第3話 跡目継承対決

 弟子を持たないと思った勝野光一郎が準之助を弟子にしたのは、彼がまったくの素人だったということと、もう一つは、そういう朴念仁のようなところがあるからだった。勝野光一郎自身も独身で、今までに付き合った女性も数少ない。もっとも、本当に結婚したいと思った女性がいるにはいたが、それが前に仕えていた先生の娘だったから大変だ。

「弟子は師匠の娘に手を出すとはどういう了見だ」

 と、先生から厳しい叱責を受け、折檻まで受けた。

 それでも、彼女を好きだった気持ちに変わりはなかったので、彼女の、

「一緒に逃げて」

 という言葉に乗ってしまったのは、今から思えばまだまだ分かったからだろう。

 こんな悲劇とも喜劇とも取れるようなベタな設定で、結末は分かっているようなものだったにも関わらず、その時は一直線の気持ちに逆らうことができなかったのだ。逃げるつもりで約束の場所まで行っても、彼女は来ない。

――用意をして、私に会いに来る途中で、捕まってしまったんだ――

 という思いで、いても立ってもいられなかったが、この場所を離れるわけにはいかない。

 それでもさすがに来ないので、彼女の家の近くまで行ってみて、そっと影から見ていると、普通に生活をしているではないか。これから駆け落ちというそんな状態ではまったくなく、自分の目を疑ってしまったほどだ。

「裏切られたのは俺だったんだ」

 と、急に身体の奥からすべての力が抜けていく感じて。たった今まで自分が何を思っていたのか、それすら記憶の彼方に追いやられてしまった。

 完全に置き去りにされて、自分だけが、駆け落ちしていて、後から誰も追いかけてこずに、どのまま戻ることもできず、先に進むこともできず、その場でどのようにすればいいのかも分からずに、結局は、断崖絶壁の谷に掛かっている木製の吊り橋に、風に吹かれて、どちらにも行くことができず、谷底に落下するのを待っているだけという虚しい状態に陥ってしまっていたのだ。

 勝野光一郎は、その時の経験から、人を信用しなくなり、特に女性を信用しなくなった。その時を機会に師匠の元を離れ、半分やけくそで独立した。

 後ろ盾も何もなければ、まだまだ修行中だったこともあって、絵の才能も中途半端だ。

 勝手に飛び出し、しかもその理由が娘に手を出したというわけなので、破門も同然だったので、自分がこの業界で、少しでも目立ってしまyと、潰される運命にあるのではないかという覚悟は持っていた。

 だが、師匠はそこまでひどい人ではなかった。

 逆さ絵という新たな境地を開いた勝野に対して、姑息な攻撃はしてこなかった。それどころか、雑誌のコラムで、

「最近は逆さ絵などというものが流行っているが、なかなかユニークな発想である。これがただのブームで終わらなければいいが」

 とコメントしていた。

 要するに師匠は、

「大人の対応」

 をしたのだった。

 しかも、師匠は弟子の性格もよく分かっていたようで、他の雑誌のインタビューで逆さ絵について聞かれた時、

「逆さ絵なるものは、しょせん、一時期のブームにすぎないと思いますよ。でも、それを提唱した勝野君ですがね。彼の性格からすればそれでいいと思っているんじゃないですか?」

 という回答に、

「どうしてですか?」

 と訊くと、

「だって、彼は無双な男なので、自分に誰かが並び立つというのはあまり好きではないと思います。だから、他の人が台頭してきたり、弟子が自分の芸術を継承してくれるということに違和感を持っているような男なんですよ。だから、きっと彼は、弟子も取ろうとしないし、何よりも、ブームが去って、逆さ絵といえば、山本準之助と呼ばれることをよしとするタイプだからですね。それが彼の性格であり、いいところなのだと思っていますよ」

