第9話 急転直下

 女将さんの死因は、一目瞭然の絞殺であった。一目瞭然と言ったのは、その首にロープが巻き付いていたからだ。女将さんの表情は、完全に断末魔の様相を呈していて、いかにも、絞殺されたという雰囲気が醸し出されていた。

 鑑識が入ってまたいろいろと調査されたが、鑑識の報告を待たずに分かることとおすれば、

「女将さんは、佐山先生よりも後に殺害された」

 ということであろう。

 もちろん、ロープの形状を確認してみないと分からないが、これほどの至近距離で二つの絞殺死体は発見され、一つの首には凶器が残っていなかったのだから、同じロープが凶器だったということは、想像しやすいのではないだろうか。

 その想像は当たっていて、ろーおうに形状と、佐山氏の扼殺痕との間は一致したようだった。つまりは、

「同一犯における同一凶器での凶行で、先に殺されたのは、佐山氏だ」

 ということは、ほぼ確定だと言ってもいいだろう。

 この中で一番怪しいというか、確証としては薄いのは、同一犯であったかどうかということだけで、それ以外は、ほぼ確定だと言ってもいいだろう。

 同一犯かどうかに対しても、女将さんの死体を、見つかりにくい場所に隠したということに何か意味があるような気がして、それは同一犯であるがゆえの犯行だとも言えるのではないか。もし、別人の犯行であるとすれば、一つを隠したのであれば、もう一つも隠すはず。つまり、最初から犯罪がなかったと隠蔽しなければ、下手をすると、二つの殺人の罪を、片方はやってもいないのに、やったと思わせることになるだろう。それを思うと、なぜ女将さんだけを隠そうとしたのか分からないが、別々の人間による犯行だと考えるのは無理がある、別々の人間が、別の人を同じタイミングでしかも、同じ場所で犯行に至るなど、偶然にしては出来すぎている。それだけでも、別々の犯行だとは思えないのではないだろうか。

 ただ、これで一つ分かったことは、

「女将さんは失踪したのではなく、殺されていた」

 という事実である。

 この事件は、事件自体をややこしくしたようにも見えるが、逆に犯人を絞らせることになるのではないだろうか。二人を巡る人間関係を調べることで、だいぶ捜査は限定された範囲内に絞られるような気がしていたのは、山田刑事だけではあるまい。

 だが、実際にはそうも簡単にはいかなかった。

 次の日一日、いろいろと女将さんと佐山先生の身元調査が行われていたが、それぞれに秘密になっている部分もなく、その経歴はほとんど違和感のない時系列で明らかになっていた。

 一人の身元を捜査するのには、結構時間がかかるものだとは思うのだが、この二人の身元は結構早く調査が進んでいた。

「隠れている部分が少ないということは、こうも簡単なことなのか」

 と捜査陣に思わせたが、それが却って事件を袋小路に迷い込ませた。

「どうも二人を結ぶ線が、なかなか出てこないですね。過去にさかのぼって調査しても、二人の接点はありません。出身地から、年齢や境遇もまったく違う二人なので、最初から接点があるなどということはないと思われますね」

 と、それぞれの身上を調査した捜査員は、口々にそういった。

「そうか、だったら、二人を結ぶ線からの捜査は難しいか。これが分かれば、ある程度捜査も絞れてくると思ったんだが、残念だ」

 と。捜査本部長が言った。

 捜査本部の空気はさすがに重く、解決の突破口になればいいと思った女将の遺体の発見は、完全に空振りに終わった。まるで袋小路に入り込んでしまったかのようなこの事件を象徴するかのように、捜査本部の雰囲気は一変していたのであった。

――これは思ったより厄介な事件なのかも知れない――

 一縷の望みが断たれたことで、疑問だけが残ってしまった女将の殺害。

「どうして女将は殺されて隠されなければいけなかったのか。そして、女将がこの事件でどんな役割だったのか、そして、いずれは見つかるかも知れないと思った場所であっても、隠さなければならなかった理由」

 いろいろと疑問点は多かった。

 最初の被害者である佐山先生の遺体は、すぐに発見された。しかも何かの見立て殺人であるかのように、滝つぼに叩きつけられるような殺され方である。その遺体を見た時、何かの見立てだと思ったが。次第に本当の目的は、死亡推定時刻を曖昧にすることではないあkと思った。

 だが、考えてみると、死亡推定時刻が曖昧にするというのは、死亡推定時刻を早いか遅いかのどちらかに思わせるため、つまり、自分にアリバイがその時間であればあったことで、死亡推定時刻の偽装は成り立つのだ。

 しかし、この犯罪には、死亡推定時刻を偽装して、それがどんな影響が、犯人にとっての都合のいいことがあるというのかが分からないのだ。アリバイ工作をしたいのであれば、死亡推定時刻が曖昧なことは逆に困る。

「死亡推定時刻が十二時であれば、アリバイがあるから、犯人ではない」

 となった場合、本当の殺害時刻が九時とすれば、九時にはアリバイがないことで、自分に致命的とも言える殺害後浮きがあれば、犯人にされてしまう可能性がある。重要容疑者として逮捕拘留され、警察での尋問、しかも、犯人扱いという状態の中で、自分を保ち続けられる自信はない。それを思うと、死亡推定時刻をごまかしてでも、アリバイを作ろうという思いに至っても仕方のないことだ。

 だが、死亡推定時刻の幅が広がれば。その時点で、アリバイトリックの入り込む隙間はない。そしてもう一つ、アリバイトリックを考える場合であるが。どういう精神状態の時にアリバイ工作をする必要があるかということである。

