第6話 羽村の失踪

 準之助が極めた逆さ絵はあくまでも左右対称であり、上下の逆さを描くことは早い段階で無理だと思った。

「右脳を左脳に転換する必要がある」

 ということが分かっているからだ。

 絵画の練習をする分には、エクササイズとしては十分なものなのだが、絵を極める段階でこのエクササイズはまったく不要なことであった。

「上下逆さだとまったく違う感覚に陥る」

 というのは、以前言われていいたサッチャー錯視というものに由来しているという考えがあった。

 これは、

「上下逆さの倒立顔において、局所的特徴を検出するのが困難だ」

 と言われる発想からきている。

 つまりは、感覚がマヒしているということである。

 二度目の集中において、マヒしてしまった感覚はここにもあった。つまり、

「バランス感覚がマヒすると、サッチャー錯視を起こしやすい」

 とも言えるのではないだろうか。

 この発想は、昔からあったわけではない。発想としてはあったのかも知れないが、言われ始めたのは、イギリスの首相がマーガレット・サッチャーになった後であろうから、今から古くとも、今から四十年くらい前のことである。

 そういう意味でいけば、師匠が逆さ絵を描き始めた時期とそれほど違っているわけではない。何か通じるものがあったのかも知れない。

 つまり、サッチャー錯視というのは、まだ研究段階で、ハッキリとした感覚はなかったものだ。だから、師匠もハッキリと断言できたわけではない。それを思うと、逆さ絵というものの歴史は、サッチャー錯視の歴史ともいえるだろう。ただ、実際の逆さ絵というのは、上下反転ではなく、左右反転のものだ。まだ上下反転の技法までは、今の人間では解釈できるところまでは言っていないのか、それともそこには歴然とした壁があって。人間にはできない何かの能力が必要なのか、難しいところであった。

 sれでも、絵の方は順調に完成していく。

「よし、できた」

 と自分で完成品を見つめてから、再度頭の中に描いた二次元の世界と見比べて、遜色なければそれでよかった。

 その時にも、完璧と言える作品ができがったことで、ホッと緊張を切った準之助だったが。これもいつものことであった。

 今度こそ完全に余裕を持った気持ちで羽村の絵を見ると、羽村の方もかなり出来上がっていた。

 だが、その完成度は想像以上のものであった。

――何だ、あれは?

 と感じたのは、ここからかなりの距離があり、かろうじて絵が確認できる程度なのに、その立体感が浮かび上がってくるのを感じた。

――ひょっとすると、その感覚は、距離があるから分かるものであって、実際に近くで見るとそうでもないのかも知れない――

 と感じたが、どうやら、その考えは半分当たっているようだった。

 ただ、彼の作品をその時見て、一抹の不安に駆られたのは事実だった。

――まさか、負けることはないとは思うが、彼の作風を認めないわけにはいかないだろうな――

 というところまでは感じるようになっていたのだ。

 二人とも、タイムリミットまでには少し時間があった。そして、準之助には、もうその場に居座っているだけの理由もなく、今までもそうなのだが、作品を描き終えると、すぐにその場から去ることにしている。他の作家がどうなのか分からないが、いくら見直しても、修正できるわけではない。いく鉛筆であっても、部分的には描きなおせるが、いまさら出来上がった作品に手を加えることは、ほぼ無理だったのだ。

 それは準之助にしても、挑戦者の羽村にしても同じだっただろう。そこにいる羽村は、普段からのチャラい雰囲気は一切なく、完全に芸術家が、真摯に芸術に向き合っている姿に相違ない。それを感じると、

――見かけだけで判断してしまって、悪いことをしたな――

 と感じたのだ。

 作品が出来上がると、いよいよ、審査が始まった。審査委員は別室で、きっと、ああでもない、こうでもないと審査をしていることだろう。待っている方は気が気ではない。

 だが、準之助は、意外と気楽な気がした。実際に今回勝負してみて感じたのは、

――今のところ逆さ絵が注目を受けているけど、そろそろ別の何かを考えてもいい時期なのではないか?

