逆さ絵の真実
森本 晃次
第1話 逆さ絵
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。芸術、絵画の技法に関してもフィクションです。あしからずです。
子供の頃など、絵は文字を逆さまに描くという人がいるという話を訊いたことがある。さらに絵を描く練習に、
「逆さまに描くことをすればうまくなる」
などという話を訊いたことがある人も多いだろう。
これはどういう現象なのだろう?
子供が絵を描く時、無意識に逆向きに書くのは、例えば、先生である人、学校の先生や、友達、さらには絵を描く時に一緒にいる人としての母親などが、対面にいて、大人が普通に書いているのを子供が描き方だけをマネすることで、逆さに描いているということを聞いたことがあった。
それは、結構たくさんの子供が行っていることなので、別におかしなことではなく、逆にマネができていて、それでうまく描けるのであれば、それも才能の一つと言えるのではないだろうか。
中には、それを伸ばそうとして、わざと逆さに描くことを奨励している親もいたりする。その理由は、脳の働きにあるのだそうで、結論として、
「左脳モードから右脳モードに転換する」
ということが影響しているということのようだ。
人間の脳は、右脳と左脳とでは少し違う役割を持っているようで、左脳は、言語の処理をしたり、分析的であったり、中手的だという。見たものの形状を抽象化して、シンポライズするのだという。便利ではあるが、絵を描くという機能には適さない。つまり、左脳はそれぞれのパーツを持ち出して。それに沿った形で絵を描こうとするが、抽象化したパーツを組み合わせても、正しい絵にはならないのだ。
だから、それぞれのパーツをシンポライズして、頭の中で形を描き、それを当て嵌めようなどとする左脳に対して、絵を逆さまから描くという違和感を与えることによって、左脳を混乱させ、左脳を機能停止にさせる。その時に動き出した右脳は、難しい余計なことw考えずに。単純に線と線の関係であったり、色と色の関係。角度から明暗、そして形などを追うことで、本来の絵の技法に近づくことになる。頭で考えるのは難しいことかも知れないが、理屈によって頭が納得することでできるようになるといういい例なのではないだろうか。
そういう意味で、絵を逆さまから描くという練習をさせている親もあれば、無意識に子供の方で、逆さに描くようになっている子供もいるということである。
絵がどうしてもうまくならない人は、
「自分には絵の才能がない」
あるいは、
「何かが欠けている」
と思っているのかも知れないが、実際には、
「余計なことを考えてしまっていて、絵の基本を忘れてしまっていることから、描けないのではないか?」
と言えるのではないだろうか。
しかも、その本来の基本を、
「具体的すぎて、理屈っぽい」
と考えてしまうことで、余計に描けなくなってしまっているとすれば、それは、教養を毛嫌いするということの弊害ではないだろうか。
世の中には、得意であったり苦手であったりすることが、理屈とは異なっている場合も少なくない。例えば、
「短気な人間ほど釣りに向いている」
と言われたりする。
本来であれば、じっとしていて、浮きばかりを見ていることに短気な人間は耐えられないと思われるのだろうが、実は、
「短気な人は負けず嫌いが多く、釣りに向く」
というのだ。
一点だけを考えて、まったく逆の考えを見てしまうというのは結構あるもので、絵にしても釣りにしても、その通りなのだろう。
ただ、この、
「逆さ絵を描く」
ということを、自分の画法として定着させた画家がいた。その画家はもうすでに芸術界から引退しているが、その弟子にその技は受け継がれている。
その画家は名前を勝野光一郎という人で、年齢は、還暦を超えたくらいであった。
五十代前半くらいまでは、
「俺はまだまだバリバリだぞ」
と言っていたのだが、六十歳を前にしてから、急に自分の作品に自信が持てなくなったようだ。弟子の山本準之助も、
「先生、まだまだじゃないですか。この世界の先駆者なんですから、もっとご自分に自信を持って」
と声をかけていた。
この弟子の山本準之助も、齢四十歳に差し掛かっていた。高校を卒業して弟子入りしてきた作家で、高校時代には、油絵の実力はなかなかのもので、学生コンクールではいつも全国大会でもトップクラスであった。
当然、芸術大学を目指し、将来は画家になるか、絵の先生になるかと言われていたのだが、まさか、無名の勝野光一郎などに弟子入りするなど、その話が出た時、結構センセーショナルなニュースとなったものだ。
実は、師匠である勝野光一郎も、中学時代から絵の才能に関しては、
「将来有望」
とみなされていた。