 と言うのだった。

――師匠はここまで私のことを分かってくれていたんだ――

 と、感じ、しょせん女などにうつつを抜かした自分を憎らしいと感じた。

 自分が弟子を持たないと思った理由の一つに、これは誰にも公表していないが、

「自分が弟子を持ったら、自分の弟子には絶対に恋愛を禁止するに決まっている」

 と思ったからだ。

 準之助が朴念仁のようであったという理由は間違っていないが、恋愛を禁止することで、そんな自分が嫌になるという思いがあったからだ。

 もちろん、

「弟子に悪い」

 という思いもあるが、弟子に対して、弱い部分を見せるのが嫌だというところもあった。

 そんな思いが嵩じて、ただ、表面上の弟子がいらないという意識になったのだろう。

 だから、自分が弟子を持たない理由については、実は自分でもしっかりと分かっているわけではない。準之助のことをずっと知っていて、客観的に見ることができる人がいれば分かることだ。今のところそんな人物がいるとすれば、師匠しかいないというのは、何とも皮肉なことだ。

 さすがに、あれから数年も経てばショックからも立ち直っているのだが、女性不審だけは残ってしまった。本当であれば、

「相手が悪かった」

 というだけのことなのだろうが、それだけではない。

 自分に見る目がなかったというのもショックの要因であり、芸術家としての自分が、人間の内面が分からないということにショックを受けていたのだ。

 だが、これは芸術家であろうがなかろうが、関係のないことだった。むしろ、自分が信じた相手が信じてはいけない相手だったということで、問題はそこではないのだ。

 確かにショックを受けている間、自分の作品は迷走し、なかなかうまく描ける自信がなかった。そのために、いかにすれば描けるようになるかを、徹底的に研究した。

 それまでずっと感性だけで描いてきて、これからもこのスタイルが自分の芸術に対しての姿勢だと思っていただけに、勉強をする自分にどれほどの違和感があったというのか。

 しかも、そんな芸術と向き合っている間にも、過去のショックだった自分を思い出し。気が付けば、何にそんなに熱心になっていたのかを無意識に考えている自分を嫌悪していた。

 ショックが残っている間は、どんなに勉強しようとも、頭の中に無意識に沸き上がる、あの人への思いをどうすることもできない。

 それは、

「好きだったという事実を消し去ることはできない」

 という思いから来ていた。

 その思いを消し去ることは、自分を自分で抹殺してしまうようで恐ろしかった。傷が癒えるとすれば、無意識な自然治癒でなければいけないと思っている。つまりは、自分の中に存在しているはずの、

「自浄能力」

 がどれほどあるかということである。

 自浄能力というものが、何かのきっかけにより、行われるものだとすれば、それを引き寄せるための環境づくりを自らが行わなければいけないと勝野は思った。そして、それができるのは、芸術家だけではないかとさえ思えていたのだ。

 何か一つに特化して、自分を高めることができなければ、自浄能力を無意識に行うことは難しいと思えていた。

 一般の人も自浄能力はそれなりにあるのだろうが、それは人間に与えられた最低限の効果であり、実際にその効果を自分で自由自在に操ることなど、できるはずもなかった。その理由としては、

「自浄能力は、特殊なものであり。特化した精神力がなければ発揮することはできない」

 と自らで考えているからではないだろうか。

 自浄能力の存在は分かっている。それはきっと、けがをした時にできるカサブタのような、自然治癒力のようなものとは明らかに違っているのである。

 だが、自然治癒力は誰にでもあるもので、病気でもない限りは、免疫の取得のように、自然に存在しているものだ。

 だが、自浄能力と言われるものは、能力であり、自分で意識しなければ、発揮することはできない。そんな分かり切ったことを勝野は、やっとその時に感じたような気がした。

「きっと世の中の大半の人は、自然治癒力というものと、自浄能力というものを、同じようなものだとして考えているんだろうな」

 と勝野は思った。

 そんな自浄能力が芸術家としての自分の才能を開花させてくれることになるとは、その時には分からなかった。

 人生というのは、ある意味巡りくるものなのかも知れない。

 自分の中での事情能力を発揮することになったのは、それからしばらくしてからの、

「秘伝継承による襲名対決」

 と呼ばれるものがあったからである。

 師匠の秘伝を誰が上継ぐかという、一種の後継者争いのようなものがあったことから問題となった。

 自分は以前、娘との結婚を反対されてしまったことで、その娘は別の弟子と結婚することになった。その頃にはすでに彼女への思いはなく、彼女も勝野への思いを断ち切っていたので、結婚に関しては、何ら問題はなかった。実質上、結婚相手が後継者になるのだろうと思っていて、それが一番安心であるということも分かっていたので、勝野としては。後継者に関しては。まったく蚊帳の外だと思っていた。

