第12話 代償

ギャリという金属がこすれる音で、ムルナはぶるりと身体を震わせる。

葉が生い茂る影に身を寄せ、気配を殺すようにして、ただ下を眺めていた。


恐ろしい魔獣が下にいる。

あの爪、あの牙。

近くに寄れば、自分など一瞬で殺されてしまうだろう。

普段ならば、即座に飛んで逃げるところだ。

目に付いて、間違っても襲われるような事になりたくない。


けれど、今回ばかりはそうすることが出来なかった。



あの傭兵が戦っている。

一人で。

体調が万全でないのに。

……そしてその原因を作ったのはワタシだ。



傭兵は、普段よりも強く握りしめた長剣で、なぶるような剣士の斬撃と、魔獣の爪を交互に受け流している。

いや、痺れの為に、強く受けたり斬り返す事が出来ないのかもしれない。


ムルナの胸は早鐘を打つ。

このまま見ていても大丈夫なのだろうかと狼狽うろたえる。

しかし、自分に出来ることなどない。

他に戦うすべを持っているのはベルキースだが、今は主人としているはずだ。

ここで戦っていることなど気付いていないはず。


どうする?

助けを求める?

……それでまた虹霓石こうげいせきが失われる可能性があっても?



決断が出来ないムルナの目に、偽採掘士が苔色のケープの間から、腕を差し出すのが見えた。

その手には小型のクロスボウが握られている。

その先が、剣士と魔獣の相手で手一杯になっている傭兵に向いた瞬間、ムルナの足は反射的に枝を蹴った。



だめっ!



ムルナは体内の魔力を集中させて、空中で強くホバリングする。

広げた翼の内側から、細い細い針状の羽枝うしが無数に発射され、偽採掘士の顔面に突き立った。




◇ ◇ ◇




「ぎゃあっ!」

突然現れた鳥に思わぬ攻撃を喰らい、偽採掘士は叫んで左手で半顔を覆う。

大して威力のないはずのムルナの攻撃は、偽採掘士の左目を射たのだった。


「クソッ、何なんだお前はっ!」

激高した偽採掘士は、右手のクロスボウを素早くムルナに向け、そのままの勢いで矢を放った。

矢は難なくムルナに届き、空中でホバリングしていたムルナは、それを避けることは出来なかった。


キュゥッ!


鋭く小さく鳴いた青い鳥は、矢の勢いのまま後方へ飛び、そのまま地面に落ちる。


「ムルナッ!」

虎型の魔獣の爪がテオドルの腕をかする。

横から長剣を振り下ろしてきた剣士の腹を蹴り飛ばした瞬間、矢の刺さったムルナの翼を、魔獣使いが掴んで持ち上げたのが見えた。

「何だ? 最弱ランクの魔獣じゃねえか」

魔獣使いが言って、目の高さまで持ち上げたムルナに、ゴミを見るような視線を向けた。



ブラリと力なく垂れ下がる紺の尾羽根。



一瞬にして、テオドルの身体中の血が沸いた。


痺れの残る右手に渾身の力を込めて剣を握ると、牙を剥いて飛びかかってきた魔獣を、彼は固めた左の拳で打った。

ゴッという鈍い音がして、顔面を殴打された魔獣が横転する。

その横をすり抜けるように素早く踏み込み、ムルナの翼を掴んだままの魔獣使いの腕目掛けて、長剣を斬り上げた。


「ムルナに触んじゃねえぇっ!」


手加減なしで振った剣身に、魔獣使いの右腕が肘下から斬り飛ばされる。

飛ばされた魔獣使いの手に握られたまま、ムルナの身体も宙で弧を描いた。

絶叫を上げる魔獣使いを無視し、テオドルは手を伸ばしたが、痺れの残る足でつんのめり、そのまま共に地面に転がる。

「ムルナ!」

目の前に落ちた青い鳥を、テオドルは急いで身を起こして持ち上げた。



「……鳥を守って離脱だぁ? ふざけやがって」

剣士の男が怒気をあらわに長剣を構え直した。

偽採掘士は左目を押さえているが、こちらも怒りをみなぎらせてクロスボウを構えようとしている。

魔獣使いは、斬られた腕を押さえて叫びながら地面にうずくまっていて、おそらく動くことはできないが、そもそも彼の戦力は魔獣なのだから戦力を削いだことにはならないだろう。


