第15話 道連れ
翌朝、あらかた荷物の片付いている野営地の側で、テオドルはヘッセンに食って掛かった。
「ムルナを置いて行くって、どういうことだよっ!?」
「言葉通りです。ムルナはもう飛べない」
「飛べないなら、運んでやれば良いだろう! あんなに軽いのに……」
「ムルナは愛玩動物ではありません」
ヘッセンが立ち上がって、テオドルを睨んだ。
厚い眼鏡の向こうで、釣り上がる目尻に険が滲む。
「私は探索魔獣としてムルナと従属契約を交わしました。その役割が果たせないのなら、契約が破棄されるのは当然でしょう」
テオドルが目を見開く。
「……まさか、契約破棄したのか?」
「ええ」
「ヘッセンッ!」
掴みかかろうとしたテオドルの前に、ベルキースが割り込んで唸った。
間を詰められず留まったテオドルを正面に見て、ヘッセンは語調を強めて繰り返す。
「テオドル、ムルナは愛玩動物ではありません。魔獣です」
「そんなことは分かってる!」
「いいえ、分かっていない! 人間は魔獣を忌み嫌う。それ故に、従魔となって初めて側に置けるのです。従魔でなければ街にも入れてやれない。例えこのまま連れ歩いても、
テオドルは言葉を詰まらせた。
従魔である証を見せなければ、街に魔獣は連れて入れない。
例え連れて入れたとしても、人間のように神殿で回復することさえ出来ないのだ。
「……それならせめて、看取ってから出発しても……」
声を絞り出したテオドルに、ヘッセンは溜め息をつく。
「別れはもう済ませました。魔石の納期がありますから私は出発しますが、貴方が看取りたいと言うなら、好きにして下さい」
ヘッセンはまだ地面に置かれてあったテオドルの荷に、小袋を捩じ込む。
ジャラと小さく硬い音を立てたそれは、おそらく硬貨が入っているのだろう。
「護衛契約は街までですが、貴方が残るならここまでで結構です。完遂報酬を差し引いた分を入れておきましたから」
投げ渡された荷物を、テオドルは手にしたまま
置いて行けないという気持ちは強い。
しかし、だからといって何が出来るのだろう。
回復も出来ないのに連れて歩くことは、ムルナの苦痛を増すことになるだけなのかもしれない。
「何も……出来ない……」
今まで生きてきて、理不尽な思いは何度も感じてきた。
今回だって、飲み込むしかない。
奥歯を強く噛み締めて、テオドルは荷袋を背負う。
重い荷物は、痺れの残る肩に、いつにも増して食い込む気がして、更に奥歯に力を込めた。
下生えに座ったムルナがつぶらな瞳で見上げた。
クル…と小さく鳴いて、栗色の
その隙間から、ハ、ハと細く苦し気な息が漏れ聞こえ、テオドルは堪らず水筒を手にした。
「……最後に水をやってもいいか」
「……ご自由に。ムルナはもう私の従魔ではないので」
素っ気ないヘッセンの言葉を、今は非難する気にはなれない。
ここにムルナを置いて行く決断をした自分に、そんな資格はないだろう。
テオドルは左手の平を深皿のように少し丸め、水筒から水を注ぐ。
そして、その手をムルナの前にそっと寄せた。
ムルナはテオドルを見つめて、嬉しそうにつぶらな瞳を細めた。
そして、手の平の水に嘴を差し入れて飲んだ。
突如、テオドルとムルナの足元に、青味がかった白い光の円が浮かび上がる。
「何だ!?」
「立つなっ!」
腰を浮かせかけたテオドルに向けて、ヘッセンが一喝した。
光はテオドルとムルナを囲むように一周すると、中心に向けて複雑な紋様を書きながら、輝きを増していく。
増幅した光が、弾けるように二つに分かれた。
一つは眩しさに目を細めたテオドルの胸に、もう一つはムルナの身体に届き、その瞬間、光は消え失せた。
「……今のは……なんだ?」
まだ目が
クルルと軽く鳴き声がして、ハッとして下を向けば、ムルナが頭を持ち上げ、テオドルを見上げていた。
その瞳は深紅であるのに、まるでさっきの光に力を得たように輝いている。
チチッとラッツィーが嬉しそうに鳴いて、軽く駆けて来た。
ムルナの首に一度抱きついてから、その小さな手に持っていた
ムルナは進んで嘴を開き、それを飲み込んだ。
「ムルナ!?」
明らかに先程よりも元気になったムルナに、テオドルは驚きと喜び混じりに目を見開く。
「やってみるものですね。これは新しい発見です」
後ろからヘッセンの満足そうな声がして、我に返ったテオドルが振り返る。
「アンタの仕業か? 一体何が起こったんだ?」
「
「れ、隷属契約? 誰と、誰が?」
予想のついているであろう問いかけに、ヘッセンは呆れたように軽く笑って指を差す。
「貴方と、ムルナが、でしょう」
「はあっ!? 聞いてないぞ! ってか、俺は魔術素質なんかねえ!」
「ええ。だから、新しいやり方で試しました。上手くいく保証はなかったので、説明は今朝ムルナにだけしました」
「はあぁっ!?」
大声に顔をしかめながら、ヘッセンはテオドルの背負う荷物から報酬の入った小袋を引っ張り出す。
そこから金の腕輪を出すと、当然のようにテオドルの手首にはめた。
「これって……」
「似合いませんね」
「そういうことじゃねぇ!」
ああうるさい、と口中で言って、より顔をしかめたヘッセンは、腕輪を
この腕輪は、偽採掘士が腕にしていたものだ。
「新しいやり方を応用したのです。魔術陣さえ用意すれば、魔術素質の有無は発動体と魔石でカバー出来るかと。……
『受け入れている』と言われて、テオドルは弾かれたようにムルナを見下ろした。
ぎゅうぎゅうとムルナを抱き締めていたラッツィーが離れると、ムルナは座り込んでいた草の上で立ち上がり、首を傾げる。
つぶらな瞳は真っ直ぐにテオドルの目を見つめていて、クルル、と柔らかく鳴く。
ふっと頬を緩め、テオドルは目を細めた。
「まあ、これからは持続的に魔力の供給が必要ですが、報酬の一部を私が
「……なにアンタの護衛を続けること前提で話してんだよ」
テオドルが半眼で睨めば、ヘッセンは軽く肩をすくめる。
「辞めるならご自由に。ムルナの生命は貴方に紐付けされたことだけはお忘れなく」
テオドルは呆れたように口を開ける。
わずかに間を開けて、テオドルが爆笑した。
「はははっ! まったく、何もかも勝手にしやがって。ああ、いいさ! アンタみたいな偏屈野郎、他に護衛が続かないだろうから面倒見てやるよ」
今度はヘッセンが半眼になったが、隣にお座りしたベルキースに尻尾でパシリと手を叩かれて、目線を泳がせる。
ベルキースもまた、呆れたようにブフンと鼻息を吐いた。
◇ ◇ ◇
……もう少し水が飲みたいな。
下生えに置かれたままの水筒を、ムルナが
ムルナはその水を嘴で掬い上げて飲み込み、傭兵を見上げた。
そして、人には聞こえない声で、そっと傭兵に語り掛ける。
〔とても美味しい。ありがとう……テオドル〕
テオドルは、大きく笑ってムルナの背を撫でた。
《 第一章 ムルナの水 終 》
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