第4話 ニセ流派との対決

 弟子である準之助は、自分流の逆さ絵をある程度完成させていた。

 彼が勝野先生の弟子になってから、三十年が経っていて、入門当時高校を卒業仕立ての子供だったのに、今ではすでに五十歳が近づいていた。

 勝野流は、すでに今は昔になっていて、逆さ絵というと、今では山本流と言われるようになっていた。

 ただ、準之助は、

「山本流は、確かに勝野先生の教えを受けた私が育んできたものなので、祖という意味では勝野流ではありますが、あくまでも、私オリジナルの流派です」

 と言ってきた。

 口の悪い人などは、

「何をお高くとまってやがるんだ。何様のつもりだ」

 と言っている絵画評論家もいるが、それは、勝野と準之助の間の師弟関係を知らない人が勝手に言っているだけだ。

 知っていればそんなことを口にできるはずもない。だが、それに誰も異を唱えないのは、準之助の気持ちを分かっているからで、いまさら波風を立ててしまうと、その余波が勝野先生に及ぶということを恐れたからであった。

 準之助にとって勝野は、いつまで経っても師匠である。ただ、それは芸術全般の師匠ということであり、逆さ絵はあくまでも準之助オリジナル。

「そんなことも分からないくせに、よく評論家などできるよな」

 と言いたいのを、グッと表に出さずに堪えていたのだ。

 準之助は別に聖人君子ではない。人並みに不満もあれば、腹の立つこともある。だが、そんな感情をほとんど表に出したことはない。なぜなのか、それは準之助にもよく分からなかった。

 自分の作品を分かってくれる人がいて、贔屓にしてくれる人もいる。そして、ファンがいてくれて、たまにファンとの間でサイン会なども催される。

 準之助は、そういうファンとのイベントは嫌いではなかった。むしろ、世間の人と接する機会は楽しいと思っていた。

 高校を卒業してから、ある程度自分に自信が持てて、気持ちに余裕ができるまでは、世間と交わらず、一心不乱に勉強することを目指した。

 そもそも、高校時代までに、自分が何を好きで、何に対して勉強していることに気づけなかったことが、大学進学に対して無理があったのだ。

 何かやりたい学問があれば、きっと、大学で猛烈に勉強し、ひょっとすると、大学教授にでもなっていたかも知れないと思うほど、勝野の弟子になってからの準之助は、前だけを見て邁進していた。

 勝野自身は、感性だけを信じ、先を目指してきたが、準之助は勉強するということから入るのだ。

 ある意味理屈っぽい考えから入ることになるので、先生としては、嫌なのかと思えば、

「俺がやってこなかった新しいやり方を、君が行ってくれるのは嬉しいことだ。まったく同じだったら、それはサルマネにしか過ぎないからな」

 と言われた。

 モノマネよりもあざといサルマネ。モノマネであれば、研究することでどこまで似せるか考えるが、サルマネは考えることなく、まずはインスピレーションだけでマネをするということになる。

 ここでいうインスピレーションは、感性と違うものであり、ただの勘と言っていうだろう。

 感性というものは、感じることで成立するもの、勘とは違うものである。そのことを分かっていないと、モノマネがサルマネでしかなくなってしまう。しょせんサルマネは本能によるもので、その本能というものを意識もしていなければ、下手をすれば、

「サル以下」

 ということになるのかも知れない。

 そのことを、ハッキリと自覚していたのかどうか分からないが、結果として自分の口からでも説明ができるようになった今、完全に逆さ絵の山本流は、かつての一世を風靡した勝野流とは違ったものであったのだ。

 勝野先生に一度聞いたことがあった。

「僕のこのやり方。間違っていませんよね?」

 もちろん、答えは分かっていた。

「ああ」

 たった一言、ただそれだけだった。

 そんな時、K芸術大学の享受に、橋本教授という人がいるようだが、その人は、独自の逆さ絵を描いていた。準之助もそのことは知っていたが、別に自分の絵とは別流派だと思っていたので、気にもしていなかった。