しかも、絵の才能だけではなく、彫刻にも一芸に秀でていて、他の追随を許さないと言われたほどだった。
「勝野の前に勝野なし、勝野の後に勝野なし」
などと、最高級の褒め言葉を浴びていたほどだった。
そんな彼が妙な描き方に嵌ったのは、やはり当時の偏屈画家の影響だった。
その画家は、根っからの偏屈で、
「わしは弟子など絶対に取らん」
と言って、頑なすぎるほどの断り方で、さすがに弟子になることは断念せねばならなかったが、その分、根っからの負けん気を生かして、独学でさらなる絵の勉強をし。さらには、
「逆さ絵というものの魅力に気付いてしまったことで、さらなる高みを目指すことができ。意外とそれが自分に合っていたんだろうな」
と、昔を回帰していたのだ。
実際には、
「逆さに描くことで上どまりだと思っていた絵の実力がさらに上を目指すことができるほどになった起爆剤を与えてくれた」
と思っていたのだ。
絵の才能なんて。誰が評価するというのか、とにかく、逆さに描くことが面白く、うまく描くことができれば、自分の才能を自覚することができる。それが面白かったのだ。
そして、その路線を独自に示すことで、世の中に自分という存在を示すことができる。それを彼は有頂天にさせた。しかも、それが人から与えられたものではなく、初めて自分が取り組んだものであることが、大きかったのだ。
逆さに描くことの信憑性は、前述の、
「右脳と左脳の問題」
によっても、今では証明されているが、当時はあまり何も言われていることではなかったのだ。
そんな勝野光一郎は、その頃から、あまり表に出ることはなくなった。いずれ、逆さ絵というジャンルを自分のものにして、センセーショナルな再登場の手土産にするというのは野望であり、その野望は自分で思っていたよりも、さらに世間にセンセーショナルを巻き起こした。
「逆さ絵ブーム」
なるものを生み出し。
「時代の寵児」
とまで言われたが、その後誰もこの分野に足を踏み入れることなく、ブームは去ってしまった。
だが、却ってこれが、彼の作風として定着し、ネットでも、逆さ絵のスペシャリストとして彼の名前が最初に出てくるほどであった。
今では光一郎の絵画論説なども書籍化されて、絵画以外でも活躍することになったのだった。
デビュー当時の彼は、どちらかというと、低俗と言われるものも扱っていた。
特にヌードなどは結構描いていたが、実際には芸術作品で身を立てたいという誰もが思う発想を抱いていて、しかも、自分では普通だと感じているモラリズムがあったことで、ヌードを描くことに、一定の自己嫌悪を抱くようになり、ジレンマを感じてまっていたのだ。
その思いを打ち消してくれたのが、
「耽美主義」
であった。
美の世界に限らず、小説の世界にも、
「耽美主義」
は存在する。
「道徳功利性を廃して、美の享受、形成に最高の価値をおくという芸術思潮」
というのが、いわゆる耽美主義と言われるもので、自分のヌードには美しさを感じ、美を第一に追求することで、耽美主義という芸術を完成されるという、言い訳のような発想であった。
だが、勝野はこの発想に飛びついた。これが彼の、
「逆さ絵」
を、一つの芸術にまで特化させる大きな理由になるのだから、なまじ、旅主義も悪いものではなかった。
そういう意味では、耽美主義が彼にもたらした影響は、非常に大きなものだっただろう。ただ、そんな耽美主義は、異端であることに違いなく、多くの人たちに受け入れられるものではなかった。
彼が考えたように、
「自分が唱える芸術を正当化するための言い訳に過ぎない」
という理論は、自分が考える前に誰もが感じるもののようで、
「言い訳までして、自分の芸術を表に出したくない」
と思っている人もたくさんいる。
やはり王道のやり方で、皆に認められ、誰からも言い訳などと言わせたくないという思いが前面にある。そんな人は耽美主義などというものを幻だと思い、最初から頭に描くことすらしないのではないだろうか。
逆に彼は、耽美主義を否定どころか、存在すら意識しない連中の方が、視野の狭さから、
「芸術を語るなどおこがましい」
と考えているほどだった。
求めているものは同じはずなのに、その過程は違うことで、ここまで対立してしまうというのは、芸術を学問として考えれば、悲しいことである。
「じゃあ、芸術というのは、学問以外に、何があるというのか?」
と言われると、考えられることとしては、
「商売だ」
ということくらいであろうか。
自分の生み出した作品に、値段という価値が付き、それを元に生活や、芸術を嗜むことができるのである。
ただ、商売という発想は、自分を芸術家として考えている人にとっては。考えたくないものであり、
「芸術が求めるものは、やはり美ということになるのだろう」
