第10話 痺れ
数日後、切り出した
ラッツィーが岩壁から、魔力の微弱な流れを感知したのだという。
ここの岩壁からは、既に質の良い魔石を幾つも採掘出来ていたが、取りこぼしがあるのかもしれない。
テオドルには良くわからないが、まだ作業をすると言われれば、護衛を続けるだけだ。
定位置に立ち、テオドルは周囲に視線を向ける。
今日も穏やかな天気だ。
他の人間や獣など、特に気になる気配もない。
カサ、と葉擦れの音がして視線を上げれば、直ぐ側の枝の上にムルナが止まっていた。
その栗色の
目が合った途端、ムルナは首をしゃくるようにして、その白い実をテオドルに向けて投げ落とした。
彼が難なく受け止めるのを見届けた後、右足に掴んでいた同じ実を、カツカツと突付いて食べ始めた。
「……くれるのか?」
テオドルが聞けば、ムルナは僅かに頭を上げてから、再び足下へ嘴を向ける。
まるで頷いたように見えて、テオドルは軽く笑った。
ムルナの怒りは、もう収まったらしい。
どうやら嫌われてはいないようだと思いながら、手にした白い実を嗅いでみる。
食べたことのない実だと思ったが、その匂いは馴染みのあるものだった。
携帯食として持ち歩く干し果実、ラッカスに良く似ている。
良く見ればその形状も、これを念入りに干せばあれになるだろうと想像できた。
「生で食べたことなかったが、
顔を上げれば、ムルナは既に半分を食べ終わっていた。
食べてくれるだろうかと気にするように、そっと目線を向ける鳥の仕草が可愛らしく、テオドルはふっと笑って白い実に齧り付いた。
青みの残る若い味だが、確かにその風味はラッカスのもので、少々渋みを感じたが食べられない程ではない。
何より、ムルナが再び自分に気持ちを向けてくれたことが嬉しく、テオドルはその実を一つ、きれいに食べきったのだった。
昼の休憩に、テントの所まで戻ったヘッセンは、普段よりも幾分か顔色の悪いテオドルを見て目を
「どうしました?」
「……手足の先に痺れがある」
絞り出すような声でテオドルが答えた。
護衛として雇われている以上、体調に問題があるのなら隠すことは出来ない。
「朝食後に何か食べたり、見慣れないものに触れたりしませんでしたか?」
朝食には同じものを食べたが、ヘッセンに異常はない。
原因があるのなら、その後だろう。
すると案の定、テオドルは軽く顔をしかめて言った。
「……生のラッカスを食べた」
「それですね」
ヘッセンは軽く首を振る。
「生のラッカスには、神経に作用する成分が含まれます。加熱後に乾燥させることで、渋みと共にその成分が抜けるのですが、……もしかして知りませんでしたか?」
呆れの混じる声音で言われて、テオドルはより顔をしかめた。
「現地調達の食材は注意するように言ったはずですが?」
「……悪い」
ヘッセンは、下生えの上に座るムルナをチラと見た。
普段は羽根を膨らませてそこに座っているはず
の鳥は、今は緊張したように羽根をすぼめ、細かくふるふると震えて見える。
ラッカスの実は、背の高い木の上部に実をつける。
下に落ちるのは、落ちた衝撃で潰れて散る程に
果たしてテオドルは、なぜまだ熟れていない若い実を食べることが出来たのか。
大きく息を吐いて、ヘッセンは座り込んだテオドルを見下ろす。
「一般的な毒消し薬でも症状を緩和できます。手持ちは?」
「ある」
「では、すぐに飲んで。……午後で探索は終わりです。明朝にはここを引き払います。夜はベルキースが護衛に就けますから、それまで我慢できますか?」
テオドルは荷物から薬剤を取り出しながら、真剣な顔付きで言う。
「当然だ。剣は握れるんだから、午後の護衛には就く。……これ以上の迷惑はかけない」
「何かあったら、戦えるのですか?」
黒い薬粒を口に放り、奥歯で噛んでその苦みに顔をしかめたテオドルは、勢いよく水を煽り、口元をグイと手首で拭いて立ち上がる。
「……出来る限りのことはする」
その決意は、何度も生命のやり取りをしたことのある戦士のもので、誤魔化しはないように思えた。
『出来る限り』と彼が言うのなら、本当にいざとなれば戦うつもりなのだろう。
体を張って戦う術を持たないヘッセンには、その様は正直に言って頼もしくも見える。
―――勿論口には出さないが。
「早目に作業を終えるようにしますから、それまで頼みます。……でも、休憩してからですから、貴方も少し休んで下さい」
ヘッセンが携帯食を取り出すのを見て、テオドルは安堵の息を吐いて、再び腰を落とした。
「それで、どうやってラッカスの実を手に入れたのです?」
不意に掛けられた問いに、テオドルはバツが悪そうに薄く笑んだ。
「落ちてたのを拾ったのさ。意地汚く拾って食って、この様だ」
「……そうですか」
◇ ◇ ◇
柔らかな草の上で、ムルナは
主人の邪魔をしたことを申し訳なく思っていたし、何かと構ってくる傭兵を怒ったりもしたが、彼が魔獣であるムルナのことを気にかけてくれたのは分かって、感謝の気持ちもあった。
だから、ラッカスの実を投げた。
お礼のつもりだったのだ。
魔獣のムルナには、あの実の毒素は効果がないし、そもそも人間に害のある食べ物だなんて知らなかった。
……どうしよう。
なんて物を食べさせたのだと、怒っているだろうか。
ううん、それよりも、あの人を苦しくさせてしまった……。
地面に胡座をかいて座り、左手を握ったり開いたりしている傭兵を見つめ、ムルナはふるふると震え続けていた。
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