 しかし、師匠も弱い七十歳が近づいてきたことで、いつまでも家元というわけにもいかない。日本文化における華道は茶道などのような格式があるわけではないが、やはり先生の後継者はしっかりと決めておく必要があるということで、引退表明が開かれるということで、皆はそこで後継者が指名され、襲名ということになると思っていた。

 実際に娘婿はそのつもりだったようだし、勝野もまったく異論はなかった。むしろ自分が裏から支えていくという方が自分に合っているような気がして、しかも、これで本当にわだかまりがなくなると思っていたので。

「やっとこの時が来たか」

 という思いでいっぱいだった。

 だが、予想がこうまで覆されて、自分が今まさに表舞台に立たされるなど思ってもみなかった。

「これですべてがうまくいく」

 と思っていたことが、一つのことが狂ってしまうと、すべてが崩れてしまうという、砂場の山崩しというゲームを思い出したくらいだ。

 引退表明会見は、厳かに行われ、しめやかな式典となった。だが、その後には、華々しい後継者襲名が行われるものだと、ほとんどの人が思っていたことだろう。一部の週刊誌も来ていたので、芸術界では話題になったことではあったが、世間としてはまだまだマイナーな会派だっただけに、初めての後継者襲名となることで、華やかな中に、緊張が走っていた。

「さあ、いよいよ」

 という場面で、一堂にどよめきが起こった。

 それを引き起こしたのは、かくいう先生であり、先生はマイクを握りしめ、神妙な面持ちで、まわりを一望するように黙って見渡すと、一瞬目を瞑り。

「これから、重大発表をいたします。他でもない後継者のことですが。今はまだ白紙の状態です。候補はおりますが、その候補は二人です。その二人のどちらが後継者にふさわしいか。私を含めた委員の皆さんで決定していきたいと思います」

 というではないか。

 株式会社という形式をとっているので、理事もいれば、執行役員もいる。それらの前で二人の候補のどちらがふさわしいのかを決定するということなのだ。

 その発表で、完全に会場は、まるで天地がひっくり返ったかのようになってしまった。その候補者に祭り上げられたのは、もちろん、娘婿がそのうちの一人であり、もう一人は何と勝野であった。

 確かに、先生が、二人と言った時点で、候補者のもう一人は勝野に確定したようなものだったが、これは実にやりにくい。

 他のことであれば、相手に花を持たせるということもできるだろうが、何しろ芸術家の世界。皆プロのようなものだ。

 相手に花を持たせるなど、そんな小細工が通用するわけがない。もしそんなことをすれば、勝野としても、自分の進退問題になりかねない。もう一度の破門は許されなかった。

 一度破門され、それを許された状態で、表から、先生の流派を見てきたつもりだったのに、何を今さら、表舞台に引きづり出そうというのか。

――まさか先生は、かつて駆け落ちをしようとした自分をどうしても許すことができず、今ここで復習をしようなどと思っているわけではあるまいな――

 と勘ぐるほどだったが、すぐにそんな思いは打ち消した。

 先生は、真剣にこの流派を守りたくてやっていることなのだろう。そんな探偵小説でもあるまいし、血で血を洗う復讐劇などというものがあるはずもない。それこそ、世間に恥の上塗りになってしまう。

 そんなことを先生が望むはずもない。やはり、先生は真剣に先のことを考えているのだろう。

 先生が急死しての跡目争いではない。まだ目の黒いうちにあたるはずの先生が決めたことなのだ。

 作品の完成までの期限を一週間と決め、この短い期間で何でもいいから描いてくることを命じた、勝野は、あえて逆さ絵を描いたのだが、その出来栄えは、自分でも悪くなかったと思っていた。

