第2話 準之助の性格

 勝野光一郎は、弟子の山本準之助に自分の作品の極意を教えることはしなかった。もちろん、最初はずぶの素人だったので、最低絵画というものがどのようなものかという程度は教えてきた。幸いにも彼は呑み込みが早かったので、絵画の上達は早かった。二科展などにも出展し、賞を受賞できるところまで言っていた。

 ただ、世間に対しては、師匠の勝野光一郎は、彼を、

「アシスタントの一人」

 と言っていて、弟子だという表現はしていない。

「私は弟子は取らない」

 という名目があるため、あくまでも弟子としての表現は避けていた。

 そのことはもちろん、準之助も承知していて、実際に日頃から、アシスタントの仕事もこなしていた。

 そのせいもあってか、彼に逆さ絵の指導をしたことはなかった。だが、彼は独自の勉強法で、自分の作品を作ってきた。

 山本準之助という男は師匠の勝野光一郎が、感性を重んじて制作に入る芸術家であるのに対して、彼は勉強熱心で、知識を元にした感性で作品に立ち向かう姿勢をもっていた。そこはやはり、

「自分は弟子である」

 という意識が強く、そもそも芸術に対しては素人だったというところから来ているのだろう。師匠の背中を追いかけながら、勉強して、知識を豊富にしていくことが、芸術家への近道だと思っていた。

 彼は、模倣が嫌いだった。師匠と弟子であれば、

「師匠の技をそばで見ていて、盗み取れ」

 とよく言われているようだが、それは嫌だった。

 芸術に対しての姿勢や、取り組み方については、大いに学ぶところはあるだろうが、マネだけはしたくなかった。もし、マネをしてしまうと、作品までが似てきてしまい、弟子になった理由を損ねてしまうと思った準之助は、あくまでも、自分は自分ということであった。

 逆さ絵は、やはり、最初の数年ほどブームがあったが、そこで衰退してしまった。それは勝野にとっても分かっていたことで、却って、自分以外の追随を許さなかったということにもなり、そこを誇りにできるので、よかったと思っている。弟子を持ちたくないと思った理由もそこにあっただけに、ブームが去って少し複雑ではあったが、その思いも最初だけだった。

 だが、まったく製作していなかったわけではない。なかなか売れるというわけではなかったが、細々と書いていた。個展を開いた時には逆さ絵を目立つところに飾って、宣伝文句も、

「逆さ絵で有名な勝野光一郎先生作品展」

 などと書かれていた。

 これは主催者側の要望からであり。自分から申し出たものではなかったので、少し恥ずかしい気はしたは、嫌ではなかった。

 時代とともに、逆さ絵というものが忘れ去られていく中で、唯一の作家として、そしてパイオニアとして、細々ではあるが、続けていけることを、本人は喜んでいたのである。

 しかも、時代が進むにつれて逆さ絵を知っている人も徐々にいなくなる。

 絵を見た人が、

「何ですか? これ」

 と言っている人の反応は、微妙だった。

 中には、興味深く見てくれる人もいたが、ほとんどは、

「何か、気持ち悪い」

 というような苦笑いを浮かべ、足早に通り過ぎていくのを見ると、

――時代の流れなのかな?

 と感じずにはいられない。

 一世を風靡した自分の作品だったはずなのに、実に寂しい限りである。

 ただ、その気持ち悪がる人のほとんどは、ただ立ち寄ったというだけで、芸術が分かる人ではないというのは、一目瞭然で分かった。少なくとも芸術を嗜む人は、そんな目でこの作品を見たりはしなかった。分からないなら分からないなりに、何かを探そうという意思はひしひしと感じられるからだった。

 勝野先生の作品展に、準之助の作品が入るようになったのは、準之助が弟子入りしてから、五年目くらいのことだっただろうか。

 最初は、勝野先生が主催者に、

「私のアシスタントの作品なんですが、どこか、一か所にでも置いてやっていただけませんか?」

 と言うところから始まった。

 弟子入りしてから五年が経ち、彼の勉強熱心さが彼の成長の早さを物語ることとなり、成長著しい姿を見せている彼が、今どれくらい世間に見られるかを感じてみたくなったのだ。それは、弟子の成長を見てみたいという思いもあったが、いずれライバルになるかも知れない相手の成長を知っておきたいという本音があったのも事実だった。

