第5話 渇き
太陽の光が弱まり始めた頃、ヘッセンは本日の作業を終えて、テントの所に戻って来た。
背負っていた荷袋をそっと下ろすと、金属が触れ合う固い音がする。
採掘道具は、その日の作業を終えれば毎日必ず持って戻り、夜の内に手入れを欠かさない。
「血抜きすれば、美味しく食べられたのに」
テントの側に並べられた、二体の魔獣の亡き骸を見た途端、ヘッセンが口にしたのはそんな台詞だった。
テオドルは盛大に顔をしかめた。
「近くに水場がないんだから仕方ないだろ!…っていうか、『美味しく』って、どうせ料理するのは俺だろうが」
「ただ客観的意見を述べただけですが?」
半眼になったテオドルを気にせず、ヘッセンは従魔達に顔を向ける。
「食べるか?」
ヘッセンの隣にいたベルキースは、魔獣を
しかし、仕方なさそうに側に寄り、口を開く。
普段、物静かにヘッセンに付き従っているベルキースだが、剥き出した牙は鋭く
力強い
軽く跳ねて寄ったラッツィーに、ベルキースは食べかけの魔獣を
ラッツィーもまた、小さな手で爪を立てて肉を掴むと、猛獣さながらに歯を剥き出した。
木の実に
地面に座り、両手に持って噛じる姿は、木の実をカリカリと可愛らしく食べる時と変わりない。
しかし、口端から
グル、と小さくベルキースが唸ったのが聞こえて、テオドルは視線を向ける。
ベルキースの側には、ムルナがいる。
ムルナは、側に落ちている肉片を静かに見下ろしていた。
ベルキースが血の付いた口で、肉片をムルナに寄せる。
おずおずといった様子で、ムルナは肉片を突付いた。
足で押さえた肉片が細く引き裂かれるのを見て、テオドルは思わず呟いた。
「やっぱりムルナも…食うのか……」
名を呼ばれて、ムルナが顔を上げた。
つぶらな瞳は変わらないのに、その深紅が普段よりも深い血の色に見えて、テオドルはゴクリと喉を鳴らした。
「当然でしょう。ムルナは愛玩動物ではなく、魔獣ですよ。肉も喰らえば、
最後の部分は、
「探索魔獣なんだから、人を襲うなんてことはないだろう」
「それは私が探索用として使っているだけで、従魔だって結局は魔獣です。私が襲えと命じれば襲うでしょうし、命じなくても、飢えれば獲物として人間も狩るでしょうね」
テオドルが強く眉根を寄せる。
“命じなくても”という部分は、テオドルにとっては衝撃的だった。
「従魔は、
「……さあ? 魔獣に関しては、未だに未知の部分が多いですから」
ヘッセンは三匹の従魔の方を見たまま、テオドルの隣で言った。
普段、その厚い眼鏡の奥はよく見えないが、横顔では従魔を見詰める瞳が僅かに見えた。
しかし、色素の薄い水色の瞳に、今どんな感情が滲んでいるのかは、テオドルには分からなかった。
◇ ◇ ◇
〔もうちょい鮮度が良かったら、もっと
ラッツィーが小さな手の平をペロペロと舐めながら言った。
〔確かにな。まあ、奴は魔術素質皆無なのだから仕方ない〕
ベルキースも、ベロリと長い舌で口の周りを舐める。
今は土の季節に入ったばかりで、一年の内で一番熱い火の季節を過ぎたとはいえ、日中の気温はなかなかのものだ。
生の肉を一刻以上常温で放置したのだから、それは鮮度も落ちるというものだ。
魔術の使える者なら、冷気をまとわせるなり工夫が出来ようものだが、あいにくテオドルに魔術素質はないのだ。
まあ、魔術が使えても、そんな気を効かせられるかどうかは別の話だが。
〔……ムルナ、どうした?〕
茂った下生えの上に座ったムルナが、草の上に首を伸ばすようにして、荒く呼吸しているのに気付き、ラッツィーは素早く側に寄った。
ハ、ハ、と荒く息を吐いているこの状態は、喉の渇きに苦しんでいる証拠だ。
〔水がいる? ちょっと待って、すぐに
言って振り返ると、すぐ側にヘッセンが来ていた。
膝をつき、深い器に水を注ぐと、ムルナの頭を持ち上げ、器に
ムルナは我に返り、急いで冷たい水を喉に流し込んだ。
しかし、飲んでも飲んでも、喉は灼けるように感じる。
「血は症状を悪化させるのか…?」
呟くヘッセンを見上げ、ムルナは申し訳無さで小さくなった。
今日、魔獣の血肉を前にして、何だか嫌な予感がした。
でも漠然とした予感だったので、ベルキースに勧められるままに口にしてしまい、この有り様だ。
また
あの時、ちゃんと〔やめておく〕と言えば良かったのに……。
〔ごめんなさい、主様〕
細く呟いてみても、ヘッセンの耳には聞こえない。
不甲斐無さで悲しくなるのに、それでもムルナは、目の前に与えられている水を飲むことはやめられなかった。
器の中の水がほとんどなくなった時、頭上から固い声が降ってきた。
「
水を夢中で飲んでいる間に、テオドルが側まで来ていたのだ。
上から覗き込むテオドルをチラと見上げ、ヘッセンは軽く首を横に振った。
「ムルナは、呪われているんですよ」
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