 と感じるようになってきた。

 それは、絵画に限ったことではない。芸術的なことであれば何でもいいと思っている。文学であっても、写真であっても、映像であってもいい。今話題のユーチューブなどもその視野に入れてもいいかも知れない。

 だが、ユーチューブに関しては、今がピークであり、次第になくなっていくか、形を変えていくもののように思えてきた。

 最初からユーチューブに携わっていれば、どのようにその後が進んで行くのか分かってくるだろうから、臨機応変にもできるだろうが、これから波乱が予想されるところに簡単に入っていって、飲み込まれるだけになってしまってもいいのかが問題だった。

 いや、昔から携わっている人にしても問題は簡単ではない。過去の栄光であったり、やり方が頭にこびりついていたりすると、融通が利かないことになって、自分で動くことを怖がってしまうだろう。どちらにしても同じことで、前にも後ろにも進めなくなってしまうのではないだろうか。

 そういう意味でいくと、ブームによって隆盛を極めるものに突出することが危険であるということはできるであろう。

 審査の方は思ったよりも簡単に終わったようだ。一時間もしないうちに公表され、やはり、勝者は準之助だった。

 準之助は喜ぶ感じもなければ、逆に相手も悲しんでいる様子もない。主催者とすればいささか期待外れの発表シーンであったが、それも別にまわりの人にも分かっていることだったようだ。

 盛り上がっていたのは一部の人間だけだったようで、ただ、皆ねぎらいの言葉を掛けるだけだった。

「何だ、しょうもない」

 という声も聞かれたが、誰もそれを戒めることはない。

 それを言いたいのは当事者だった。

 考えてみれば、ここで争ったからと言って、まったく得をすることはない。。勝ったとしても、お金になるわけでも、人気が沸騰するわけでもない。しょせん、逆さ絵というかつてブームになったものが存在していて、それを継承しているかという二人がら沿うというだけのことだったのだ。そもそも最初に挑戦してきた橋本教授はどうしたというのだ。会場に来ているわけでもなければ、コメントがあったわけでもない。ただ、マスコミに踊らされただけだった。それに途中から気付いたことで、まったくムードは白けてしまっていた。

 インタビュアーは、こちらに来るわけではなく、敗れた羽村の方に向かう。

「羽村さん、近内の敗因はどこにあると思いますか?」

「ファンの皆さんに向かって一言」

 などと、好き勝手なことを言っているマスコミである。

 こんな時はそっとしておいてやるのが、本当ではないか。しかし、これがメディアで注目を浴び続けてきた人間の宿命とでも言おうが、最初は無口で何も言わなかった羽村だったが、次第に自分を取り戻してくると、マスコミに対して受け答えをしていた。

 その内容は、しっかりと答えていて、それはまるで最初から用意されていたもののようにさえ思えた。

――あいつも可哀そうな立場なんだろうか?

 と少し同情もあったが、それがやつの選んだ道であるがら、同情ではなく、彼の生き方を称えてやるようがいいのではないだろうか。

 もちろん、自分にできるはずもなくしたいとも思わない、気に食わない生き方だが、本人がそれでいいと思っているのであれば、それも問題はない。しかし、マスコミが、

「芸能人なんてものは、皆やつのような連中ばかりで、似ても焼いて食えない」

 などと思っていたら、それは大きな間違いであろう。

 もっとも、その間違いが多いから、今の世の中の間違った部分で理解できないkとが起こるのであって、そういう意味ではマスコミの責任は大きいのではないかと、準之助は思うのだった。

 その日の出来事は、ある意味自分にとっての黒歴史だと思い、あまり思い出したくもない過去を作ってしまったという後悔だけが残ってしまった。

 次の日から今まで通りの生活に戻った準之助だったが、警察の訪問を受けたのは、それから一週間ほどしてのことだった。

 その日は、すでに日が西の空に傾き始めた頃で、自宅兼アトリエのマンションに警察が訪ねてきたのだった。

 呼び鈴がなるので、行ってみると、

「警察ですが、ちょっとよろしいでしょうか?」

 と言って、モニターに警察手帳を提示する背広の男性二人がいた。すぐにオートロックを解除して、

「どうぞ」

 と言って、警官二人を招き入れた。

 今まで、警察の、しかも制服警官ではない刑事と話をすることもなかったくらいなので、少し面食らってしまった。どういうことなのであろうか?