 だが、一週間後に行われた跡目決定では、勝野は選ばれなかった。そう、これは最初から望んでいたことであって、負けたことへの悔しさはあったが、跡目争いという意味ではホッとしていたのだ。

「勝野君には、のれん分けではないが、特別顧問のような形で、今後も我が流派を支えていってほしいのだが」

 と先生にいわれたが、

「いえ、私はあくまでも私の流派の初代として進んで行くことに決めました」

 というと、

「なるほど、そうだな。その気持ちの表れがあの逆さ絵だったんだろう? 私もそれを感じたので、跡目を君には決めなかったのさ。これでいいんだろう?」

「ありがとうございます。そして、跡目として私のことを見ていただいたことに対してもお礼を申し上げます」

「いや、いいんだ。あれは私の引退前の最後のわがままだったんだ。本当は君に跡目を継いでもらいたかったというのは本音だよ」

「逆さ絵のこの私でもですか?」

「ああ、あれは、君の奥の手だからね。あれが君の本当のすべてだとは私は思っていない。だって、君はまだ逆さ絵を中心としたさらなる高みを目指しているように見えるからな。これからが楽しみだよ」

「本当にありがとうございます」

 というのが、当時の先代と師匠の逸話であった。

 さらなる高みを目指していたという意識があったから、ずっと弟子を取るつもりはなかった。それは、あくまでも自分が逆さ絵だけではないことを示したかったという思いであり、そういう意味では逆さ絵というものが自分一人で終わることも致し方ないと思っていた。いや、自分だけで終わることを望んでいた理由がそこにあった。

「一時期、一世を風靡した」

 というだけで、彼には十分だったのだ。

 一つの芸術を、一人だけで自由にできるということは、普通ならありえないことだ。それを味わうことができるというのは、これほど素晴らしいことはないであろう。

 ある意味、逆さ絵のパイオニアであり、パイオニアのままレジェンドになったという。これぞ、伝説として、一部の人間の中だけでも残ってくれればいいと思った。それも、自分が生きている間だけでいい。死んでからはどうせ分からないのだ。

 そういう意味では、先生が跡目にこだわった気持ち、分かるようで分からない。

「後進に続く」

 ということは、自分が作ったものが続いていく。そして自分がパイオニアとして、ずっと語り継がれるその喜び、想像してみると、自分の代で終わってしまうよりもワクワクする。

 しかし、自分の代で終わってしまっても、結局はレジェンドだ。自分にとって何が違うのかということを考えると、よく分からないのだ。

「そうせ、死んでしまったら分からないんだからな」

 と思う、あくまでも、死後の世界を創造できないという意味でのことであった。

「死後の世界なんて、今の世を生きている人間が創造するのは、おこがましい」

 と思っていた。

 確かに、死後の世界を描いた作品もたくさんあり、それは芸術的に高い評価を受けているものもある。しかし、誰一人として見たわけではない。一度死んで生き返ったなどという話は、SF小説でもなければありえることではないのだ。

 また、あってはならないことだと言ってもいいだろう。

 そういう意味では、勝野は作品以外ではリアリズムはであり、作品に関しては、写実主義とは反対の自然主義だと言ってもいいかも知れない。

 逆さ絵というものの発想の元々は、

「写実主義と、自然主義の中間があってもいいのではないか?」

 というところから始まった。

 最初は、絵がうまくなるための練習のつもりだった。実はこの練習法はずっと昔からあるもので、実際には逆さ絵という発想はなかったわけではないのだ。ただ、練習方法の一つというだけのもので、そこになぜ誰も芸術性を見出さなかったのか、それが不思議な気がした。

「模写していて、想像しているものではないので、写実主義に近い、しかし、実際のものを描いているわけではないので、自然主義というわけでもない」

 この発想から、逆さ絵という技法を確立してみようと思ったのだ。

 勝野は、イソップ物語の中にある、

「卑怯なコウモリ」

 という話を思い出していた。

 この話は、かつて、獣の一族と鳥の一族がどちらが強いかということで戦争していた。その様子を見ていた一羽のコウモリが、獣の一族が有利になると、獣の前に出ていって、「自分は全身に毛が生えているので、獣の仲間だ」