と思うと耽美主義を完全に否定できないところもあった。
だが、道徳やモラルに反することは、芸術家として許されないものだと思っていた。いわゆる、
「パンドラの匣」
を開けてしまったのと同じではないかと思う。
開けてはいけないものを開けると、必ず罰を受けることになるという発想が、そのままモラルであり、道徳であるのだ。
「では、ヌードを美だとして見てはいけないのか?」
と言われると、それこそ、道徳倫理に違反していて、生命の存続、ひいては存在に対しての、冒涜のようにも思えてくる。
それこそが、ジレンマであり、どちらに寄ったとしても、そこに矛盾が含まれてしまう。それは、ほとんどの芸術家、いや、ひいては人間の中にあるもので、身動きが取れないことで、焦りや困惑が生じてしまう。その大小の差が、耽美主義者か、そうではない人かという違いになり、
「耽美主義者以外は、皆反耽美主義だ」
ということになってしまうのだろう。
彼はしばらく、自分の弟子を持つことをしなかった。
弟子を持つということに照れ臭さもあったが、この逆さ絵ブームは自分の代で終わることを予知していた。しかも終わってくれることを願っていたと言ってもいいかも知れない。その方が、自分だけのものであり、世の中に名を遺すよりも、自分だけがこの世界を作って終わらせたという方がよほど彼の自尊心をくすぐるのだった。
「弟子が自分よりもいいものを作ったら、師匠としては喜ばなければいけないじゃないか、だけど、一人の作家としては、複雑な気持ちじゃないか。その時の気持ちを思い図ると、俺にはとても耐えられそうにもない」
と言っていた。
それを聞いた作家仲間は少し呆れていたが、その気持ちも芸術家としては分からなくもない。だから、何もいうことができなかったのだが、
「俺は俺の世界を見れればそれでいいんだ。逆さ絵といえば勝野光一郎と言われ続けるのを俺は願う」
と彼がいうと、
「だけど、それ以前に、逆さ絵自体を忘れられるかも知れないぞ」
と言われて、
「それならそれでいいのさ。俺の時代が終わったというだけで、それだけのことさ。これが俺の生き方なんだよ」
という勝野に、まわりは何も言い返せなかった。
自分だったらどうするという自問自答をしても、永遠にその答えは見つからない気がしたからだ。
「でも、今度弟子を取ることにしたんだ」
というではないか。
「おいおい、言っていることが支離滅裂じゃないか」
と言って、笑っている仲間だったが、勝野の表情が、今までにないほど真面目だったことで、少し怖くなったくらいだ。
「弟子というのが、まったくの素人なんだよ。素人の分際で、俺のところに弟子入りしたいってきたんだよ。絵の経験は? って聞いたら、ないと答えやがる。ふざけているのかと思ったがそういうわけではない。理由に関してはハッキリとは言わなかったが、何か面白い気がした。もし、こいつが俺のような作品を作れたとすれば、俺が育てたことになる。そしてできなければ、しょせんできなかったのは素人だからということで、俺の責任ではにない。どちらにしても損はない。もし俺よりも優秀な作品を作ることができたとしても、俺が先駆者なんだから、絶対に俺を超えることはできないと、そんな風に思うようになったのさ。さっきの話とはやつが弟子にしてくれと言ってきた時から、考えが変わったと思ってくれてもいい」
と勝野は言った。
「ところで今まで、お前のところに弟子入りを希望してくるやつはいたのかい?」
と訊かれて、
「いたにはいたが、明らかに逆さ絵というものに興味を持ったというだけで、私を師匠として慕う気持ちはこれっぽっちもなさそうなんだ。俺としても、あんまり師匠として慕われるのもくすぐったいんだが、ここまで露骨に、『遺産狙いの不偽装結婚』のようなことwされては、いつ何をされるか分からないじゃないか。あくまでも人間としての俺を慕ってくれての入門じゃないと、弟子としては雇えないというものだ」
というと、
「じゃあ、アシスタントはいるのかい?」
最近、勝野の事務所は、株式会社組織にしたことで、当時主流であるプロダクション形式になったことで、助手は必須になった。経理部門や総務も必要になり、ただの芸術家というだけでは済まなくなってきていた。
「ああ、アシスタントや社員は数名いるさ。難しいことは、弁護士出身の人に任せているので、安心はしているんだがな」
と言っている。
「それはいいことだ。著作権だったり、いろいろ作者の権利というものがあるからな。そのあたりはしっかりしておかないと、せっかくのいい作品を世に出しても、金儲けの道具に使われちゃあ、作品に悪いからな」
という。
「それはそうなんだが、やっぱり俺は、昔カタギなんだよ。それでも弟子というのは、アシスタントとは違うので、取らなかったんだ」