 だが、準之助の弟子の一人がある日、芸術雑誌を片手に準之助のところに駆け込んできて、

「先生大変です」

 というではないか。

「どうしたんだい? 一体」

 と訊くと、

「これをごらんください」

 と言って取り出したのが、その雑誌に挟んでいた付箋のページを開いた。

 そこには、橋本教授の談話が描かれていて、内容としては、逆さ絵というものは、そもそも一つであって、流派のあるものではないというところの論説になっていた。現状は、師匠で先駆者である勝野先生の流派と、先生が弟子には継がせたくないということで、独自のオリジナルを開発した準之助の流派、さらには、かくいうそんな論文を書いている本人である橋本氏の流派があった。

 皆それぞれ事情があった。

 準之助は師匠が、この絵の手法は俺ですべて終わりだ。継承などする必要はない」

 と言ったことから、オリジナルを生み出し、橋本教授もマネのできない人だということで、これも彼のオリジナルであることは明白なのに、何を今さら、そんな論文を書いているのか、言っていることとやっていることがまったく逆に思えて理解できなかった。

 橋本教授の考え方は、

「何か新しい手法が生まれると、それはすでに枝分かれしたものであって、さらにそこからの細分化は、ほぼないに等しい。もし、細分化されるとすれば、それはただの派生であり、それを流派と呼ぶのはおこがましいと言えるだろう」

 と書かれていた。

 もっとも、逆さ絵に言及しているわけでもないし、逆さ絵も流派と厳密に口にしているわけではない。だが、橋本教授のこの言葉は、完全に準之助のことを示しているように思えてならなかった。

「それにしても、自分のことを棚に上げて、一体この橋本という教授は何を言っていやがるんだ」

 と、弟子はかなりご立腹であった。

「まあまあ、いいじゃないか。言わせておけば。何も我々に言及しているわけではないんだ。下手に騒ぎ立てると、逆にこっちから宣伝しているものだし、相手の挑発に乗ってしまったことで、完全に主導権を相手に握られてしまう」

 と準之助は言った。

 まさにその通りで、準之助が一番恐れているのは、主導権を相手に奪われることであった。

「でも、これは相手が喧嘩を売ってきているようなものじゃないですか。このまま放っておくというのも癪なんですよね」

 と、この助手は、気が短いことでは定評があったが、それも勧善懲悪の精神から来ているのであるから、むやみに怒るわけにもいかない。

 そんな助手が、教授にこの件で会う前から怒り心頭に発しているというのは、珍しいことであった。

 着は短いが、わきまえてはいるのだ。それは彼が自分で勧善懲悪を意識しているからで、気の短さを自分では長所と思っているようなのだが、その理由がその勧善懲悪の意識なのであった。

 それにしても。教授の意図はどこにあるのだろう。教授をしているだけに、理論を元に考えられているので、よほどのことがない限り、言葉の暴力や挑戦的な言葉を発することをしない。

「じゃあ、何が彼をそんなよほどのことに駆り立てたというのだろう?」

 と思ったが、思い当たるふしはない。

 ただ、まわりの人は知らなかったが、準之助は橋本教授とは中学の頃の同窓生で、よく一緒に学校から帰りながら話をしたものだった。

 内容まではハッキリと覚えていないが、今思い返せば、彼がいうには、将来において、自分たちは何かで対決することになるだろうと言っていた。彼がそのことを覚えているかどうかは分からないが、結果的にそうなるのではないかと思うと、複雑な気持ちになっていた。

――よく中学時代のことを覚えているな――

 と感じた。

 さらに彼の描いているのは、

「私の逆さ絵に対しての作風は、先駆者である勝野氏のものとも、さらに、現代の第一人者である松本氏のものとも違っている。あくまでも私は私の作品であって、過去にただ似たような作品を掻いていた人がいたというだのことである」