 警官をアトリエの応接に迎え入れると、ソファーに座った二人と、主人である準之助にお茶を入れてくれた。

「さっそくですが、山本準之助さん。画家の先生でいらっしゃるということでよろしいでしょうか?」

 と一人がいうと、

「ええ、まあ、そういうことになりましょうか」

 普段から、自分の職業に対して、あまり意識もしないし、人から言われることもないので、急に先生という言葉をつけられて、少し照れ臭い気がした。

 しかし、相手は警察官で、あらたまってわざわざ訪ねてきたのだ。普通のことではないことは分かっていた。

「山本さんは、羽村さんをご存じでしょうか? 羽村光徳さん。確か、一週間前くらいにお二人は絵のことで対決されていましたよね?」

 と言われて、

「対決しましたが、それが何か? あれから私はいつもの生活に戻ったので、もう忘れたと言ってもいいくらいの過去何ですが」

 というと、

「そうですか。ところでですね。その羽村さんなんですが、まだマスコミなどでは緘口令が敷かれているようなんですが、実は失踪しましてね。それで、我々警察が捜査を行っているというわけです」

 というではないか、

「えっ、それはいつ頃のことなんですか?」

「連絡が取れなくなったのは、その翌日からだといいます。でも、一日は騒ぐのは待ってみたらしいんです。でも連絡がない。二日目には立ち寄りそうなところには当たってみたけど、そこにもいない。それで、ついに五日目になって、さすがに何かあったかも知れないということで、警察に捜索願を出されたそうなんです。それで今度は警察が、最初に事務所のマネージャーが捜査したところを、今度は警察の権力で調べたんですが、やはりいなかった。そこで、今度は幅を広げての捜査をすることになり、ちょうど一週間前に勝負をしたあなたのところに出向いたというわけです」

 と刑事は言った。

「なるほど、そういうことだったんですね。でも、あいにくと私は、彼とはあの日以来合ってもいないし、連絡も取り合ってはいません。そもそも勝負の相手と、勝負が終わってまで、話をすることなどないはずですからね。少なくとも私にはありません。彼の方にもあるとは思えませんけどね」

 と準之助は答えたが、その話を訊いて刑事は無表情で、メモしているだけだった。

「そうですか。分かりました。ところであの時の勝負なんですが、どちらが勝ったんですか?」

「私です」

「それに関して、羽村さんは意義や申し立てをしていましたか?」

「いいえ、そんなことはしていません。しても無駄でしょうしね」

「じゃあ、あなたから見て、彼が不満に思っている、あるいは意外な結果に驚いていたなどという思いはありませんか?」

 と訊かれて、

「いいえ、そんなものはありません。今の話を伺っていると、まるで私を怪しんでいるようにも聞こえますが、気のせいだと思っていいんでしょうか?」

 と少しきつめに聞いてみた。

「何か疑われるような感覚でもおありなんですか?」

 と、こちらがかけたカマに対して、相手は真っ向から返してきた。

「いいえ、そんなものはありません」

 正直ムカッときたが、ここで取り乱せば相手の思うつぼである。いかに平静を装っていても、相手に疑いの目があるのであればどんな態度を取っても、疑いを深めるだけだ。それならば、頭の回転のためにも、静かにしているのが一番だと考えた。

 準之助の悪い癖として、気に食わないことに対して、時々キレることがあった。弟子に対してくれてみたりは結構あることで、きっと弟子の間では、

「山本先生はキレると怖い。怒らせないようにしよう」

 という暗黙の了解があるのかも知れない。

「ところで、羽村君が失踪したというのに事務所の人が気付かなかったというのは、彼の事務所内に何ら失踪を匂わせる何かがあったわけではないんですよね?」

 と準之助は訊いた。

「ええ、その通りです。だから、五日という日が経ってしまったのですが、警察に失踪願いを出したことで、捜査令状が出たので、彼の会社名義ではありますが、彼の部屋に入った時に、置手紙のようなものがありました。そこには、探さないでほしいと書いてあり、屈辱に耐えられないというような文言を書き残していました。それでマネージャーに聞いたところ、最近の彼のことで、屈辱に値するようなこととすれば、それは、あなたとの対決による負けではないかと言われたもので、それであなたを訊ねてきた次第です」