 最初から、準之助がいずれ自分のライバルとして君臨してくることも分かっていた。分かっていたというよりも、彼を正式に弟子としてまわりに紹介しているわけではないのでそれも当然のことである。

「もし、彼を自分の弟子だと世間に公表することがあるとすれば、それは自分が引退する時だ」

 と思っていた。

 もしも彼が芸術家として一人前になり、独り立ちという意味で、独立をしたとしても、彼を自分の弟子だとは言わないだろう。自分の目の黒いうちは、弟子であっても、ライバルなのだから。

 初めての個展での彼の作品デビューは、三作品ほどであった。

「それでも、多いくらいだ」

 と思っていたが、主催者側が彼の作品を気に入り、

「じゃあ、三つほど場所を裂きましょうかね」

 ということで決まった割り振りだった。

 それだけ、作品を見ても、彼の才能に感じるものがあったのだろう。ひょっとすると主催者は、準之助が勝野の弟子であることを看破していたのかも知れない。

 長年の付き合いで、勝野先生のことはよく分かっている主催者なので、

「勝野が隠すのであれば、それならこちらも知らないふりをしておこう」

 とでも、思っていたに違いない。

 個展の期間で、準之助の作品を見るお客の目は結構暖かかったように思う。

 個展の中に、別の作家の作品があるというのも珍しく、アシスタント作品とは書かれていたが、その作品に共感した人の結構いたようだ。

 中には案内役の人に、

「あの作品、なかなかいいですよね」

 と声を掛けていた人もいたくらいで、これにより、勝野も自分の指導が間違っていなかったことを感じた。

 弟子を持つなど最初から思っていなかったし、芸術を行っている間は、一人で孤独だという認識が強かったので、自分が誰かに教えるなどとそれまで想像をしたこともなかった。

 ただ、唯一、学生時代には、

「将来は作家としてデビューするか、それとも絵を教えて生計を立てていくか」

 という青写真を描いているだけだった。

 絵を教える場合も、視覚を取って、学校で教えることになるのか、それとも、教室を開くことになるのかということは未知数だった。ただ、教室と開くのは金銭的な面から考えて現実的ではないという思いから、あまり想像できるものではなかった。

 だが、自分の絵が認められ、実験的なイメージで作成してみた逆さ絵が、想像以上に売れたことで、今の地位があるのだった。逆さ絵は自分の分身でもあると思うようになっていた。

 準之助の作品は次第に勝野の個展でもスペースを取るようになり、彼のコーナーも一角にできるくらいになった。さすがにここまでくれば、

「自分の個展を開いてみるのもいいんじゃないか?」

 と勝野が話をした。

 実際に、勝野の個展を催している主催者からも、さらには他のスポンサーからも、

「準之助さんの作品をそろそろ個展にしてもいいんじゃないですか?」

 と言われるようになっていた。

「ええ、それは前から考えていたことだったんです。じゃあ、さっそく準之助にも話して見ましょう」

 ということで準之助に話を訊いた。

「それはありがたいことですね。皆さんが私の作品を認めてくださってのデビューですから、私も楽しみです」

 という返事が返ってきた。

 それを聞いて勝野も喜んだ。いくらまわりがヨイショしたところで、本人にその気がなければ、どうにもならないことは火を見るよりも明らかだ。

 実際に個展をしてみると、上々だった。

「これが個展デビューだなんて、信じられないくらいの才能ですね」

 と、客からの評価である、

 これ以上ないという評価を貰ってのデビューは、やはりセンセーショナルであった。

 だが、この頃はまだ、彼は逆さ絵を前面に出すことはしなかった。密かに練習していて、それなりに自己満足はしていたが、本当は世間に評価してもらいたいという気持ちを持ちながら、封印していた。

