第3話 果実 ⑴
ムルナは羽ばたいて、空中を大きく旋回する。
これ以上は
今見回った分では、特に警戒するような何かはない。
主人は集中して魔石の採掘が出来るだろう。
ムルナは手近な枝に降りて止まる。
見下ろす岩場の壁肌に、主人とベルキースが見えた。
主の手元の辺りにはラッツィーもいる。
彼等の足元には布製のシートが広げられ、掘削に使う数種類の小型魔術具の他に、数本の
探索魔獣の役目は、名前の通り魔石の探索をすることだ。
魔力を有する特殊な石を、自然の中から見つけ出す。
主に岩盤や地中で生み出される天然の魔石を見つけるのは、人間には恐ろしく困難だ。
採掘されるまでは微弱にしか発することのない魔力を、正確に感知しなければ見つけられない。
その点、魔獣達は魔力の流れに敏感だ。
しかも、低ランクの魔獣ほど、微弱な流れをよく読むことが出来る。
捕食される動物が、常に周りを警戒する能力に長けているのと同じ理由だろう。
彼等は、自分達の周りのあらゆる変化に敏感なのだ。
そういった理由で、魔石採掘士は低ランクの魔獣を探索魔獣として好んで使役する。
といっても、その多くは魔獣使いを雇って同行させるのであって、魔石採掘士自身が魔獣使いを兼任することは、まずない。
つまりヘッセンは、かなり珍しい魔石採掘士だった。
ムルナは栗色の
……喉が渇いた。
しかし、今主人の下へ飛んで行っても、集中を邪魔して怒りを買うだけだろう。
主人は多くの事に大雑把だが、魔石採掘作業中だけはとても神経質だ。
ここは、自分で水分を見つけるしかない。
ムルナは周りを見回す。
側に川や池はない。
しかし、少し離れた大木に、橙色の果実がなっているのが見えた。
まだ完熟には早そうだが、食べられないことはない。
あれで少しは渇きが癒せるだろう。
実のなっている木に飛び移り、嘴で
足を使って器用に実を足元に固定すると、嘴の先で実に穴を
弾けるように実から溢れた果汁を、貪るように喉に流し込む。
爽やかな酸味と香り。
美味しい。
喉の渇きが癒えていく。
……それなのに。
身体の奥底から、足りない、水だ、水を寄越せと何かが
ムルナはぷると首を振った。
半分に割かれた実を咥えたままだったので、反動でそれが飛んだ。
「いてっ!」
下から声が聞こえて、ムルナは驚いてその方向を見下ろした。
少し離れた所に、金髪の傭兵が立っていた。
彼は季節一つ前に、主人に護衛として雇われた者だった。
主人が魔石採掘を行っている間、こうして周辺を警戒しているのだ。
傭兵は金髪の頭を手で
どうやら飛んでいった実は、彼の頭に落ちたらしい。
彼はこちらに気付いて、眩しそうに目を
「……ムルナか?」
ムルナはびっくりして、足で押さえつけていたもう半分の果実を落としてしまった。
主人以外の人間から名前を呼ばれたことは初めてだったからだ。
傭兵の彼は一度目線を下げて、再び落ちてきた物を見てから、ムルナを見上げてニッと笑う。
「餌を食べてたのか。自分で探して偉いなぁお前達は。飯を待ってるばかりの
自分では携帯乾燥食しか食べない主人のことを
確かにこの傭兵は、「そんなもんばっかりじゃ体力が
彼は、地面に転がって土の付いた果実を拾い上げ、匂いを嗅いだ。
「いい匂いだな。なぁ、ムルナ、一個落としてくれよ。俺も食べてみたい」
……え?
彼は今、ワタシに言った?
ムルナはつぶらな瞳を何度も瞬く。
自分に命令できるのは主人だけだ。
他の者の命令を聞かねばらない縛りはないし、聞くつもりもない。
だが、今の彼の言葉はそもそも命令ではなく……頼み、なのだろうか。
……魔獣のワタシに?
「あー…っと、
動かないムルナを見て、彼は手にしていた果実を落として、ズボンの腰の辺りで手の平をゴシゴシと拭く。
その仕草を見て、ムルナは、昨日彼が水を与えようとした時のことを思い出した。
飲めなかったけれど、ムルナが喉が渇いて堪らなかったことを察して、水を与えようとしてくれた。
それについては感謝している。
ムルナは近くの枝になっている果実を
傭兵の彼は、それを難なく片手で受け取る。
「ははっ、言ってみるもんだな。ありがとな、ムルナ!」
彼は満面の笑みで上を見た。
ムルナは更に驚いた。
人間からこんな表情を向けられたことはない。
殆どの人間は、魔獣を毛嫌いするものだ。
例えムルナのように害のない、最弱の魔獣であっても。
完全なる縛りを受けて、愛玩動物に落とされたなら別であるが…。
彼は袖で橙色の果実を拭き、ガブリと
そしてギュッと顔をしかめる。
「すっぺぇ!」
咳き込む彼の姿をしばらく眺めていたムルナは、続けて数個の果実を落とした。
「わっ! ムルナ、もういいぞ。これ酸っぱくてまだ食べられねぇから」
慌てたように言う彼の頭を、固い果実がかすって落ちる。
「あっぶねぇ。こら、ムルナ、もういいって」
くるくる表情を変えるこの傭兵は、なんと面白いのだろう。
もっと見たい。
クルル、と喉を鳴らし、ムルナは更に実を落とした。
渇いた喉のことは、いつの間にか忘れていた。
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