第13話 衰弱
クロスボウの矢は、ムルナの翼の付け根近くに刺さっていた。
翼が折れていなかったのは幸いだった。
矢を引き抜き、手当てをする。
魔獣に神聖魔法は効かなくても、傷薬は効果がある。
しかし、魔法のようにすぐには癒えないので、手当てが終わってもムルナはぐったりとしたままだった。
「薬以外で、回復させてやる手段はないのか?」
手当てを見守っていたテオドルが言えば、既に荷物から小箱を出していたヘッセンが軽く溜め息をついた。
「魔石を取り込めば、回復には繋がりますが…」
小箱の中には小指の爪ほどの魔石が並んでいた。
ヘッセンがその内の一つを摘んで、ムルナの栗色の
テオドルが眉根を寄せる。
「なぜ取り込まない?」
「……弱りすぎて上手く取り込めないのでしょう。人間でも、衰弱している時に肉の塊を出されても食べられない」
ヘッセンは小箱を置いて、荷袋から別の小さな布袋を出した。
二重になっていたようで、その中から更に小さな小袋を出し、キツく締められていた紐を解く。
その中から出された爪の先程の小粒の石は、陽光に
「それは、
「ええ。
魔石にもランクがあるが、高級魔石とされるものの一つが虹彩石だ。
光が当たると表面が虹色に見えることから、この名が付いた。
ヘッセンが狙う魔石の一つがこれだ。
虹彩石は質が良いので、欠片でも魔術具の加工に好んで用いられるため、需要は高い。
「質の良い魔石を少しずつなら、或いは取り込めるかも…」
ヘッセンが再びムルナの嘴に咥えさせようとすると、ムルナは閉じていた瞳をゆっくりと開き、ゆるゆると首を振った。
まるで「いらない」と言っているようだ。
「……ムルナ、食べなさい」
ヘッセンが固い声で呟いた。
従魔にとって、主人の命令は絶対だ。
いつの間にか側に来ていたラッツィーが、ムルナの首を撫でる。
ムルナは弱く瞬いて、そっと嘴を開いた。
ヘッセンが虹彩石の欠片を嘴の隙間から差し入れると、フサフサの尻尾をくるりと嘴に巻き付けて、ラッツィーがムルナの頭を抱きしめた。
「しばらく様子を見ましょう。……貴方も休んで下さい。今夜はベルキースが護衛役を引き受けますから」
テオドルの身体には、まだラッカスの実の成分による痺れが強く残っている。
テオドルは頷いたが、その視線は身体を丸めたムルナに向けられたままだった。
◇ ◇ ◇
「ムルナ、もう少し食べるんだ」
深夜、テントの中で
ムルナは閉じていた瞳を薄く開いたが、ゆるゆると首を振る。
〔ムルナ、嘴を開けるんだよ〕
ラッツィーが小さな手で、ムルナの栗色の嘴をこじ開けるようにして上下に隙間を開けた。
隙間が空いたところからヘッセンが粒を差し込むと、ムルナはそれを嘴の中に含んだまま、ハ、ハと息を吐いた。
〔……水が欲しい……〕
〔水? 分かった!〕
ラッツィーが急いで鍋を運んで来て、ヘッセンに差し出した。
理解したヘッセンが水を与えると、ゆっくりと水を飲むムルナの嘴から虹彩石が転げ落ちた。
その色は少しも変わっておらず、ムルナが魔石から魔力を取り込めていないことが分かる。
「ムルナ、食べなさい」
再びヘッセンが嘴の中に差し込もうとしても、ムルナは嘴を開かずに、つぶらな瞳で主人を見上げた。
〔もういいです、
声は聞こえなくても、ムルナの様子を見て、ヘッセンは強く眉根を寄せた。
〔ムルナ、そんなこと言わずに魔石を食べてよ。オレ、元気になってくれなきゃイヤだよ〕
ラッツィーがムルナの顔を覗き込む。
〔……ごめんね、ラッツィー。でも、ワタシ、主様の足を引っ張ってばかりで……お役に立てないのに、魔石を貰うなんて出来ない……〕
〔ムルナァ……〕
今、この衰弱した状態を脱しても、呪いに侵されている限り、また足を引っ張ることになるだろう。
その度に魔石を貰うことは、耐えられない。
ムルナは魔石探索魔獣。
主人の為に魔石を探すことが、ムルナが従魔であることの意味なのだ。
魔界から突然この世界に引き出されてから、ただ逃げるだけの日々だった。
人間の住む世界は、魔界と違い、魔獣にとって負担になることばかりだ。
怪我をしても治りは遅く、出会う人間には
疲れ切っていたムルナを捕えたのが、ヘッセンだった。
彼は弱っていたムルナに、あっさりと従属契約を課した。
どれほど無体な扱いをされるのかと怯えていたムルナは、しかし、「魔力を読んで質の良い魔石を見つけよ」と命令されただけで、困るようなことは何もされない。
それどころか、何度か魔石の埋まる場所を発見する内、「お前は質の良い魔石を見極めるのに
そうして初めて、ムルナはこの世界に“魔石採掘士ヘッセンの従魔”という、居場所を見つけたのだった。
ムルナには、魔石探索の役割を果たせない自分が、存在する意味もないように思えた。
〔……もういい……〕
ムルナの体力だけでなく、気力が失われている。
諦めたような言葉にそれを感じ、ラッツィーはムルナのふわりとした首に縋り付き、イヤイヤと首を振った。
◇ ◇ ◇
パシリ、と地面を叩く音がして、ヘッセンは顔を上げる。
その紫灰色の尻尾で再びパシリと地面を打つと、顎をクイと横に動かし、ベルキースは立ち上がってテントから離れた。
「ラッツィー、ムルナを見ていなさい」
ラッツィーに声を掛け、ヘッセンは立ち上がってそっとテントを出た。
焚き火の近くには、膝を立てて毛布に
寝ているのだろう。
ヘッセンは音を立てないよう、そっと背筋を伸ばしてから、離れて行くベルキースの後を追った。
テントから少し歩き、採掘を行っていた岩壁の側まで来たベルキースは、そこで歩みを止めて振り返った。
後を追って来たヘッセンが間を開けて立ち止まると、ベルキースはゆっくりと一度瞬きした。
深紅の瞳が、ヘッセンを見遣る。
「ヘッセン、ムルナはもう手放すべきだ」
白い犬の口から、老齢な重い声が響いた。
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