第9話 重い心

「また勝手なことを」

呆れのような、諦めのような、そういう雰囲気を滲ませつつヘッセンが言った。

テントの側、広げた敷物に胡座をかいて座り、切り出した石塊いしくれに向かっている彼は、少し離れて立つテオドルを睨む。

その色素の薄い水色の瞳を見るに、少し怒りも混じっているかもしれない。


「私が与えた水でも、あなたが直に飲ませることで不味いことになるとは思わなかったのですか?」

平鏨ひらたがねを石塊にてがいながらヘッセンが言った言葉に、テオドルはサッと顔色を変える。

「不味かったのか!?」

「……不味かったのなら、もう既にムルナは生命を落としているでしょうね」

「あ、そうか」


その軽い返答で、ヘッセンの視線の冷たさが増したので、テオドルは「悪かったって!」と大袈裟に頭を下げて見せた。

ヘッセンは軽く溜め息をついてから、手元に視線を戻す。



石塊を削る硬質な音を聞きながら、テオドルは頭を掻いて、いつも通り下生えの上で羽繕いをしている濃青の鳥に目をやる。

喉の乾きは癒えたのか、その様子には余裕があった。


本当は、あの鍋の水を自分が与えても大丈夫であろうと、テオドルは推測していた。

昨日、ヘッセンが従魔に魔獣の肉を与えた時に考えたのだ。

あの時ヘッセンは、『食べるか?』とベルキースに声を掛けただけで、自らの手で肉を与えたりはしなかった。

しかし、三匹共それを当たり前として受け入れ、結果として、何の害もなかった。

あの肉はだったのにも関わらず、だ。

初めてテオドルがムルナに水を与えようとした時も、テオドルが湧き水を汲んでいた水筒から与えようとしたものは止めたが、同じ水筒からヘッセンが与える分には問題がなかった。


つまりは、主人の手から直接与えられた物しか摂取出来ないのではなく、主人から与えられたとが重要なのではないだろうか。


……まあ、勿論これは魔術に関してうといテオドルの推測であって、実際細かな差異はあるのだろうが、ヘッセンが強く否定しなかったということは、許容範囲内の行動だったのだろう。




考え事をしながら見つめ続けていたので、背中の羽根から顔を上げたムルナと目が合った。

その途端、慌てたように身体を反転させて、尾を向けられてしまった。

「……嫌われちまったか?」

軽く苦笑いする。



「どうしてそんなにムルナを気にするのです?」


もう作業に集中しているのかと思ったのに、ヘッセンがテオドルを見上げていた。

その表情は、テオドルの真意をうかがうようだ。

作業中はメガネを外しているため、表情がわかりやすい。


「一緒にいる者の状態を気遣うのに、理由なんかいるのか?」

「……ムルナは魔獣ですよ?」

テオドルは軽く顔をしかめて、金髪の頭をガシガシと掻いた。

「正直、俺には魔獣だからどうっていう区別は良く分からない。魔術素質がないから、普通の動物と見た目以上の区別はつかないからな。家畜だって気が荒いやつは人間に害を及ぼすこともあるし、虫だって異常発生して畑を全滅させる…なんてこともあるだろ?」

ヘッセンの側に腹這いになっているベルキースは、その姿勢を変えないままだが、目だけはテオドルをじっと見つめている。

「だから、人間でも亜人でも、動物でも魔獣でもな、一緒に行動するのなら、気持ちよく一緒にいられる方がいいだろうって思うだけだ」


一度は牙を向けたベルキースにも、同じように視線を向けて言ったテオドルを見て、ヘッセンはわずかに雰囲気を緩めた。

「なるほど。そうやって、誰にでも愛想よくしているわけですね」

「うるせぇ。処世術だろ」

「……まったく、おかしな護衛を雇ったものです」

ヘッセンは軽く首を振ったが、その言葉はどこか柔らかい。

「そう言うなって。どうせあと少しの同行だろ」

テオドルが軽く笑った。

この場所の採掘と辺りの探索を終えれば、街へ戻って護衛契約は終了なのだ。


彼の言葉に、ヘッセンは少しの間動かずに黙っていたが、道具を握り直して作業を再開した。




◇ ◇ ◇




『あと少しの同行だろ』

テオドルに背を向けたムルナは、その言葉を耳にして、羽繕いをしていたくちばしを止めた。


……そうか。

あの傭兵、もうすぐお別れなんだ。


そう思うと、なんだが急に周りが冷えたような気がして、ぶるると身体を震わせる。

念入りに羽繕いしていた身体から、ぼわっと細かな羽毛の欠片が舞い上がり、近くに座って木の実をかじっていたラッツィーが抗議の声を上げた。

〔ちょっとムルナ! 急にやめてよ〕

小さな手を左右にパタパタと動かして、顔の前に飛んできた羽毛を払う。

〔あ、ごめん……〕


ラッツィーはつぶらな瞳を瞬いて、小首を傾げた。

〔ムルナ、どうした? 元気ないのか?〕

〔えっ? そんなことない〕

ふ~んと言いながら、ラッツィーが手に持ったままの木の実を噛りはじめる。


〔採掘の予定が変わっちゃったし、早目に街に戻りそうだよね。あのバカ傭兵とも早目におさらば出来そうで良かった!〕

ラッツィーもまた、さっきの会話を聞いていたのだろう。

傭兵の彼が、魔獣の自分達を度々かまおうとするのを、ラッツィーは快く思っていない様子だ。

人間が魔獣に好意的に接するなど、そうそうないことなのだから、彼に対して疑い深くなるのは仕方がない。




採掘の予定が変わったのは、あの時、傭兵が主人に声を掛けて掘削作業を邪魔したからだ。

採掘出来るはずだった虹霓石ものが、駄目になった。


そして、傭兵が声を掛けたのは、ムルナを気遣ってくれたからだ。


主人の邪魔をしてしまったことが、心苦しい。

ただでさえ、呪いを受けた身で足を引っ張っているのに。


……それなのに。


その心苦しさ以上に、あの傭兵がもうすぐお別れなのだという事実が、ムルナの心を重くする。



彼に撫でられた背中が、今も何だかむずむずして、ムルナは再び背中にくちばしを向け、羽繕いをやり直し始める。

しかし、どれだけ羽繕いをしても、背中のむずむずは収まらず、心は重いままだった。


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