第9話 襲撃

大小様々な岩石が転がる谷底を、ラッツィーは器用に飛び跳ねながら駆けて、細い川まで辿り着いた。

ほんの少し下流の水際に、青い鳥の姿を見つけ、名を呼んで駆け寄る。


〔ムルナ〕

どこか悲しげに項垂れていたムルナは、ラッツィーの声を聞き、驚いて顔を上げた。

〔ラッツィー、どうしたの? 仕事は? 何かあった?〕

ムルナのことを気にして来たというのに、顔を合わせた途端にラッツィーのことを心配して声を掛ける。

そんな優しいムルナが、ラッツィーは好きだった。

〔何もないよ。でも、あるじがムルナの側に行けって言ったんだ〕

主様あるじさまが…?〕

〔うん〕



ムルナは少しだけ下を向いた。

ラッツィーは三本の尻尾をり合わせ、その先を所在なさ気にゆらゆらと揺らす。

〔……主様は、優しい。ワタシはもう、主様の従魔じゃなくなったのに〕

〔うん、主は優しい。……でも、最近特に優しくなったのは、テオドルのせいじゃないかな〕

ムルナが弾かれたように顔を上げた。

〔ちょっと…いや、すごくムカツクけどな!〕

ラッツィーが鼻息荒く両腕を組めば、ムルナはクル、と小さく鳴いて笑う。

〔テオドルと一緒にいるようになって、主様も楽しそうだものね〕


ラッツィーも思っていた。

前はほとんど見ることの出来なかった主人の笑顔が、最近は時々見られる。

ラッツィーにとって、それはとても嬉しいことだ。


ただ、笑顔を引き出したのが自分でないことは、少しだけ残念だった。



ラッツィーは両腕を解いて、ムルナの顔を覗き込んだ。

〔ムルナ、テオドルとつがいになりたいのか?〕

〔ち、違う!〕

ムルナの羽根がブワッと膨らむ。

〔テオドルは人間だもの、そんなこと考えてない!……でも……、気付いたら、変態していた……〕


意図したことではなかったけれど、勝手にそうなっていた。

つまりは、身体の変化を起こす程、気持ちが大きくなったということなのだろう。


〔ワタシ、元に戻れないかな……〕

〔え! なんでっ!?〕

驚いてラッツィーが聞けば、ムルナは羽根を萎めた。

〔困らせるの、いやだ……〕


『ごめんな』なんて、言わせたくなかったのに。



〔大丈夫だよ、このままで!〕

力強くラッツィーが言うので、ムルナは瞬いた。

〔困らないよ! だってさ、アイツ、ムルナのことめちゃくちゃ好きじゃんか!!〕

〔め、めちゃ……好き!?〕

ムルナが再びボワッと膨らんだ。

周りにポポポッと綿毛が飛ぶ。

〔あは! ムルナ、カワイ〜!〕



ラッツィーが笑って、ムルナに飛び付こうとした時だった。

側を流れる小川で、魚が跳ねたように、パシャと小さく音がした。


反射的にそちらを向いた二匹に、川向こうから飢えた狐が飛び掛かろうとしていた―――。




◇ ◇ ◇




採掘作業中だったヘッセンは、きりの良いところで、一旦手を止めた。

共鳴を解くと、こめかみから汗が流れ、頬を伝う。

ベルキースと共鳴しての作業は、非常に集中力を必要とするので、ただ作業をするよりもずっと体力を削られる。


通常、魔術素質があっても、人間には魔力を正確に捉えきれない。

しかしヘッセンは、隷獣ベルキースと共鳴することによって、それを正確に見て作業することが出来た。



ラッツィー抜きでトリアンと作業するのは初めてだからか、ヘッセンは普段より疲れを感じた。

一旦休憩を挟むべきかと、岩壁沿いに上を向いた途端、そこにいたはずのトリアンが視界の端を駆け抜ける。

「っ!? トリアン!」

制止の声をかける前に、トリアンは風のように走り去った。




時折ヘッセン達の姿を視界に入れつつ、周囲を警戒していたテオドルは、少し前にラッツィーがムルナのいる小川の方へ走って行ったのは見ていた。

何事もなくヘッセンが作業を続けているということは、彼が容認したのだろう。


今頃、ラッツィーは元気のないムルナをぎゅうと抱きしめて、元気付けようとしているのだろうか……。


テオドルが知らず唇を噛んだ時、小川の方角から、チィーと切羽詰まった声と共に、バサバサと乱れくうを切る羽音が聴こえた。

同時に、背筋がゾッと冷え、テオドルはムルナに何かあったと分かって、次の瞬間には駆け出していた。



一つ目の岩石を越す時、真横を、一陣の風のように小麦色の影が擦り抜けた。

それがトリアンだと気付き、テオドルは胸騒ぎを大きくして、中くらいの岩石に足をかけて飛び越える。

石と岩だらけの谷底を、テオドルは実に器用に駆け抜けた。

一足進む毎に近付く獣達の争う気配に、焦りが込み上げる。

最後の岩石を飛び越えようと、手足をついた瞬間、獣のギャウッという断末の叫びが聞こえた。



テオドルは、長閑のどかなはずの小川まで飛び出した。

そして目の前の光景に、一瞬血の気が引く。 



川原のゴツゴツとした石の上には、多くの青い羽が散っていた。

興奮して、広げた翼を地面の上で激しくバタつかせる、血だらけのムルナ。

その後ろで縮こまったラッツィー。


そして、その側で、引き裂かれて絶命した狐を強く噛んだまま、執拗に地面に叩きつけているトリアンがいた。



「ムルナ! ラッツィー!」

駆け寄ると、興奮したままのムルナが、フッフッと威嚇する。

「ムルナ! ムルナ、俺だ!」

何度か声を掛けると、ムルナはようやく気づき、テオドルに飛びついて翼を閉じた。

どうやら大きな怪我はないようだ。

固まったままのラッツィーも、テオドルは片手で掬い上げる。


「トリアン、もうやめろ! そいつは死んでる!」

狐の半身から血を撒き散らし、自身の小麦色の毛も血だらけにしたトリアンは、その牙の隙間からフーフーと荒い息を吐きながら、テオドルを睨みつけた。

深紅の瞳は、かたきを見る様な憎悪と敵意に満ちていて、すぐにでも飛び掛かって来そうに見え、テオドルはムルナを降ろして剣を手にするべきだと悟った。


しかし次の瞬間、トリアンの身体は、強く上から押さえ付けられたように、不自然に地面に伏した。

まるで、急にそこだけ重力が増したようだった。



「場を離れて良いと主人は命じていないぞ、トリアン!」

岩石の間から遅れて姿を表したヘッセンが、金の指輪魔術発動体を着けた右手を、トリアンに向けてかざしていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る