 実際にそれを世に出してしまうと、今のままでは中途半端な気がした。もう少し普通の絵画で技を磨き、そして個展を充実させられるだけのものにしたかった。

 それまでにも二科展などに出展し、何度か優秀賞を受賞してきたが、個展を開いて、そこで評価として生の声を貰うというのは、コンクールに入選するのとは違った意味で、悦びはひとしおだった。

「本当に嬉しいですよ。これも皆さんと、勝野先生のおかげです」

 と、主催者に話をしていて、彼はこの時期に、作家人生で最初のピークを迎えていた。

「作家人生のピークというのは、何度も訪れるものであり、その都度感じたことを大切にしておくことが大事なんだ」

 と、かつて勝野先生は言っていたのを準之助は思い出していた。

 作家人生において、今まで知らなかったことが、どんどん生まれてくるのを感じると、あの時の勝野の言葉が身に染みて感じられるようになっていた。

「やっぱり、勝野先生は思っていた通りの人だ」

 と、準之助は感じていた。

 だからこそ、弟子を取らないと言っている勝野のところに直談判に来たのだから、それくらいの思いがあってしかるべきだろう。

 個展も何度か開いて、もう立派な一人前として、主催者は感じていた。

「そろそろ、お前も独り立ちの頃かな?」

 と先生が言い出した。

 それは準之助も分かっていたことだっただけに、

「どうだ。そろそろ独立してみては」

 と先生にいわれた。

「ええ、それは私も最近よく考えていました。やっぱり僕と先生とは、考え方がピッタリ嵌っているんでしょうね」

 と言った。

 この時も弟子という言葉を使うことはなかった。今でも弟子などというと、先生が怒り出すに決まっているということを分かっていたからだった。

 準之助がそう言って独立したのは、勝野先生のところに弟子入りしてから、十年と少しが経っていた。準之助ももうすぐ三十歳。人生でも、最初の山が訪れる頃ではないかと思えたのだ。

 今まで一心不乱に絵画作品に打ち込んできて、実際に素人からの出発だったので、不安もあったが、それ以上に、自分の成長が著しいと分かることが嬉しくて、毎日感じている成長をずっと味わいたくて、

「時間がこのまま止まってくれたり、また同じ日を繰り返せたらいいのにな」

 と思ってはいたが、実際にはそんなことはなかった。

 どんどん先を見ていても、ゴールが見えるはずもないし、後戻りなど論外で、前しか見えていない自分に対して失礼だと思うほどだった。

 それが一種の本音と建て前、建前はしょせん本音の裏返し、本心であるはずがなかった。

 彼の新しいアトリエは、同じ街ではあったが、少し離れたところに設けられた。マンションの一室を借りる形で、それが一番の安上がりだった。最初こそ少し広めのマンションに、自宅兼アトリエとして開設したのだった。一人のアトリエなので、それで十分だった。その頃には、彼に作品を注文してくれるところも結構あったので、作品を取りにくる担当者にも、

「なかなかいいアトリエですね」

 と、本音か建て前かよく分からないお世辞を言われたものだった。

 こういう時の本音と建て前ほど分かりにくいものはなく、担当者の意見を鵜呑みにしていたが、それでも自分では気に入っているので、別に問題はなかった。

 中には泊っていく担当者もいて、リビングのソファーは、ソファーベッドにしていた。

 もっとも出版社が来ない時でも仮眠できるという意味で、ソファーベッドは重宝した。そういう意味で、このアトリエは十分に機能したと言ってもいいだろう。

 たまに勝野先生も来てはくれたが、すぐに帰られた。これは忙しいところなのに、自分を気にしてきてくれたのだと思うと、実に感謝すべきところであった。

 ここから、勝野先生から独立して自分が事業主としての生活が始まる。元々、実力的には独立しても問題のない状態だったが、あくまでもアシスタントとしての仕事があるからと言ってきたが、本当は先生のところにいるのが楽だったという心境も少しはあった。