 と書かれている。

 助手はこの部分を刺して、

「自分でオリジナルだと言っておきながら、何を言っているんだ。これでは彼の説でいけば、どちらが本物か、対決で白黒つけようと言っているようなものじゃないか」

 ということであった。

 その中にはそこまでは書いていなかったが、完全に挑戦状であることに違いない。

「どうしますか? 先生」

 と弟子に促されなくても、準之助の腹は決まっていた。

「面白い、白黒つけたいというのであれば、それもよかろう」

 と準之助もやる気のようだった。

「そうこなくっちゃ」

 と弟子は言ったが、

「いや、私は対決で白黒つけるということに対して面白いとは思ったが、これでどっちが勝ったからと言って、それが逆さ絵の主流を決定するというわけではない。それはあくまでもやつの説だというだけで、そのために買う喧嘩ではないということをハッキリとさせておかないといけないよ」

 ということで、

「負けたからと言って、そちらにはペナルティはなしということでなら、その喧嘩、勝ってやろう」

 という話をすると、

「負けた時のいいわけか?」

 と言われたが、

「いいや、勝敗がついた時点で、すでにペナルティは課せられているのさ。それをさらにペナルティでは追い打ちをかけるようなものではないか。そこまでの勝負ではない」

 というと、

「勝負をそこまでではないというとは、なんというやつだ。完膚なきまでにやっつけてやる」

 と完全に相手は怒り狂っていた。

 別に相手を怒らせる作戦でもないが、心理戦では、こちらが勝っていたようだ。それだけ、勝負に対して、

「そこまでの勝負ではない」

 という言葉を発したことに怒りを感じているようだ。

 この勝負が行われると聞いて、勝野氏は、以前自分が行った跡目争いの勝負を思い出した。

 あの時と、今回の勝負、どこか似ていると思っていた。何が似ているのか、最初は分からなかったが、一つ分かったことは、

「どちらの勝負も、始まる前から結果が見えている」

 ということではないかと思えたことだ。

 以前の勝負も、結果が分かった時点で、

「ああ、最初から分かっていたのではないだろうか?」

 と感じたのだ。

 そう思うと、勝負というものは、その当事者であればあるほど、勝負を始める前に、ある程度結果が見えているのではないかと感じたのは勝野だけであろうか。

 それが一瞬のことであり、瞬きをするかしないか程度の微妙なものであるから、ほとんどの人は気付かずに通り過ぎてしまう。よしんば気付いたとしても、もはややめるわけにはいかないところまで来ているので、分かっていても戦いに突入しなければいけないと考えるだろう。

 もし、気付いた時、何を考えるのかというと、

「負けが分かっているのであれば、いかに被害が少ない負け方をするか」

 ということを考える二違いない。

 そう、かつての大東亜戦争のようなものではないだろうか。

 日本がかつて行ってきた対外戦争の大きな三つはそれぞれに考え方が違っている。

 まずは。日清戦争であるが、これは賛否両論ある中で、初めての大国に対して挑んだ対外戦争である。早くから軍事国家を目指して近代化を推し進めた日本、さらに眠れる獅子と謳われていたが、世界から食い荒らされた状態で、しかも正対豪による売国とも思えるようあ暴挙にも近い、金遣いの荒さ。新興国と、落ちぶれた大国の戦争、やってみると、圧倒的な戦闘力での大勝だった。そこには、戦争における軍の指揮の高さの違いというものがあったのも忘れてはならない。

 その十年後くらいに起こった日露戦争ではどうだろうか?