だけど、ずぶの素人とは恐れ入ったな」
「ああ、学校も別に芸術関係の勉強をしていたわけではなく、ただ、高校の時に美術部だったというだけなんだ。だけど話していると面白いんだよ。俺が考えていることをあいつも考えていて。意見が一致するのが、面白いんだ。あいつも面白いようで、まったく違った性格だと思っているのに、意見だけが一致するというのは、何か惹かれるものがあるのかも知れないというんだ。俺もその通りだと思ったよ」
「感性が引き合うというのかな?」
「そうかも知れない。まだ、芸術に関しては分からないんだが、一つだけハッキリと分かっていることは、あいつにも耽美主義があるということだ。美しいものは美しい。だから、愛でるだけの価値があるといううんだ」
「それこそ、いつもお前が言っていることじゃないか」
「そうなんだ。それにやつは。俺の初期の頃のヌード作品を見て、笑うんだよ。別にバカにしているわけではなく、もし自分に絵描きとしての才能があったら、この絵をマネて描きたいと思うんだろうなっていうんだよ。だけど、自分は模写はできない。あくまでも自分のオリジナルだって言い張るんだ。そのあたりが、俺と考え方が似ているような気がする。だから、同じ逆さ絵を描くとしても、やつの作品はまったく趣の違ったものになって。俺の弟子だっていう感じではなく、その時には、俺のライバルとして独立しているんじゃないかって思うんだ。それが俺には楽しみではあるんだよ」
と、勝野は言った。
「弟子は嫌だというのはそういうことか。その人が成長して。自分とは違う流派であれば、いくら彼が自分よりも上を行っても、それは弟子ではないという発想から、今度は自分が逆に叩き潰すというくらいの気持ちになれるので、闘争心が湧いてくると思ったわけだな?」
と言われて、
「その通りさ。俺にとって逆さ絵は、俺の独自の主流であるからして、もしやつなら自分の流派を作れば。逆さ絵とは違う表現を見つけてくるはずだ。だから、逆さ絵のわしと、今後できてくる流派の、やつとの闘いが繰り広げられる。実に愉快なことではないか」
と言って、笑うのだった。
「その弟子というのは、何者なんだい?」
「最近、高校を卒業して、いきなり来たんだよ。先生の弟子にしてくれってな。絵はほとんど趣味でしかやっていないと言って、以前に描いたという作品を見せてもらったが、さすがに素人に毛が生えた程度だ。だけど、考えてみれば、俺が推奨する逆さ絵というのは、右脳を左脳に転換させるというのがそもそもの発想。絵がうまい下手は、この際関係ない。どれほどうまく左脳に転換できるかがカギになるわけだ。だから、見た目だけでは分からない。作品を見せてもらっても意味がない。だから彼は、作品を見せる時、『あまり意味がないですが』と言ったんだよ」
と説明した。
「確かにそれはいえる。お前の逆さ絵は最初から、世間の物差しで測ってはいけないものだったんだよな。それを忘れていたよ」
と言って、また笑った。
「弟子なんて言葉を使うから、古臭く感じられるが、でも、実際にはそれ以上でもそれ以下でもない。戸惑いながらではあるが、やつを弟子にすることにしたのさ」
「名前は?」
「山本準之助というんだそうだ。名前も芸術家向きに思えたので、そのまま名乗ればいいと言っておいたよ」
「うんうん、俺もそう思う。何十年後かには、その山本重之助が、どんな作品を作っているか楽しみだな」
と仲間に言われて、
「実は俺もなんだ。やつのことだから、途中で投げ出すようなことはないように思うんだが、もちろん、勝手な思い込みなんだけどな。でも、何かを製作するという意識は強いように思えた。これも話をしていて感じたことなんだが、耽美主義で道徳面に少し疎いやつなので社会に出ると、違った人生になるというよりも、結局やつは、芸術という結界から外には出られない気がするんだ。もっとも、その結界は自らが作っているもので。それが意識してなのか、無意識なのか、俺にも分からない。きっとあいつ本人にも分かることではないんだろうな」
と勝野はいった。
「そりゃあ、そうなんだろうな。もし、俺に弟子ができたとしたら、お前のような考えには決してならないだろうし、その山本準之助のような弟子も、まず来るようなことはない。俺はこれでも、弟子がくれば、拒むことはしないんだけどな。こんな俺には来ないのに、お前のところに来るというのは、一体どういうことなんだろうな」
と、またしても笑った。
今度は先ほどに比べての大声だ。それだけ自分の話題になったことが嬉しかったのだろう。それは勝野も同じことで、弟子の話題にあったことを嫌だとはまったく感じていなかったのだ。
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