“虹霓石”と聞いて、ベルキースは小さく唸ってから言った。
「ならば今回限りだ」
トリアンはもう聞いておられず、サッと身を翻した。
同時に強い風が吹いて、防護布の端が
「今夜は風が強いな」
ヘッセンが端を止め直すのを見て、ベルキースは不満気に尻尾を揺らした。
「話をはぐらかすな、ヘッセン。いつまでもラッツィーを補佐に付ける必要はない。トリアンは上手くやれてる。
「分かっている。だが、一緒にいた方が安定しているのは確かだ。せめてこの虹霓石を得るまでは、一緒にやらせる」
ベルキースが大きくブフンと息を吐くので、ヘッセンは軽く顔をしかめる。
「……分かった、今回限りにする。次の採掘現場からは、別々に作業に当たらせる。それで良いだろう?」
不本意ながら、と前置きが付きそうな台詞を聞いて、ベルキースは下からヘッセンを
「まだラッツィーを手元に置くつもりか? ヘッセン、従魔に肩入れしすぎるな。『替えがきく』と思える程度にすると誓ったろう」
ぐっとヘッセンは言葉を飲み込む。
従魔を必要以上に可愛がらない。
それは確かに以前誓ったことだ。
自らが魔獣使いを兼任して、魔石採掘士としてやっていくと決めた以上、側にいる従魔に気持ちを傾け過ぎては仕事に支障が出る。
小型魔獣は、探索に向いているが、ちょっとしたことで生命を落としやすい。
ムルナのように、先行探索で呪いを受けたりすることもあれば、野獣に狩られることもある。
その度に旅を中断し、探索を諦めていれば、効率よく仕事は出来ないのだ。
そうした理由からも、ヘッセンが魔石採掘士として動き始めてから、小型魔獣は度々入れ替えながら旅を続けてきた。
しかし、ムルナとラッツィーを従魔にしてからは、ずっとそのままだ。
ムルナ、ラッツィー、ベルキース、三匹の能力バランスが良いことは勿論、ヘッセンとの相性が良かった。
そして、長く共にいれば、愛着や情が湧くのも当然の結果だ。
「ヘッセン」
「…………分かっている」
「また、死ぬぞ」
「分かってる!」
声は小さいままであったが、思わず語気を荒くしたヘッセンは、今がどんな時間帯だったのかを思い出し、口を
耳聡くテオドルが気付きそうたと思い、すぐに立っていた大岩から降りた。
「もう寝る。ここは任せたからな」
防護布は張ってあるが、念の為ベルキースを見張りに残し、一人テントの方へ戻る。
背中にベルキースの視線を感じたが、無視して歩いた。
テントの側まで戻ると、焚き火の近くで転がっていたはずのテオドルが、案の定起き上がって目を開けていた。
「ケンカか?」
「問題ありません」
肯定も否定もせず、素っ気なく答えたヘッセンは、見透かすように向けられたテオドルの視線を避けてテントの入口を捲る。
テオドルの近くでムルナと共にいたラッツィーが、軽く駆けて来るのが見えた。
しかし、ヘッセンはそれに構わず、テントの中に入ると入口を下ろして閉めたのだった。
◇ ◇ ◇
……今日は閉めちゃった。
ラッツィーは立ち止まってテントの入口を眺めた。
最近の主人は、入口の横幕をぴったりと閉めず、少しだけ隙間を開けて寝ていた。
それは、「入りたかったら入っても良い」と言われているようで、ラッツィーは喜んで毎晩その隙間から入り、テントの隅に丸まって寝ていたのだった。
〔…………本当に、要らないんだ〕
ぽつりと落とされたような声がして、ラッツィーは振り向いて声の主を見た。
立ち尽くしたトリアンが、閉められたテントの入口を見つめている。
その瞳は、ぽっかりと穴が空いたように暗く見え、ラッツィーは一瞬怯むも、ゆっくりと近付いた。
〔トリアン、大丈夫? どうかした?〕
両手を揉みながら聞けば、トリアンはその暗い瞳をラッツィーに向け、顔を歪ませた。
〔ラッツィー、アンタさ……〕
言いかけて、言葉を失くす。
不思議そうに首を傾げるラッツィーに、何と言えば良いというのだろう。
アンタが慕う主人は、もうアンタが要らないんだって。
……そんなことを言って、ラッツィーは信じるだろうか。
いや、例え信じたとして、従魔の自分達に何が出来るだろう。
従魔となったからには、主人の命に従うだけ。
従わなければ死ぬ程の苦痛が与えられるのだ。
そして、従っていても気紛れで捨てられる。
ラッツィーのような貧弱な個体など、今まで主人に庇護されて生きてきたのだから、捨てられれば死ぬのと同義だ。
一緒にいてやりたくても、同時に契約を破棄してくれるわけがない―――。
トリアンは、怒りとも悔しさとも言えない、鬱屈とした思いを喉元で留める。
やっぱり、人間なんて、皆同じだ。
いっそ……。
いっそ、ヘッセンを殺してしまえれば……。
ギギギ、と苦しげな声を出して、トリアンがその場に腰を落とす。
主人を害することを本気で考えれば、息苦しくなった。
〔トリアン? 大丈夫!?〕
急いで寄ったラッツィーが、小さな手をトリアンの背に添える。
この優しい、小さな手。
どうすればいい?
どうすれば守れる?
〔……大丈夫だよ。何ともないさ。それより、アンタさ、どこに行ってたのさ?〕
この内にある気持ちを悟られないよう、トリアンが軽く言えば、ラッツィーはムルナの方を指して言った。
〔ムルナと話してたんだ。……ねえトリアン、何かこの場所、変じゃないかな? 何かオレ、魔力が途切れて感じる所があって……〕
〔途切れて? そりゃあここは……〕
ふと、トリアンは言葉を切った。
魔力が途切れて感じる所。
それは、トリアンにも感じられる。
そして、そこにあるのがガス溜まりだということも、想像が付いていた。
このあたりに岩が多く転がっているのは、過去に落石があったからだが、おそらくその原因は、ガスの噴出によるものだろう。
その噴出後に出来た岩壁内の小さな空洞に、長い年月をかけ、再びガスが溜まってきているのだ。
トリアンは、そろりと視線をテントに向ける。
そうだ、あの人間は、明日もあの場所で、岩を掘る……。
『何としてもこの魔石を採る』
トリアンは暗く濁った深紅の瞳を細める。
そう、主人の命令は、絶対なのだ。
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