 これも結果は戦争としては勝利であったが、実際には、薄氷を踏む勝利であった。そういう意味では日清戦争の勝利とはまったく違っている。戦闘が行われた場所は、ほとんど、日清戦争での場所と同じ、朝鮮半島から北部の満州の一部であったが、諸所の細かい戦闘では勝利を収める日本軍であったが、戦争遂行の計画はまったくと言って狂っていた。

 特に旅順における戦闘はそれを表していて、まずは、海軍による旅順港閉塞作戦は失敗に終わり、そのため行われた旅順要塞への攻撃では、まったく進展しない。被害ばかりが大きく、最初の戦闘での被害人数を日本の大本営で聴いた幹部は。

「被害者の数を二けた間違っているんじゃないか?」

 と言ったほどだったという。

 さらに、

「旅順といえば、日清戦争では一日で落としたところではないか、そんな小さな軍港一つは日本の命取りになるのか」

 と言われたほどだったという。

 だか、それでも、全滅寸前までの犠牲を払いながら、何とか旅順要塞を攻略し、やっとロシアの旅順艦隊を撃滅できた。それによって、日本はロシア本国からやってくるバルチック艦隊を迎え撃つだけの基礎が出来上がったということである。

 日本連合艦隊は、バルチック艦隊を撃滅し、半日で勝利したのだが、それも東郷長官によるバルチック艦隊の進路の予測が当たったからできたことで、違っていればどうなっていたか分からない。さらに、煙があまり充満しないという先進的な火薬である「下瀬火薬」の威力がすごかったというべきであろう。

 つまり日本は、強運と薄氷を踏む戦闘によって、かろうじて勝利したということだ。そこには米英に対しての外交が功を奏したという重大な事実があることを忘れてはならないのだ。

 戦争が終わって、いざ講和条約なのだが、日本は、領土的なものや、権益を満州において確立することができたが、戦争賠償金を得ることができなかった。もはや戦争継続の力は日本には残っていない。渋々受けるしかなかった。

 つまり、戦争における優位性はないに等しいということである。

 戦勝に沸き立っていた日本国民は、そんなことを知らないものだから、戦争に勝ち、多大なる犠牲を払ったのに、賠償金がないことに、政府の弱腰を見てか、日比谷公会堂の焼き討ちなどの事件を起こしたのであった。

 さらに、そこから激動の世界史が繰り広げられ、第一次世界大戦を経て、日本は大陸、主に満州の権益、さらには勢力拡大に躍起になっていた。それはソ連の南下を防ぐという明治以来の野望があったからで、さらに、中華民国による、反日運動への懸念から、満蒙問題としてその解決策を、柳条湖事件という列車爆発未遂事件を機に、満州事変を起こすきっかけになったのだ。

 実際に、当時の満州では、日本人拉致や暗殺が横行していて、とても、治安が安定しているなどと言える状態ではなかった。さらに、一番の問題は、日本国内の人口問題である。それを解決させるためには、外国に移住できる場所を確保することが急務であり、満州事変はそういう背景の元に起こったのだ。

 満州事変が成功し、満州に傀儡国家「満州国」を建設することで、日本人の移民を募った。

「王道楽土」

「五族共存」(五族とは、日本人、朝鮮人、満州民族。漢民族。蒙古人を差す)

 と呼ばれるスローガンのもとに、次々に満州に渡った。

 だが、そのクーデターを国際連盟に否定され、日本は連盟を脱退。世界では未曽有の経済恐慌が起こり、ナチス台頭、ソ連の世界共産化計画などで、一触即発の状態になった。

 そのうちヒトラーのポーランド侵攻で始まった第二次大戦。日本は、泥沼の日華事変に突入していて、それを諸外国は許さなかった。日本は経済的、軍事的、政治的すべてに孤立し、最後は米英蘭中に対して、宣戦布告を余儀なくされた。

 その時に日本が生き残るためにはどうすればいいかを話し合われた時、

「普通に考えれば、自殺行為の戦争である。勝ち目はないが、負けるにしても、その被害を最小限に食い止めるには、緒戦で相手の出鼻をくじき、相手が戦闘継続を諦め、反戦ムードが高まった時に、一気に講和に持ち込む作戦しかない」