 先生のところにいれば、余計なことを考えることもなく、製作に邁進できると思っていたからで、これからはすべてを自分でこなさなければいけない。だが、これまでのコンクールの入賞や、個展での収入、さらには自分個人に対しての注文などで、かなりのたくわえが残った。それを資金として、法律的なことは弁護士にお願いしたり、雑用などのヘルパー、さらには、アシスタントを数名雇ってもやっていけるくらいになっていた。

 おかげで、一人で悩むことはなく、意外と独立しても、まわりが支えてくれるので、製作に没頭することはできたのだった。

 年齢的にも三十歳になっていたので、これまでは先生の弟子として、芸術に没頭する毎日だったこともあって、ふと一人になってみると、寂しさがこみあげてきた。確かに独立を夢見てきたことで、その夢が叶ったことは最高に嬉しいが、その反面、今まで気にしてことのなかった寂しさや、虚しさが襲ってきたのだ。虚しさは、不安から来るもので、寂しさは孤独感から来るものだと思っていたが、どうもそうでもないようだ。どちらがどちらともいえない曖昧な気持ちが押し寄せてきて、一人になったことを痛感させられた気がするのだった。

 やはり、一番の寂しさは、女性への想いであった。

 今までに女性に対して感情が動いたのは、思春期の時だけだった。甘いマスクのおかげで、中学時代には思ったよりモテていた。結構たくさんの女の子から告白され、その時のドキドキが忘れられず、その時誰とも付き合っていなければ、基本的に断ることはしなかった。中には本能的に合わないと思った相手とは最初から相手にはしないが、それ以外では普通にドキドキして、その思いを継続したくなる。だが、継続というのはあり得なかった。

 確かに声を掛けられた時は、まわりが自分に注目してくれて気持ちがいいし、相手の女の子の真面目な目が心地よかった。しかし、実際に付き合ってみると、何かが違うのだ。

女性には二種類あった。自分に甘えてくる女性と、いろいろと構いたい女性である。どちらも自分のことを好きだからしてくれているのだろうが、どうもイメージが違ってきていた。

 甘えてくる女性は、自分の方にしな垂れかかってきて、自分の魅力を使って、こちらに何かをさせようとする。どこかに連れて行ってほしかったり、プレゼントのようなものを無言で要求しているという雰囲気がありありだった。

「ねぇ」

 などという猫撫で声を立てられると、背筋がゾッとしてくる。そういうのを、今ではあざといというのだろうが、そういう態度は却って、逆効果だった。

――なんで、あんなに自分を安売りできるんだ? あの告白の時のドキドキしていたのは、計算ずくだったということか?

 としか思えない。

 また、いろいろと構いたくなるような女性もしかりであった。

 何でもしてくれるので、楽な気はするが、その分、こちらに対して制約も大きい、

「してあげているんだから、こちらの要望も聞いてね」

 ということなのだろう。

 要望と言っても、甘えてくる女の子のようなプレゼントがほしいとかいうようなあざとさではなく、いろいろと拘束したがるのだ。

 少しでも連絡がなかったら、心配したとごねられて、毎日何度から連絡することを約束させられたり。他の女子とは話をしないという制約を受けたりと、とにかく、こちらを縛ろうとするのだ。完全に自由がなくなり、そんな思いをするくらいなら、一人がいいと思うのは自分だけではないだろう。

 どちらにしても、両極端な話ではあるが。相手から声をかけてくるような女性は、そのどちらかというのがほとんどだった。

 どちらにしても、一人で不安であったり、好きになったことで積極的にあることを恋愛成就の秘訣だと勘違いしている女性なのだと思うと、少し残念であった。

 何にしても、

「あの時のドキドキを返せ」

 といいたいくらいになっていて、ほぼ、一か月ほどで別れが来るのは目に見えていた。

 それでも、言い寄ってくると、また付き合ってしまうのは、やはりあの時のドキドキには勝てないという思いと、

「こんどこそは、まともな恋愛ができるかも知れない」

 という淡い期待があったからだ。

 分かり切っていると思っているくせに、またしても同じ失敗を繰り返してしまうのは、なかなか諦めきれない往生際の悪さがあるからなのかも知れないと思っていた。

 そんなせいもあってか、途中から、男性からも女性からも嫌われるようになっていた。自分ではそんなつもりもないのに、嫌われるのは理不尽だと思った。理由が最初は分からなかったが。男性から嫌われるのは、

