第14話 揺らぎ

岩壁に埋まっているのが虹霓石こうげいせきと分かってから、ヘッセンは野営地を採掘場所に近寄せた。

普段は採掘の際に気が散らないよう、生活拠点までの距離を開けておくのだが、すぐに異変に気付けるよう、常に近い場所にいることにしたようだった。


テオドルが護衛の為に立つ場所も、距離を近くする。

虹霓石が岩の中から姿を見せる程、周りで感じる魔力というものは強くなっていくのだという。

特に、魔獣は魔力の変化に敏感だ。

強い魔力に惹かれる魔獣が姿を現すこともあるので、今まで以上に警戒が必要だということだった。



そうして数日、より慎重に採掘作業は続けられた。

懸念された魔獣による襲撃などはなく、ヘッセンの望み通り、虹霓石は椀状の穴の中で、全体のおよそ四分の三を晒していた。




作業中、ラッツィーが魔力を見ることを止めたので、ベルキースが気付いてヘッセンに合図した。

ヘッセンが共鳴を切って上を向けば、ラッツィーは耳と尻尾を項垂れて息をしている。

「……疲れたか?」

集中しての作業が続いている上、虹霓石の影響で、魔力を見続けるラッツィーにも負担がかかる。

「トリアンはどうだ。まだいけるか?」

ラッツィーを見ていたトリアンが、視線をヘッセンに向けて頷いた。

「では、ラッツィーは休みなさい。ここからはトリアンに任せる。……慎重に。いいな?」

流れる汗を拭いて言えば、トリアンは再び頷いた。




◇ ◇ ◇




ラッツィーは小川まで駆けた。

そのまま水に顔を突っ込んでゴクゴクと飲み、起き上がると、ブルルと勢い良く頭を振って水滴を飛ばした。

〔わっ!〕

ちょうど飛んで降りてきたムルナが、水滴に驚いて声を上げる。

〔あっ、ムルナ、ごめん!〕

二匹は笑って水滴を拭い合った。



狐の一件があったので、二匹は水を飲み終わると、すぐに野営地に向かって移動し始めた。


〔ラッツィー大丈夫? 作業に疲れちゃった?〕

〔うん……なんだか、変な感じなんだよね〕

ラッツィーは立ち止まり、低空飛行していたムルナを見上げた。

〔上手く言えないけど、何だか、いつもと感覚が違うんだ。虹霓石こうげいせきが出たからなのかな…。ムルナは今回の場所、何とも思わない?〕


魔石が埋まっている場所を見付けるのは、いつも先行型のムルナの仕事だった。

今回は、初めてトリアンが見付けた場所で採掘をしている。


ムルナはラッツィーの側に降りて、布を巻いた首を少し傾げた。

〔……うん、あのね……実は、私も今回の場所には魔石があるんじゃないかと思ったよ。でも、何となくと思わなかった〕

〔どういうこと?〕

ムルナはつぶらな瞳を何度か瞬いて、説明するべき言葉を探す。

〔空から見ていたら、魔石がありそうな場所は割りと幾つも見つかるの。でも、その全てが掘り出せるわけじゃない。周辺の魔力が滞っていたり、色が悪かったり……そういう所は、止めた方が良い気がするから〕


低ランクの魔獣ほど、危険察知の能力は高い。

その感じ方は様々だが、良くないと感じる“勘”と呼ぶものは、生きていく上で重視するべきものだと感覚で理解している。


〔採掘するべき場所じゃなかったってこと?〕

ラッツィーが不安気に耳を下げると、ムルナは急いで首を振る。

〔分からない。でも、虹霓石が出たのなら、やっぱり掘って良かったのかも……〕

今回、自分は怖がって避けてしまうような場所にも、質の良い魔石が埋まっていることが証明された。

高品質の魔石を求める主人ヘッセンの為には、避けずに全てを報告するべきだったのだろうか。

そうであったのなら、何となく申し訳ないような気持ちにもなる。

〔この感覚を正しく説明できない。……だから、良くわからない〕

〔うん。オレも……〕

説明するにしても、ベルキースからでなければ主人には伝わらないのだ。


二匹はどことなくモヤモヤしたが、『何としてもこの石を採る』と言った主人の様子を思えば、今のこの漠然とした不安感を表には出せない気がしたのだった。





深夜、焚き火の薪が爆ぜる小さな音で、トリアンは目を覚ました。


深い眠りにつける夜など、久しく過ごしていない。

だが、ここ数日、わずかだか穏やかな心地で眠れる時間が増えた気がする。



……あのおまじないのせいだろうか。



穏やかな日々を望んでいるわけではない。

人間を憎み続けるべきだとも思う。

しかし、従魔となった今の生活が、酷く苦しいものではないという事実が、胸の奥を揺らす。


坊やの為にも、怒りを忘れてはいけないのに。

ラッツィーは、坊やではないのに。


それでも、ここにいて、毛を舐めさせて欲しいと思う。

小さくて、温かな生命を、もう一度側に置きたいと願ってしまう。

ラッツィーは、坊やではないのに……。


トリアンはスンと鼻を鳴らした。

そして、ラッツィーの匂いが近くにないことに気付いた。

ああ、そうか、ラッツィーは主人ヘッセンが好きだから、夜はテントにいるのだ。

テントの中で、ヘッセンに添って眠っているのだろうか……。



トリアンは音もなく立ち上がり、スルリと滑るようにテントへ近付く。

鼬鼠イタチは気配なく動くのが得意だ。


もしも、ヘッセンがラッツィーを大事そうに抱いて眠っているのなら。

従魔でいる間は、ラッツィーの言うように、この人間だけは少し信じてみようか……。


トリアンの胸の奥は、揺れ続けていた。




隙間から覗いたテントの中には、誰もいなかった。

いぶかし気に目を細めた時、密やかな声が聞こえて、立てた丸い耳をピクリと動かす。

トリアンは気配を殺したまま、声のした方へ足を進めた。



採掘現場である大岩の上から、声がする。

トリアンは低い姿勢で風下から近付いた。

声の主は、ヘッセンとベルキースだと分かった。


椀状に抉られた岩壁の穴には、発する魔力を少しでも遮るための防護布が張られている。

防護布の端が風ではためいた時、渇いた風の音と共に、ベルキースの声が聞こえた。


「トリアンでも私は問題ない。ラッツィーはもう要らない」

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