第10話 襲撃後
トリアンが勝手に採掘現場から離れたことを、ヘッセンは強く罰した。
従属契約違反と断じられたことで、契約に縛られているトリアンは、身体的な苦痛が与えられる。
強い興奮状態のまま地面に押し付けられ、痛みを逃すことも出来ないトリアンは、血の混じる泡を吹き、そこでようやく狐の
「トリアンは、ムルナとラッツィーを助けるために現場を離れたのに、あそこまでする必要があったのか?」
その日の夜、テオドルは焚き火の側に
「私は、現場を離れて良いとは言っていませんでした。従魔は主人の命令に絶対服従でなければならない。命令に背けばどうなるのか、教えることは必要なことです」
いつも通り、道具を並べて手入れをするヘッセンは、温かな炎の色に照らされているのに、とても固い表情に見える。
テオドルの横には、小さな敷物にムルナが座っているが、いつものようにふわりと膨らまず、ただ疲れきったように目を閉じている。
薄く開いた
濃青の羽根に散っていた狐の血は洗い流したが、自身が狐に立ち向かって受けた浅い傷は残っていて、所々
本来なら、危機回避の為に飛んで逃げる場面だったろう。
しかし、狐が細い小川の向こうから飛び掛かってきた時、竦んで動けなくなったラッツィーを庇い、ムルナは翼を広げて立ち向かったのだ。
テオドルの
テオドルの生命力に紐付けされ、基礎能力が強化されていたことが幸いし、狐に即やられることはなかったが、所詮鳥は鳥だ。
狐をわずかに怯ませることは出来ても、撃退は出来なかった。
あわや大惨事……という瞬間に、二匹を助けたのは、突風のように飛び込んできたトリアンだった。
「だが、トリアンが来なければ、ムルナは……いや、もしかしたらラッツィーも喰われてたかもしれないんだぞ?」
言いながら想像して、思わず顔をしかめたテオドルとは対照的に、ヘッセンは無表情なままだ。
「だとしても、状況に合わせてその都度制限を変えることは出来ません。主人の命令に従うのは、どんな時でも絶対でなければならない」
「……魔獣だって、感情があるんだ。アンタに従う意思を持ったままなら、状況に合わせて行動しても良いんじゃないのか?」
「“従う意思”?」
道具を手入れする手元を見ていたヘッセンが、初めて顔を上げた。
「その意思を、どう判断するのです? 感情があるものは、その感情故に嘘だってつける」
冷たくも感じる物言いに、テオドルは苛立ちを抑えること出来なかった。
「信じろよ! アンタの従魔だろうが!」
炎に照らされたヘッセンの顔は、無表情のままだった。
しかし、わずかな顎の動きで、その奥歯が強く噛み締められたことに気付き、テオドルはハッとする。
「……魔獣使いでない貴方には、分からない」
切り捨てた様な一言で、ヘッセンはここでの話を終了させたのだった。
◇ ◇ ◇
深夜。
ハ、ハ、と、ムルナの息が聞こえて、テオドルは急いで水を手の平に注ぐ。
トリアンが狐を引き裂いたことで、狐と対峙していたムルナには、多くの血が飛び散った。
血は呪いを強めることが分かっていて、その為に今は、喉の渇きが増している状態だった。
飲み終わり、そっとテオドルを見上げる。
テオドルが反対の手で頭を撫でると、ムルナは気持ち良さそうに目を細めて、その手の平に嘴を寄せた。
テオドルは濡れた手の平を
驚いて羽根を萎ませたその身体を首元で抱きしめ、目を閉じた。
「……無事で良かった……」
すぐ側で呟かれた言葉が、ムルナの胸に沁みる。
〔テオドル、ワタシ……ワタシ怖かった……〕
ふわりと羽根を膨らませて頭を彼の頬に寄せる。
目を開いたテオドルが、そっと背を撫でてくれたので、ムルナは身体の痛みも喉の渇きも忘れて、クルと鳴いた。
〔ね? 大丈夫だって言っただろ?〕
少し離れた岩の上に座って、ラッツィーがこちらを見ていた。
〔テオドル、やっぱりムルナのこと大好きじゃんか〕
ラッツィーが嬉しそうに頷くので、ムルナの羽根は更にホワホワと膨らんだのだった。
敷物の上に座るムルナの側に来て、両手を揉むようにしながらラッツィーは俯く。
テオドルはさっき、空になった水筒を持って小川の方へ行った。
〔ごめん、ムルナ。オレ、あの時動けなくて……〕
〔いいよ。ラッツィーは狐が一番苦手だって知ってる〕
ラッツィーの両親は、狐に襲われて喰われた。
ラッツィーだけは隠れていて生き延びたが、狐を見るとあの時のことが思い出されて、今でも身が竦んでしまう。
〔助けてくれてありがとう、ムルナ。痛い?〕
ラッツィーが尻尾を撚り合わせ、その先で、ムルナの羽根が
ムルナは、嘴でそっとラッツィーの頭を突付いて言った。
〔大丈夫。でも、お礼はトリアンにも言ってあげて?〕
〔ムルナ……〕
手を離したラッツィーの顔を、ムルナは覗き込む。
〔ラッツィーも気付いたでしょう? あの時トリアンは、ラッツィーしか見ていなかったよ〕
あの時、全速で駆けてきたトリアンは、狐に組み敷かれ、今にも首に喰い付かれそうになっていたムルナではなく、その後ろで竦み上がって動けないラッツィーを見て毛を逆立てた。
そして、燃え上がる怒りと殺気を持って、狐に牙を突き立てたのだ。
〔トリアンは、ラッツィーを助けに来たんだよ〕
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