 といい、逆に鳥が有利になると、鳥の前に出ていって、

「自分には羽があるので、鳥の仲間だ」

 といい、それぞれにいい顔をしていた。

 だが、その後に、鳥と獣が和解し、戦争が終わると、何度も寝返ってきたコウモリを誰も信用しなくなり、嫌われ者となってしまった。そして皆から、

「お前の湯女卑怯者は、二度と出てくるな」

 と言われて、居場所がなくなったという話であるが、勝野が頭の中で描いている逆さ絵の発想は、まさにその「卑怯なコウモリ」に近いような気がしていた。

 別に新たな芸術の境地を模索しているのだから、卑怯でも何でもないはずなのだが、自分の中で、

「写実主義でも自然主義でもそのどちらにも自分の実力を発揮できないということが分かったので、それ以外のジャンルを開拓することで、逃げているのではないか?」

 と考えた。

 そう考えると、今度はまた別の発想が浮かんできて、

「新しいものを作るという発想は、今ある流派を極めることができないことで、その逃げを正当化しようと思っていたからではないだろうか?」

 というものであった。

 これは、今までの自分の生き方を、根本から覆すものであった。本当は考えてはいけない領域の発想に踏み込んでしまったのかも知れない。

 この思いが、

「逆さ絵というものを、自分の代で終わらせても構わない。いや、むしろ終わらせなければいけないという自分の中の黒歴史ではないだろうか?」

 という発想に繋がっているように思えてならなかった。

 自分が弟子を取りたくないと思ったその時、自分にそこまで分かっていたのだ。だから、ずっと弟子を取ろうとは思わなかったし、実際に弟子になりたいという殊勝な人間もたまに出てきたが、それはあくまでも、興味本位であり、他の門下に入っても、とても続きそうにない連中にしか思えなかった。

 と言っても、そこまで自分の目が正確であると言えるものではないが、少なくとも逆さ絵を継承したいと言ってきた時点で、逆さ絵というものがどういうものなのかを分かっていない証拠だと思えた。

 もちろん、逆さ絵というものに対して、自分の歪んだ精神が生み出したものであり、一種の邪なものなのかも知れない。それだけに、誰にも分かるものではなく、本当に考えるのであれば、

「逆さ絵を基盤としたオリジナルな派生を創造してみたい」

 とでも言ってくれれば、自分が感じてきた逆さ絵の精神くらいは、実践だけでしかないが教えることはできたかも知れない。

 それすら、発想としてないのであれば、論外でしかないと思った。だから自分には弟子はいらないという結論になったのだった。

 だが、準之助はそうではなかった。

 逆さ絵を継承するという意思があったのかどうか、今では定かではない。ただ、何よりもやつには、まったくの素人なのに、弟子入りというとんでもない発想があったのだ。

 ほとんどのところでは門前払いを食らっても文句はいえない。普通なら当然、門前払いが関の山だ。当然、彼も自分のところに来るまではたくさんの人の弟子入りを申しでてきたに違いない。自分のところが最初ではないだろう。

 だが、そんなことはどうでもよかった。今から思えばどうして彼を弟子にする気になったのか、正直なところ、あの時の心境を思い出すことはなかなかできないでいた。

 それでも弟子として彼を雇った。昔でいえば、書生のようなものであろう。自分の世話をさせながら、そこで一から芸術を学ぶ、自分でいうのもおかしなものだが、他の人にはない異端児てきとも言える勝野流の発想に染めていくことは、一種の洗脳であり、それがいいのか悪いのか、はたまた、許されることなのか、少しはそんなことも考えたが、相手が望むのであるから、許す許さないの問題ではないだろう。それを思うと、この場合の洗脳は悪いことではないように思えた。芸術家なのだから、少々歪で偏屈であってもいいゆに思える。それが勝野流とでもいえばいいのだろうか。

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