 ということになり、マレー作戦、真珠湾作戦が計画され、緒戦では想像以上の戦果を挙げた。

 だが、緒戦で勝ちすぎてしまい、今度は鞘を納めるタイミングを逸してしまった。それが大東亜戦争の敗戦に繋がることになった。

 それが大日本帝国の滅亡に繋がることになるのだが、ここまでが、大日本帝国の歩んできた歴史だと言えるだろう。

 本当はこの中にこそ、大いなる教訓がいくつも隠されている。しかし。学校ではそのことを教えない。いや、教える側がこの事実をどこまで知っているのか怪しいものだ。そもそも、戦後の日本は占領軍によって、国民全体が洗脳されてしまった。今のような何が平和と言えるのかと思う日本を誰が作ってきたというのだろうか。

 いやはや、少し脱線が過ぎてしまったようだ。要するに今も昔も、勝ち目がなければ、

「負けるにしても、いかに被害を少ない状態にして負けるか」

 ということである。

 勝負師であればあるほど、どんなに不利な状態であっても、悲観するだけではなく、いかに切り抜けるかを考えるものだということであろう。

 そんな戦いはいつしかウワサになり、週刊誌などで発表された。しかも、二人が中学時代の友人であったということも分かっているようで、そこには、中学時代からの因縁めいた話がいとおかしく書かれているではないか。

 さすがにこの記事には準之助も腹を立てた、当然のことながら、相手の橋本教授も腹を立てていることだろう。

 この記事では、橋本教授の方が悪者扱いされていた。確かに喧嘩を売ってきたのは相手の方だが、それを買った時点で、立場は公平になったはずだ。それなのにまるで一方的に喧嘩を売りつけたかのような書き方をする週刊誌は、結局中身がどうであれ、面白おかしく書くことで、世間の目を引いて、週刊誌が売れればそれでいいのだ。

 実際に週刊誌効果というのは結構大きな反響があったようで、話題性という意味ではかなりのものがあった。

 何しろ、現代の果たし状である。違う見方をすれば、まるで道場破りのようなものではないだろうか。

 こうなってしまっては、絵画協会も黙ってはいられない。仲裁という名目で、喧嘩の場を提供しようという腹積もりだった。

 もうこうなってしまっては、後には引けない。静かに行うつもりだったが、勝手にリングが出来上がっていて、客も入ってしまっている状態だ。ここで戦いを行わなければ、卑怯者のレッテルを貼られてしまって、今後の活動はできなくなってしまう。完全に退路は断たれてしまった。

――一体、何がこんなことになってしまったのだろう?

 最初から仕組まれていたという考えもある。

 しかし、それであれば、橋本教授があんなに週刊誌で煽ってくるのも理解できないところがある。

――ひょっとすると、最初から仕組まれていて、橋本教授側は、この煽りを誰か後ろにいる人間が操作したのではないだろうか?

 と考えられなくもない。

 当の本人である橋本教授がどこまでこの状況を理解しているのかどうか、甚だ疑問ではあるが、誰か見えない手が傀儡していることは間違いないのではないだろうか。

――すると、この対決には大いに利権が絡んでいて、それによって得をする人間がいるということか?

 もしかすると、どっちが勝っても損をしないように仕組まれているのかも知れないというところまで邪推してしまいそうになっていた。

 となると、出来レースの可能性もありえる。

 それであれば、もう勝敗の結果がどちらになろうと、それをいちいち気にする必要もないだろう。

「ああ、そういえば、こちらが『そこまでの勝負ではない』と言った時、リアクションが変だったと思ったが、今までの成り行きを考えると、あの時、やつも違う意味でこちらの言葉に反応していたのかも知れないな」

 と思った。

「やはり、この勝負、始まる前から何となく分かっているような気がするな」

 と準之助は考えた。

「きっと、勝ちはこちらになるだろう。それがどのような結果をもたらすか分からないが、相手が負けたことで混乱し、そこに付け込んで何かの膨大な利益にありつこうということなのだろう」

 と感じた。

 そう考えるのが一番自然であり、向こうが勝った時に得られる利益を考えると、ほとんどないようにしか思えなかった。

 出来レースで勝ちと分かっているようなものほど、本当はやりたくないものもないが、ここまでお膳立てをされてしまうと後ろに下がるわけにもいかない。本当に困ったものである。

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