 と刑事は説明した。

 なるほど、彼は芸能人であり、有名人である。いい意味でもスキャンダルであっても、話題になる人だ。失踪ともなれば、かなりのものだが、準之助にはいまいちピンとこなかった。

「ええとですね。私は考えるにですよ。捜索願というのは、警察に提出しても、警察は普通ならすぐには動いてくれませんよね? まずは事件性があるか、あるいはその前後の事情で、自殺しかねないなどの切羽詰まった事情があるか。あるいは、彼のような芸能人などの有名人、もしくは政治家であったり、学者などと言った著名人であれば、優先的に捜査されるものだと感じていますが、いかがでしょうか?」

 というと、警察の人も、口に拳を持っていき、咳払いをして苦笑いを浮かべた。

「ええ、まあ、そういうことになりましょうか」

 というと、

「では、捜索願を受理して、警察はすぐに動いていますよね? ということはどこに引っかかったんですか? 一般市民であれば、最初の説にある、犯罪に関係があるか、自殺が疑われるかですが、彼の場合は芸能人です。いわゆる社会的影響も加味しないといけない。マスコミが騒ぎ出せば、捜査をしていないとすれば、警察は何をしているということになる。それは警察も威信があるから困るわけですよね。だから有名人の扱いにはデリケートで微妙な部分を孕んでいるんでしょうが、さてどうなんでしょう?」

 というと、刑事二人は顔を見合わせて、ますます恐縮がったが、

「いや、ごもっともです。おっしゃる通り、相手が芸能人ですからね。それは優先するのは我々としては暗黙の了解ですよね。あなたが言われた通り、世間への影響と、警察としても威信の問題がありますからね。だから、受理と同時に捜索が行われたわけです。まずは身近なところからということで、彼の部屋を捜索しました」

 と刑事は言った。

「もちろ、それだけではなく、彼の身元やそのあたりの基礎になる部分を捜査もしているわけですよね?」

 と訊かれた刑事は、立て続けの質問に半分タジタジだった。

 普段はこちらがやり込めるはずなのに、すっかり立場を取られてしまったという思いだった。

「本当にあなたには困りましたな。ええ、調査はしていますよ。彼は羽村光徳と名乗っていますがこれは芸名で、実際には橋本則之といいます」

 と教えてくれた。

 それを聞いて今度は準之助の方がビックリした。

――えっ、そんな個人情報になるようなことを警察は簡単に第三者に教えていいのか?

 と思ったが、その次に感じたのは、

――ということは、本名を言わなければそこから先の話ができないということで、仕方なく名前を公表したということだろうか?

 と考えた。

 訝し気な表情をした準之助を見て、今の言葉の効果があったと見たのか、刑事が攻勢を仕掛けてきた。

「実はですね。羽村氏は、実はあの時、本当はあなたと争うはずだったK大学の橋本教授の弟さんに当たるんですよ。年齢は少し離れていますけどね。橋本教授は今年四十歳になったところで、羽村氏は、まだ二十八歳ですね。だから、あなたも、教授と羽村氏が兄弟だったなんて、想像もできなかったでしょうね」

 と言われて。

「ええ、今でもまったく分かりません、顔も似ている感じがないし、まだ信じられないという感じですね」

 と、準之助は答えた。

「ところで、山本さんは、橋本教授がなぜ、あなたに最初勝負を挑んできたのか、その理由をご存じでしょうか?」

 と刑事が訊いた。

「いいえ、分かりません、ただ、橋本君と私は中学時代の幼馴染ということですので、何か彼にとって気になることでもあったんでしょうね。それを本当は勝負の時に聞いてみたかったのですが、いつの間にか相手が変わっていた。そういうところでしょうか?」

「そうですか、中学時代のお友達ですね。ということは、弟さんはその時まだ生まれていなかった計算になりますね。まあ、生まれていたとしても、まだ幼児だった頃でしょうか?」

「そういうことになりますね。でも、彼は弟ができたなんて話はまったくしていなかったので、まだ生まれていなかったのかも知れないですね」

「そうかも知れません」

「警察の方でも、もちろん、兄の橋本教授に話を伺いにも言っていて、その時あの勝負で、どうして弟が出て行ったのか、その理由を訊ねたんですが、なんかうまくはぐらかされた気がします。弟がどうしても有名になりたいから、その企画として、対決したいと言ったので、譲ってやったなどという話くらいしかしていませんでしたけどね」

