第2話 鼬鼠(イタチ)
谷間で次の採掘地点を探していたヘッセン達は、陽光が弱まってきた頃、この日の野営場所を決めた。
テントの前で、採掘道具の手入れをするヘッセンの側には、ベルキースが地面に腹這いになって目を閉じている。
紫灰色の三角の耳が、ピクリ、ピクリと動くのは、目を閉じていても多くのことに意識を向けているからだろうか。
焚き火の側では、相変わらずテオドルが夕食の調理をしていた。
肉と乾燥野菜を突っ込んで煮込んだ鍋に、彼は鼻歌混じりにヘラを差し入れて混ぜる。
その手首には、街で購入した真新しい金の腕輪がはめられていて、極小粒の魔石が三つ並んで付いていた。
ムルナを
少し離れた場所に敷かれた敷物の上には、青い鳥のムルナが、ふわりと羽根を膨らませて座っている。
谷底の地面はゴツゴツとした岩ばかりで、所々に草は生えていても、柔らかな下生えはない。
小さな敷物は、こんな時の為にと、これまたテオドルが街で購入したものだった。
テオドルの鼻歌が聞こえて、ムルナはつぶらな瞳を瞬いた。
彼の鼻歌に合わせてか、クルル、クルルとくすぐったい声で何度も鳴くので、テオドルは振り返り、軽く声を立てて笑う。
温かな湯気と煮込まれたスープの香りが辺りに広がる。
流れてきた香りに、腹這いになっていベルキースが、うっすら目を開いてスンスンと鼻を動かした。
気付いたヘッセンがベルキースをちらりと見て、薄く笑った。
温かで穏やかな、夕暮れのひととき。
しかし、しばらくすると、テオドルが気の毒そうな声で、その雰囲気に水を差した。
「……なあ、ヘッセン。あれ、止めなくていいのか?」
ヘラを持たない方の手で指したのは、焚き火から少し離れた先でくっつく、
くっつく、と言っても、一方的にトリアンがくっついている。
ラッツィーの尻尾の根元を片足で押さえ、動けないその背を舐めていた。
「毛繕いをして親睦を深めているのでしょう?」
ヘッセンは
「ラッツィーはあんまり喜んでなさそうに見えるんだけどな…」
◇ ◇ ◇
確かに毛繕いしているようではあるが、本来
鼬鼠は当たり前に怖い。
しかも魔獣のトリアンは、普通の鼬鼠に比べると格段に大きいのだ。
数日前に仲間になったばかりのトリアンには、まだ気を許せるほどラッツィーは慣れていない。
側に寄られると、自然と身体は
しかし、トリアンはそれを面白そうに眺めては、事ある
〔……ト、トリアン、もういいってば〕
〔そう言いなさんな。アタシはアンタと早く仲良くなりたいのさ〕
やや吊り上がった深紅の瞳をスウと細めて、トリアンはまたベロリとラッツィーの背を舐める。
同時に熱い吐息を首筋に感じ、ラッツィーの身体により力が入る。
〔じゃあせめて、尻尾から足を除けてよっ!〕
必死な様子で言えば、クククと喉の奥を鳴らして、トリアンは手を除けた。
〔いいけど、逃げないでよね〕
ラッツィーは急いで三本の尻尾を自分の身体の前にやり、まとめて両腕で抱き締める。
ふわふわの尻尾は、緊張のせいでブワと乱れて膨れている。
主人が新しい従魔としたのなら、トリアンと共に生活することにも慣れなければならない。
初めはベルキースだって怖かった。
それでも、今ではその背にヒョイと乗れるくらいに慣れることが出来たのだから、トリアンにもその内慣れることが出来るだろう。
またベロリと舐められて、ラッツィーは尻尾を抱きしめる腕に力を込める。
そうは言っても、今はまだ怖いのだ。
キュッと目を閉じた時、固い声がした。
〔トリアン。もうやめてあげて〕
声掛けをしたのは、敷物に座るムルナだ。
その声は小さくて、わずかに震えている。
ムルナもまた、捕食される側の最弱魔獣だ。
大きな鼬鼠型の魔獣が側にいれば、恐ろしさに身体は竦む。
それでも、ラッツィーが怖がっているのに気付いて、トリアンを
トリアンは、ムルナを見て片目を吊り上げる。
〔お前、馴れ馴れしく名を呼ぶんじゃないよ〕
その声に、ムルナはビクリと身体を震わせた。
〔……ごめんなさい。でも、ラッツィーは、怖がっている……〕
再び言ったムルナに、トリアンはわずかに白い牙を覗かせた。
〔まだ慣れていないだけだろう? だから、早く仲良くなろうとしているんじゃないか。こちらの従魔じゃないくせに、余計な口を挟むんじゃないよ〕
間近で覗いた牙を見て、ラッツィーはパッと駆けてムルナの側に寄った。
緊張で羽根をぺしゃんこにした身体をぎゅうと抱き締めて、トリアンを上目に見て言う。
〔ムルナはこの間まで
〔でも今は違うんだろう? アタシが主人に命じられたのは、“従魔同士の殺傷を禁ずる”ことさ。主人の従魔でなければ……喰ったって違反じゃないよねぇ〕
トリアンが深紅の瞳を細め、ベロリと長い舌で口周りを舐め上げた。
ラッツィーとムルナが、身を寄せ合ってぶるると震える。
〔確かにムルナはテオドルの
主人の側からベルキースの声がして、三匹はそちらに視線を向ける。
ベルキースは腹這いになって、前足の上に顎を乗せたままだったが、その目はしっかりとトリアンを見ていた。
〔従魔ではなくなったが、未だその役割から外れていない。……喰うな〕
クククとトリアンが楽しそうに笑う。
〔冗談だよ。ちゃんとあの鳥も従魔扱いしろと言われてる〕
愛想よく返事をして、トリアンは自分の前足を持ち上げると、ペロペロと舐め始めた。
中ランクの二匹が、完全にこちらを意識の外にやったのを感じ、ラッツィーとムルナは、共に安堵の息を漏らしたのだった。
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