第8話 変態 ⑵

昼の休憩を終え、採掘作業を再開したヘッセン達から少し離れて、テオドルは絶壁のような岩壁近くに立っていた。

いつも採掘時に離れて立つよりは、近い位置だ。

ヘッセン達の姿を捉えつつ、周りを警戒できる場所を探して、結局ここに落ち着いている。


この辺りには大きな木はないが、テオドルの背よりも高さのある岩の塊が幾つも転がっているので、見通しは良くない。

これ以上離れると、岩が邪魔でヘッセン達の姿が隠れてしまうのだ。

気が散るからもっと離れていて欲しい、というようなことを匂わされたが、対象が見えないのでは護衛にならないのだから仕方がない。



ふと、少し離れた岩の上に止まる、ムルナの姿が視界に入った。


近過ぎず遠過ぎずのその距離は、以前テオドルが生のラッカスの実を食べた時のようだ。

「……ムルナ、おいで」

テオドルが腕を持ち上げて呼べば、ムルナは一拍置いて飛び上がったが、腕には止まらずに足元に降り立った。

そして、項垂れるように下を向く。

テオドルは眉尻を下げた。



ムルナが今まで雌雄同体であったことにも驚いたが、メスになったことにも驚いた。

そして、その理由も。


『ムルナは、貴方をつがいとして認識したのですよ』


ヘッセンにそう言われ、心底驚いたテオドルを、従魔達までも残念な奴だと言わんばかりの視線で見ていた。

ムルナが人間の自分をオスとして認識するなど、想像もしていなかったのだから仕方がないではないか。

テオドルにとっては、まさしく青天の霹靂へきれきだったのだ。



テオドルはムルナを両手で持ち上げる。

ムルナのくちばし下から胸にかけて、確かに羽根の色が変わってた。


ヘッセン曰く、雌雄同体の魔獣は、全身ほぼ同じ毛色なのだという。

成長して変態すれば、身体の一部の毛色が変わる。

耳や尻尾の色が違うベルキースも、たてがみだけ色が違うトリアンも、その性別を変態してきたのだろう。


ムルナのつぶらな瞳は、禍々しいと言われる血の色であるはずなのに、今はとても不安気に揺れている。

「ムルナ、お前、人間の俺なんか番にならないだろ。他に同族でいい奴見つかるかもしれないのに……」

言いかけて、言葉を飲み込む。


ムルナはテオドルの隷獣れいじゅうになった。

この先、死ぬまでテオドルの生命に紐付けられているのだ。

同族の相応しい相手を見つけろと言っても、例え見つけられたとして、添えるだろうか。


しかし、既に隷属契約は成った。

どんなに後悔しても、ムルナを放してやることは出来ない。



……いや、放せると言われても、今更放してやれるのか。

この真っ直ぐに向けられた、情というものを知ってしまったのに……。



「……ごめんな」

テオドルが呟くと、ムルナは一瞬柔らかな羽根を萎ませた。

クルと弱々しく鳴いて、テオドルの手に嘴を擦り付けると、そのまま飛び立った。


幾つも転がる大きな岩石に阻まれて、その青い姿はすぐに見えなくなった。

飛んで行ったのは、細く流れる川がある方だ。

そもそもムルナには、目視出来る程度の距離しか離れてはならないと命じてある。

それは、ヘッセンの従魔であった頃から継続したもので、その身に呪いを受けたムルナが、離れた場所で動けなくなることを危惧して、特別に設けられた制約だった。


ムルナを隷獣としても、その関係を維持する為に、結局はヘッセンに多くを助けられている。

テオドルは大きく息を吐いて、額を押さえた。




◇ ◇ ◇




〔ムルナがメスになって、ショックなのかい?〕

不意にトリアンに言われて、岩壁に手足をついていたラッツィーは、視線を上げる。

側に顔を寄せて、トリアンがラッツィーの様子をうかがっていた。


〔別に。ムルナがテオドルのとを好きになってるって、もうずっと前から分かってた〕

ラッツィーは答えて、一度岩壁内を流れる魔力に集中したが、再び言葉を発した。

〔ただ、変態する程誰かを想うって、どんな感覚なんだろうって、思っただけ……〕

正直に言えば、ムルナが変態して、自分だけ置いていかれたような気持ちがないわけではない。

たが、性別がどうであってもムルナはムルナで、仲間としてムルナのことが大好きなのだ。


ラッツィー自身は、まだ雌雄同体のままだ。

魔獣の中には、つがいを見つけず雌雄同体のまま生命を終える者もいるし、種類によっては単体で子を産む者すらいる。

ラッツィーが生まれた時には両親がいたので、自分も変態出来る種であることは知っていたが、いつか自分が変態するところは想像出来ない。



〔誰かを好きになるのだとしても、人間なんかをそれ程好きになるなんて、ムルナあの子はとんでもない馬鹿だと思うね〕


聞こえたトリアンの声は憎々し気で、ラッツィーは驚いて視線を上げた。

いつだってこちらをからかう様な態度であったのに、今目の前にいる鼬鼠イタチは、普段隠してある棘を晒すように、冷たくて痛い雰囲気をまとっていた。

〔人間なんて、アタシ達とは全く違う、相容れない生き物だよ。元々同じ世界に住んでいたわけでもない、怪物みたいなモン。ああ、化け物さ〕

〔そんなことない!……いや…、そんな奴もいるって知ってるけど、全部じゃないし! あるじみたいに優しい人も、テオドルみたいに変な奴だっているもんっ!〕



「ラッツィー!」


主人に突然名を呼ばれて、ラッツィーは文字通り飛び上がった。

下方で採掘作業をしていたヘッセンが、こちらを睨んていた。

「集中出来ないなら邪魔だ。作業から離れなさい」

〔あ、主、ごめんなさい!〕

両手を揉むようにして急いで謝れば、ヘッセンはフイと視線を逸らした。

「今からはトリアンに任せる。お前は頭を冷やして来なさい」


主の口調は厳しい。

しかし、その内容を反芻はんすうして、ラッツィーはチッと鳴いた。

ピョンと大きく跳ねて岩壁から軽々飛び降りると、三本の尻尾をなびかせて素早く走り去った。



なにか言いた気に、ピシと、ベルキースが尻尾で足下を打つ。

ヘッセンはそれを見ない振りをして、トリアンに命じた。

「トリアン、この魔石を無事掘り出す為に、お前が魔力を読んでベルキースに伝えなさい。出来るな?」


トリアンはしばらく動かなかったが、コクリと頷いて魔力の流れに集中したのだった。




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