第7話 変態 ⑴

この場所に腰を据えてから、数日経った。

採掘作業は順調のようだが、トリアンとの感覚を掴むために、ヘッセンは普段よりも更に慎重に作業を進めていた。



昼の休憩中、テオドルが手の平に水を溜めてムルナに与えているのを見て、ヘッセンが口を開いた。

「水場は近くにあるのに、なぜ行かせないのです?」

「こうやって水が飲みたいって言うからな」

テオドルが、自分の手の平と水筒を指先で突付く。

「こうやって、くちばしで突付くんだ。手の平で飲ませて欲しいってことだろ? 可愛いじゃないか」


飲み終わり、水滴だけ残った左手の平を払い、テオドルは反対の手の指先で、ムルナの濡れた嘴をぬぐった。

ムルナの羽根がブワリと膨らみ、深紅のつぶらな瞳を素早く瞬く。


「あまり甘やかさない方がいい」

ヘッセンが溜め息混じりに言えば、テオドルは腰の辺りで手の平をゴシゴシと擦り、大きく笑う。

くな、妬くな!」

「は? なぜ私が妬く必要が?」

「アンタも本当は、従魔に甘えて欲しいんじゃないのか?」

半分本気、半分からかうつもりで言ったのだが、ヘッセンはテオドルが思った以上に不機嫌そうに頭を振った。

「くだらない。従魔は愛玩動物ではないのですから、そんな甘えは必要ありませんよ」

「……へぇ? そんなもんかね」



テオドルは、ヘッセンが決して言葉通りの気持ちではないだろうと思っていた。

べったり甘やかすようなことはなくとも、彼は彼なりの気配りのようなものを、時折見せる。

何より、「従魔は替えがきく」などと使い捨てのように言うくせに、彼等を過度に働かせはしないし、時折労うように、魔石の粒を与えたりもする。

欠片であっても、決して安いものではない魔石をだ。


ヘッセンはきっと、己の従魔を“愛しい”とまではいかずとも、好ましく思っている。


ムルナと隷属れいぞく契約で繋げられたテオドルは、今はそう感じている。

しかし、ヘッセンは何故かそれを認めたがらない。

いや、どちらかと言うと、そう思うべきではないと、自分自身に言い聞かせているようにも感じる。

だから、無理に認めさせるような真似はしなかった。


……少なくとも今は。

まだ、互いに知らないことが多すぎる。




◇ ◇ ◇




ムルナは栗色のくちばしを、小さく開けては閉めて、を繰り返していた。


この前、テオドルに水を頂戴と水筒を突付いたら、すぐ側に容器がなかったからか、前の様に手の平で水をくれた。


……その水が、美味しくて。


とても美味しくて、またそうやって飲ませて欲しいと思ったのだ。

だから、水筒を突付いて、テオドルの手も突付いてみた。

そうしたら、彼はムルナの意図をすぐに理解してくれて、手の平に水を溜めてくれるようになった。



〔ム〜ル〜ナ〜〕

ラッツィーが軽く跳ねて来て、ムルナが薄く開いた嘴にくるりと尻尾を巻き付けた。

〔『可愛い』だってさ! テオドルに甘えてるのか?〕

ムルナが濃青の羽根をブワッと膨らませた。

落ち着かないように首を動かすムルナは、こころなしか、普段よりも体温が高く感じる。

〔あっ、甘えてなんか…………、えと、甘えちゃだめかな……〕

〔あは、ムルナったら!〕

ラッツィーはチィと笑ってムルナに抱きつく……いや、抱きつこうとして止まった。


〔あれ? ムルナ、ここ、こんな色だったっけ?〕

色の濃淡は多少あっても、ムルナの羽根は今まで全身青だったはずだが、目の前の羽根は色が変わっている。

ラッツィーがいつも抱きつく首周りの一部、嘴の下から胸にかけての羽根が、淡い黄色になっているのだ。

〔ムルナ、羽根の色変わってるよ〕


いつも通り腹這いになって寛いでいたベルキースの耳が動いた。

下げていた頭を起こし、ムルナに視線を向けると、わずかに喉の奥を鳴らしてから、側で堅パンをかじっているヘッセンに向かって言った。


「ヘッセン、ムルナがメスになっているぞ」



その言葉に、人間二人は驚いてベルキースの方を向く。

「喋った!?」

テオドルに至っては、同時に持っていたヘラを落とした。


「おい、ヘッセン! ベルキースって、喋れたのか? ってか、喋れるのは高ランク以上じゃなかったのか!?」

「ベルキースは特殊なのです。それはいいから!」

“特殊”の一言であっさり済ませて、ヘッセンは立ち上がると、困惑するテオドルの前を通り、ムルナを両手で持ち上げる。

そして、色の変わっている羽根を確かめると、ムルナの下腹部に手を伸ばした。



〔◇▷☆○▽□ーーーッッ!!!〕



グギョーッ、だか、ピギャーッだか分からない声を上げて、ムルナが両の翼を広げてヘッセンの顔をバシバシと叩いた。

思わず緩んだ手から飛んで逃げ、テオドルの胸に飛び込む。

「な、なんだ!? どうした!?」


フッフッと興奮した樣子のムルナを宥めながら、困惑の表情のままテオドルが見上げれば、ヘッセンはムルナを一瞥いちべつして溜め息をついた。


「……ムルナが、雌になっています」

「はぁ? 前から雌じゃなかったのか?」

よりボサボサになった髪の毛を撫で付けて、ヘッセンは首を振る。

「魔獣は基本的に、生まれた時から雌雄同体です。成長してつがいを見つけた時に、どちらかの性に変態するのです」



つがい

つまり、ムルナは添うべき相手を見つけたということだ。


テオドルは、自分の胸に縋り付くように止まるムルナを見下ろす。

そして、再び顔を上げると、大きく眉根を寄せた。



「相手はラッツィーかっ!?」



ヂィィーーッ!とラッツィーが鳴いた。

それと同時に、深い深い溜め息をついて、ヘッセンがゴミを見るような目でテオドルを見下ろしたのだった。

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