 と言われて。準之助は少々、訝しく思い、

「それはおかしい気がしますね。元々の勝負を私の方から言い出したのであれば分からなくもありませんが、あくまでも最初に勝負を挑んできたのは教授の方なんです。しかも、相手からの道場破りのような感じではなく、こちらをその気にさせるように、誘導する形でのあざとい勝負の挑み方だったんですよ。そこまで計算しておきながら、そう簡単に弟に勝負をさせるなんて考えられないですね」

 と準之助がいうと。

「逆に、それも弟が仕組んだパフォーマンスだったかも知れませんよ。彼ならそれくらいのことはやりかねないとマネージャーは言ってましたね」

 という話を訊いて、

「だったら、この失踪事件も、その彼特有であるパフォーマンスとは考えられませんか? 失踪したことにして、後で平然と出てくるというやり方は、彼なら許されるとでも思っているんじゃありませんか? 注目を集めるためなら、なんだって利用するというのは、今の若者なんじゃないですかね? 有―ch-バーと呼ばれる連中にもそういうのが多いでしょう」

 というと、

「それも実は考えてみました。特に彼はどこかお騒がせなところのある芸能人ですからね。でも彼は芸能人であって、ユーチーバーではない。そこまで露骨なことはしないでしょう。下手にファンを舐めるようなことをして干されたり、まわりの芸能人も海千山千が多いので、あまり目立つと疎ましがられて潰される可能性がある。それを考えると、とても失踪などということを簡単にできることではありませんよ」

 と刑事は言った。

「それにしても、これによがしに部屋の机の上に置手紙するなんて。あくまでも誰かに見せるためですよね? しかも、警察の権力がなければ、いくらマネージャ―と言えども中には入れない。マネージャーが見るところであれば、楽屋だっていいわけじゃないですか。それなのに、自室のテーブルの上に置いておくなんて。あたかも捜索願を出すという前提のもとに計画されているわけですよね。これを彼のパフォーマンスと見るかどう見るか、マネージャーはどういっているんですか?」

 と準之助が訊くと。

「いやあ、マネージャーとしては、あの人のあの態度はパフォーマンスにしか過ぎないので、彼がやっていることは計算されたことであるから、ほとんどにおいて意味があると思ってもいいと言われるんですよ。だから、我々もその言葉を信じて捜査しているわけですが、最近の彼と深くかかわったと言えば、何と言っても直接対決したあなたしかいないじゃないですか。それを思うと。私どもとしても、あなたが何かを知っているような気がしてならないんですよ」

 というではないか。

 そんなのは警察の勝手な思い込みだが、それを面と向かって口にするのはよしにした。下手に言っても、言い訳にしか聞こえなければ、嫌疑が深まるのは間違いない。今のセリフにもあったように、深くかかわったのが自分しかいないということは、完全に何かを知っていると確信しているということである。要するに疑われているわけで、そんなことは簡単に承服できることではない。

――一体。どういうことなんだ――

 と、訳が分からないのはこっちだった。

「そういえば、一つですね。面白いことを他の人に訊いたんですけどね。彼は自分の取り巻きというか、マネージャーだったり、メイクさんだったりですね。そういう人たちは、いわゆるチャラいというんですか? そういう連中ばっかりだったらしいんです。本当にみていると、『お友達』にしか見えなかったといいますね」

 と言っていた。

 そういう連中をまわりに置いて、自分の自尊心をくすぐろうというわけか、もしそうであれば、何ともちっちゃな男だし、呆れてものが言えない類の人物だと言えるだろう。

だが、そんなやつが、急に父親の対戦相手を横取りしたり、しかも、それをパフォーマンスのような形に利用しようとしたり、負けたことで失踪するという、いかにもやりそうなことを次から次にするというのもおかしなものだ。まるで図ったようであり、そこに何らかの計算があるのではないかと思うのは準之助だけだろうか。

 しかも、作為がないように見えて、作為がなければ思いつかないようなこともしている。それも立て続けにしているので、却って怪しまれないのだが。それも計算ずくであったりすると、果たしてどういうことになるというのだろう。

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