第8話 鍋の水

翌日、テオドルは昨日と同じように、ヘッセンが掘削作業をする背中が辛うじて見える距離を開けて、護衛に立っていた。


ヘッセンの側には、やはりベルキースとラッツィーが付いていたが、ベルキースは少し離れた所に寝そべっていて、昨日のように共に集中している風ではない。

そして、作業自体も昨日までと違い、小型の魔術具を使って、岩壁から頭の大きさ程度に岩の塊を切り出している。

切り出された岩の塊は、ラッツィーが手と尻尾で抱えて地面まで運んでいて、テオドルは驚いて目を丸くした。

見た目は可愛いリスだが、やはり魔獣だ。

その小さな身体からは想像も出来ない力があるらしい。



しばらくその作業を見守っていたテオドルだったが、ふと疑問に思って首を傾げた。

一人でもこんな風に切り出せるのなら、最初から切り出せば良かったのではないのだろうか。


そもそも魔石の採掘は、数名でこうして大まかに岩の塊を切り出し、別の場所に運んでから、細かな掘削作業に入るのが常だ。

その方が早いし、作業も安全で楽だからだ。

昨日までヘッセンが行っていたような、岩壁に張り付いて、直接細かく掘り出す方法など聞いたことがなかった。


しかし、テオドルが知らないだけで、一人で採掘を行うには、その方法が採掘士としては当たり前なのかもしれないと考えていた。

それなのに、今日になってこのやり方だ。

一体なぜ今になってやり方を変えたのだろうか。


この疑問をぶつけても、きっとヘッセンはまた「なぜ説明する必要が?」とか言って、嫌そうな顔を向けてくるのだろう。

そんな結論に至り、テオドルは思わず鼻の上にシワを寄せる。

しかし、この場所の採掘と付近の探索を終えれば、森を出て街へ行き、今回の契約は完了だ。

それまでは仕事と割り切って、護衛をすれば良いだけ。

……例え、どんなに偏屈な依頼主であっても。



そんな風に自分の中のモヤモヤと折り合いをつけた時、カサと葉擦れの音を耳にして、テオドルはそっと斜め上を見上げた。


少し離れた木の枝に、ムルナが止まっている。

少し幹寄りに止まって、若干身体を傾けているところを見ると、恐らく幹に寄り掛かって身体を休めようとしているのだ。



………また、乾きで辛いのだろうか。



「……ええいっ!」

逡巡しゅんじゅんする気持ちを一声で切り、テオドルは野営地のテントまで大股で歩く。


お節介なのは分かっている。

そう、ヘッセンと従魔達は、彼等なりの繋がりがあって、テオドルのはきっと余計なお世話なのだ。

分かってはいるが、あの青い鳥が羽根を震わせて渇きを我慢しているのかと思うと、放ってはいられなかった。



テントの側には、昨日水を与えていた鍋が置かれてあった。

今朝、ヘッセンが作業に入る前に、縁ギリギリまで水を溜めていたのを、今日はちゃんと見た。

覗いてみれば、水はまだ鍋の三分の一ほど残っている。

これは主人ヘッセンが与えた水なのだから、飲ませても良いはずだ。

テオドルは鍋を持ち上げ、木の上のムルナに向かって掲げて言った。


「ムルナ! まだ残ってるぞ!」




◇ ◇ ◇




樹の幹にもたれていたムルナは、突然呼ばれて急いで身体を起こした。

見れば金髪の傭兵が、ムルナの大事な水が入った鍋を持ち上げ、こちらに向かって見せている。


なにしてるの!

ワタシの水を!


抗議のために翼をバタバタさせる。

主人が昼の休憩をするまでには、まだ時間がある。

それまで水を保たせたいから、わざと残してあったのだ。

限界に渇くまでは我慢しているのに、どうして飲めと勧めるのか。


……見たら余計に飲みたくなるではないか。



「ほら、来いよムルナ」

傭兵が再び鍋を揺らした。

その縁から水滴が飛び出し、地面を濡らすのを見て、ムルナは堪らず枝から飛び降りた。

地面に吸わせてやるくらいなら、今すぐ全部飲んでしまう方が良いに決まっている。


ムルナが飛んで降りてくるのを見て、傭兵は鍋を自分の足下近くに置いた。

ほぼ同時にムルナは固い地面に滑り降り、勢いよくくちばしを鍋の中に突っ込んだ。

頭を上げ、微温ぬるくなった水を掬い上げて喉に流し込む。


上げた視界のすぐ先に、傭兵がしゃがみ込み、嬉しそうな顔をしてこちらを見ていた。

「どうだ? 美味いか?」



……ムカつく。

これは主様あるじさまがくれた水で、アナタがくれたわけじゃないでしょう。

それなのに、どうしてこんなに嬉しそうに、得意気に、ワタシを見るの。

大体、昨日のこと、怒っているんだから。

主様の邪魔したこと、ワタシ、怒っているんだから!



そう思いながらも、ムルナは水を飲むことをやめられない。

くちばしで掬い上げられるだけ飲んで、もうそれ以上は掬えなくなると、名残惜しそうに嘴を閉じた。

鳥の嘴では、すっかり空になるまでは飲みきれないのだ。

昨日も、何とかして全部飲めないかと、鍋をくわえて持ち上げてみたが、結局喉に流れたのは一筋だけで、残りは嘴の横から漏れ落ちてしまった。


「ほら、ムルナ、口開けろ」

傭兵が鍋を持って、ムルナに向かって傾けた。

ムルナは目を瞬く。

まさか、残りを飲ませてくれようと言うのだろうか。

、大丈夫だろ?」

更に傾けた鍋の縁から、残りの水が、もう零れそうになっているのが見えて、ムルナは慌てて嘴を開いた。



傭兵は、想像よりも、ずっとそっと水を流し込んだ。

真剣な瞳と手つきから、少しでも飲ませてやりたいという、彼の気持ちがそうさせるのだと分かる。



コクリ、とムルナの喉に水が通る。


……美味しい。


なんて美味しいのだろう。

こんなに美味しい水は、初めて…。




全て飲み干し、鍋が空になった。

普段ならそれがとても辛く感じるのに、ムルナはなぜか、全て飲むことが出来た満足感を感じた。


「随分楽になったみたいだな」

鍋を置いたかと思うと、傭兵はそう言ってムルナの背を撫でた。



ギョギューッッ!!?



自分でも驚くような変な声が出て、ムルナは急いで飛んだ。

焦って、怒って、慌てて、ムルナは逃げた。

主人だってそうそう触れたりしないのに、この傭兵はなんだって魔獣ワタシを撫でたりするのか。


近くの高い枝に止まり、翼を広げて、フーフーと息を吐きながら傭兵に威嚇のポーズを取る。

それなのに、傭兵は嬉しそうに「ははっ」と笑って、ムルナを見上げていた。


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