「あいつは、ちょっと顔がいいからと言って、いつも女の子から声を掛けられて付き合い始めるくせに。すぐに別れて、またすぐ声を掛けられる。そんなに何度も相手をふるのに、また声を掛けられるなんて、贅沢だ」

 というやっかみであった。

 さらに人によっては、

「そんなにすぐに別れてしまうくらいなら最初から付き合わなければいいのに」

 と思っている人も多く、それは自分もその通りだと思う。

 しかし、自分の中では、

「断るのはせっかく声をかけてくれた相手に失礼だ」

 という思いがあるからで。

「いやいや、そうじゃないだろう。最初はいい顔をして、後で裏切るのと一緒で、相手だって、どうせフラれるのなら、早い方が痛手が少なくていいに決まっているんだ」

 と言われたこともあった。

 また、女性からにしても、そうだ。

「あの人は言い寄られたら断りきれないのは、自分がモテると思っているからなんじゃないかな? それを断ると失礼などと思っているとすれば、何様のつもりなのよ。女の子はあんたの自尊心のおもちゃじゃないっていうのよ」

 と思っていることだろう。

 そして、もっとも多いのは、

「中途半端に付き合うというのは、相手を舐めていて、思いあがっているのと一緒よ。あの人、付き合ってみて分かったんだけど、全然優しさがないのよ。その理由が、別れの時に、必ず女の子の方から言わせるのよね。そのあたりが巧みだというのか、自分が傷つかないようにしているとしか思えない」

 という思いであった。

 こんな思いを抱かせるのだから、よほど、相手にとっては、ひどい仕打ちだったのだろう。

 確かに、彼は、自分から女性をふることはなかった。ふり方が分からないというのが本音なのだろうが、その本音を相手に示さない。準之助が女性に抱いているあざとさとりもさらにあざといことを相手にしているのだった。

 そんなことはまったく気にしていない準之助は、

「基本的に女性とどう付き合っていいのか分からない」

 という思いを抱きながら。とりあえず、告白されたからという理由で付き合うようになる。

 何度も付き合い、別れを経験しているのに、まったくそれが生かされていない。なぜなら、準之助は勉強しようとは思わないからだった。

 これが準之助という男の神髄でもあった。

 つまりは、

「自分の好きなことであれば、どんなことがあっても、一生懸命に進んで勉強するが、それ以外のことは、自ら進んで何かをしようとはしない。勉強をしようという意識すら感じないほどなんだ」

 ということであった。

 ここまで極端な人も珍しい。

 だから、彼に言い寄ってくる女性が両極端なのもしかるべきなのかも知れないが、それにしても、相手も純情な女の子であることに違いはない。そうでなければ、自分から勇気をもって告白などしないだろう。その一生懸命さが、告白の時のドキドキをくれているのではないか。

 そのことに、準之助はまったく気づいていない。いや、気付こうとしないのだ。

 高校生になると、まったく準之助を意識する女の子はいなくなった。女の子もフラれて成長するのだろうし、大概の女の子は、自分で好きになれる相手を見つけて。その人と仲良くやっているので、その時点で残っている女の子は、準之助を相手にするようなことはない。売れ残った女の子も両極端で、準之助のようなイケメンには最初から声を掛けられないという、すべてにネガティブ思考な女性か、フラれ続けて、目だけは肥えてしまった女性なので、そんな女性は、最初から準之助の正体など見切っているので、相手になどするはずがない。

 学生時代の準之助は恋愛経験がないまま、弟子入りした。当然、女性のことなどそれ以降考えたことがない。まるで朴念仁のようになっていたのだ。

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