少し離れた所で、のそりと起き上がった虎型の魔獣が、テオドルに殴られた頬の辺りをベロリと舐め上げたのが見えた。


これは不味いな、とテオドルが痺れる手足の先に力を込めようとした時、虎型の魔獣が、まるで遠吠えのように喉を反らせ、大きく一度吠えた。



ギラリと深紅の瞳を輝かせ、ドッと地面を蹴って飛び上がった魔獣は、その軌道をテオドルでなく蹲った魔獣使いに向けた。

誰も、何の反応も出来ない間に、その太い前足を振り下ろし、指先に突き出した鋼の爪で魔獣使いの背を裂いた。


テオドルが腕を斬り飛ばした時以上の絶叫が響く。

魔獣は容赦なく、主人であるはずの魔獣使いを頭で突き上げ、必死に逃れようとする彼の腹に噛み付いた。


「……従魔が、主人を……!?」

驚愕に目を見張るテオドルの前で、事態を察した剣士が舌打ちし、こちらに向かって来た。

再び剣を向けられると思ったが、剣士の目線は、テオドルでなく落ちている魔獣使いの右腕に向いている。


その瞬間、テオドルの横を白い影が走り抜けた。

「ベルキース!?」

ベルキースは剣士が腕を拾い上げる寸前に、剣士の喉笛に噛み付き、その勢いのままに引き倒す。

そして、次の瞬間には剣士を絶命させた。




「まったく、不調の時に限って盗賊に当たるとは。貴方はよくよく運がないのですね」

「ヘッセン」

いつの間に近付いていたのか、後ろから歩いて来たヘッセンが、顔をしかめながら落ちている腕を拾い上げ、その手首に付いた金の腕輪を取った。


魔獣使いをほふった虎型の魔獣は、続けて偽採掘士の喉を裂いたところだった。

ヘッセンが腕輪を手にしたことに気付いて、ゆっくりとこちらを見る。

その目は怒気と殺意を漲らせていたが、勢いに任せて飛び掛かってくる様子はない。

動かず、こちらの様子をうかがうようだ。

ベルキースが剣士から離れ、数歩進み出た。



「……ヘッセン、一体何がどうなってる?」

テオドルは魔獣から目を逸らせないままに、隣に立つヘッセンに尋ねた。

「魔獣使いがこの腕輪を失った為に、従属契約が破綻したんですよ」

「破綻?」

「ええ。以前話したでしょう。従属契約には新旧のやり方がある。新しいやり方は、魔獣使いの実力以上の魔獣を従属させられる代わりに、その契約を継続する為に、常に魔力が必要です。それが腕輪これです」

金の腕輪は、よくある魔術の発動体のようだったが、よく見れば小さな魔石がはめ込まれてあった。

その魔力が、契約の継続に必要だったということか。


「意思を曲げられ、無理矢理従属させられた魔獣が、縛りを解くことが出来ればどうするか。……もう分かったでしょう?」

虎型の魔獣とベルキースは、動かず見つめ合っていたが、虎型の魔獣はふとテオドルに視線をやって口を開いた。


「レイ、ヲ、イウゾ、ニンゲンヨ…」


確かに魔獣の口から出た言葉に、テオドルが驚いて眼を見張る。

「喋った!?」

「高ランクの魔獣になれば、自在に人語を喋りますよ」

ベルキースがヘッセンを見上げて軽く頷いた。

その合図でヘッセンが腕輪から魔石を外すと、虎型の魔獣は、満足気にグルルと太く喉を鳴らす。



縛りを解かれた魔獣は、息絶えた三人を置いて、ゆっくりときびすを返して去って行った。


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