第12話 本心
冴える月明かりの下、細い小川の側で、ヘッセンとテオドルは、二人だけで話をしていた。
風もなく、流れるささやかな水音だけが、時折二人の耳に届く。
「魔竜出現以前、この世界には今ほど魔獣は存在しませんでした。知っていますか?」
「ああ。魔竜が世界層を捻じ曲げて出現したことによって、世界の魔力バランスが崩れて魔獣が出現しやすくなった…ってやつだろ?」
太陽と月の兄妹神によって創られたこの世界には、元々魔獣は存在していなかった。
魔獣は、人間の世界と融合しきれなかった、“魔界”という別の世界層で生きる生き物だからだ。
この世界を支える精霊達が、何らかの理由でバランスを崩した時、魔界へと繫がる
「その頃の魔獣は、まさしく“害獣”でした。
見た目は動物と変わらずとも、知恵と魔力を持っていて、人に対して敵愾心を持っていた。
人間は当然、姿を現す魔獣を片っ端から討伐していった。
しかし、ある時魔界から出現した巨大魔竜によって、世界の均衡は壊された。
世界の成り立ちから、多くの人間の国々を導き支配した伝説の国家、“フルブレスカ魔法皇国”を一夜にして滅ぼした魔竜は、封印されるまでの十年弱の間に、この世界を大きく変えた。
その影響で、世界各地に様々な魔獣が現れるようになった。
魔竜が開けた巨大魔穴からも、次々と魔獣が現れ、世界は混乱を増した。
巨大魔穴は、魔法皇国の生き残りと魔術大国が、十数年かけて閉ざすことに成功したとされているが、魔法皇国の遺跡から出てくる魔獣が後を絶たないのは、完全に閉ざすことが出来なかったからだとも言われている。
「後を絶たない魔獣の出現に頭を悩ませた人間は、討伐ではなく、捕らえて使役することを考案し、試し始めました。それが“魔獣使い”の始まりです」
ヘッセンは体勢を変えず、真っ直ぐに立ったまま、月光に輝く水面を見つめていた。
淡々と語る語調には、特に感情は籠もっていないように感じる。
「魔獣には知能があり、感情がある。それは今でこそ魔獣使いには当然の知識ですが、一般的にはあまり知られていません。……いえ、知られていても、人間にとって良いものとは認識されていない」
「“魔獣は害獣”。確かに、農園で働いていた時から、繰り返しそう言われたな」
成人前から農場で働いていたテオドルは、農場内に侵入してくる低ランクの魔獣を、当たり前に狩っていた。
侵入していなくても、農場主は森に近い辺りを常に警戒していたし、実際に傭兵に討伐依頼を出したこともあった。
この先を話すのには力がいるのか、ヘッセンは無意識に一度深呼吸した。
「……今でも、街に暮らす普通の人々にとって、魔獣は害獣以外の何者でもありません。街に魔獣を連れて入るには従魔の証を見せなければなりませんし、街の中で人間に危害を加えれば、殺処分です」
「……殺処分だって?」
「そうです。従魔を持つ者に義務付けられた決まり事」
従魔は人間に従う魔獣。
従えない魔獣は、討伐対象にされるのだ。
ヘッセンは、彼の方を向いて難しい顔をしているテオドルに、視線だけ向ける。
「貴方は、従魔には感情があるのだから、主人に従う意思を持っているなら、状況に合わせて行動しても良いはずだと言いましたが、彼等に感情があるからこそ、どんな状況でも主人の命令に絶対服従であらねばならないのです」
「なぜだ?」
ヘッセンは、視線を元の水面へ戻す。
「……仲間を大事に思うあまり、思わぬ行動に出る。魔獣には、それ程の感情があります。しかし、その感情的な行動を良しとすれば、人間の中ではいつか必ず殺処分対象となってしまうでしょう」
テオドルを救う為に、矢の前に飛び出したムルナ。
ムルナとラッツィーを救うために、全てを放り出して駆けたトリアン。
感情のままに動けば、魔獣に対して好意的でない人間に出くわした時、例え街の中であっても、例え人間が相手であろうとも、彼等は動いてしまうだろう。
「そんなことにならない為にも、あの子達には、どんな時にも主人の命令に絶対服従させる必要があるのです」
ふ、と軽く笑ったような気配を感じて、ヘッセンは眉根を寄せてテオドルを見た。
拳で口元を押さえるテオドルは、何故か嬉しそうに笑っていて、ヘッセンは眉間のシワを深くして憤慨した。
「真面目に話しているのに、何故笑うのです!」
話している内に知らず力の入っていた拳に、更に力を込める。
「いや、悪い。アンタ、やっぱり従魔達が好きなんだな、と思って」
「は? そんなことを言っていないでしょう! 従魔を殺処分されない為の魔獣使いの事情を、何も知らない貴方に仕方なく教えてあげただけですよ」
その憎たらし気に言った言葉すら、いつもより感情が透けて見えて、テオドルは更に喜色を強め、軽くヘッセンを指差した。
「あのな、愛情がなけりゃ、『あの子達』なんて言い方にはならねぇよ、ヘッセン」
「……そっ、……それは……」
話している内に出た、無意識の言葉であったのだろう。
指摘されたヘッセンが、いつになく狼狽えたので、テオドルは「ははっ」と大きく笑う。
そして、ヘッセンが持ち直して言葉を発する前に、向き直って頭を下げた。
「アンタの気持ちも知らず、悪かった」
「だ、だから、そんなことではないと…」
「ああ、アンタがそう言うなら、それでいい」
テオドルは頭を上げて、足元に置いてあった水筒を拾い上げた。
「従魔を守るための“絶対服従”だって、分かったから、それでいいよ」
屈託なく笑うテオドルを前に、ヘッセンは言い訳する言葉を探したが、最終的には諦めたような溜め息をついて首を振った。
「もういいです。貴方と話すと疲れました。ベルキースが痺れを切らしていますから戻ります」
言い捨てて素早く
テオドルは体格の良い肩を竦め、コッソリと笑ったのだった。
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