 たぶん、被害者が犯人にとって、殺害するだけの理由を十分に持っていて、一番に容疑者として疑われる場合である。これは前述の意味でもあるが、逆にどんなに動機が有力であっても、鉄壁のアリバイが存在すれば、警察は追求することはできない。警察も最初から、アリバイ崩しを狙うわけではなく、他に犯人がいる場合を優先して捜査するであろうから、アリバイというのは、存在する時点では鉄壁だと言ってもいいだろう。

 したがって、その分、時間稼ぎもできるわけだ。万が一アリバイを崩された場合のための、次の手だって寝ることもできる。ただ、アリバイよりも強いトリックはきっと存在しないに違いない。しかも、トリックというのは、犯罪が行われた時点で成立していないといけないものがほとんどだ。後から摂り作ったものはトリックでも何でもないのではないだろうか。

 それなのに、あの死体をあの場所に置いたということで、死亡推定時刻が曖昧になることを犯人には気づかなかったのだろうか。気付かないまま、見立てに走ったと考えれば、滝つぼに何の意味があるというのは。少なくとも見立てをするには、かなりの手間がかかる。一人ではできないものも結構あるだろう。普通に考えれば、あれだけのことをしたわけだから、一人では無理な気がする。もし一人でやったのだとすれば、どれほどの時間が掛かったことだろう。

 そのことを考えてみると、犯人の何かの意図があるような気がするのは気のせいであろうか?

 山田刑事はそこまでのことは考えていた。

 そして、ここから先が山田刑事の頭を混乱させたのだが、それはいうまでもなく、

「女将の殺害」

 ということだった。

「佐山先生を殺した同じ形状のロープが、女将の首に巻き付いていた」

 という事実が、分かった時点で、

「女将は佐山先生の跡に殺された」

 ということを示しているということが分かったことで、最後に二人が目撃されたのが問題になった。

「佐山先生は露天風呂を八時頃に出てから、部屋でずっと執筆をするということで引き籠っていたので、昨日の午後八時以降、見たという者はいません。八時の時点での先生の目撃証言は複数の人間から聞けたので、その時間まで生きていたのは間違いないでしょう。では女将の方ですが、女将は夜の十一時までは旅館の事務所にいたことが番頭さんの証言でハッキリしています。そうなると、少なくとも女将が殺されたのは、十二時前後ではないでしょうか? 実際に死亡推定時刻も十二時字から二時の間くらいということだったですので、間違いないかと思います。となると、問題は、女将の立ち位置ということになります」

 と捜査本部で山田刑事が発言した。

「というのは?」

 と本部長が聞くと、

「女将さんが、この事件でどのような役割があったのかを考えてみました。犯人はまず佐山先生を殺し、そして同じ凶器で女将を絞殺しています。凶器が同じだったということは、ほぼ連続して起こったことではないかと思います。なぜなら、犯人の立場あら考えれば、人を殺してしまった凶器を、すぐに誰かに見つからないところに隠すか、処分するかするはずです。そんなものをノコノコ持っているのは、危険極まりないからですね、それなのに犯人が女将を同じ凶器で殺した。だた、もちろん、犯人が同一犯であるという前提ではなしますが、これに関して異論のある人はいないと思いますので、先に進みます。犯人は佐山氏を殺した後で、取って返す刀で、女将を殺すことになる。私が今考えているのは二つの理由からです。一つは、女将が犯人を見てしまい、殺さないわけにはいかなくなった。それは説得力があります、見られてしまったことで犯人の気は動転し、同じ凶器を用いて、殺してしまった。そして、死体を隠した。ひょっとすると死体を隠すのが目的ではなく、紐が見つかるのが怖かったから、死体もろとも隠したのかも知れない。ヒモだけを持ち去ればよかったんでしょうが、気が動転していた。たぶん、犯行を見られたと考えるのは、一番説明がつくのではないかと思います。でも、私にはもう一つ意見がありました。これは犯行を見られるというほどの強い根拠はありませんが、これも犯行動機としては十分に考えられることです。ここで敢えて申し上げておきますが……。この事件では被害者の佐山先生を滝つぼに置いて、見立て殺人のような細工を施しています。その理由に関してはまだ分かりませんが、あれだけの細工をするのだから、一人でやったとすれば、かなりの時間が掛かります。いくら人に見られない場所とはいえ、宿から離れているわけですから、犯人がいないということを誰かに悟られるかも知れない。アリバイの話になった時、犯人が、夜半、何時間も寝床を離れていたなどというのは、あまりにも不自然ですからね。死体の発見がなければ、眠れないので、気分転換などと言えるのだろうが、死体が発見されることが分かっている犯人が、よほどのことでもない限り、そんな危険を犯すはずがないですよ。つまり、見立ては速やかに行われる必要があった。そう考えると、浮かんでくるのが共犯者の存在です。もし、その犯人が女将さんだったとすれば、どうして女将さんが殺されたのかというのも推理できると思います。実際に犯罪に手を染めてしまったが、急に怖くなって。自首するとでも言い出したのか。あるいは、犯人にとって最初から女将は邪魔な存在で、犯行の協力さえさせれば、後は用なしということで、殺してしまうつもりだったのか、どちらにしても、犯人が残忍な考えを持っていて、しかも冷静で頭のいい奴ということを示しているでしょうね」

 というのだった。

「うーむ、なるほど、山田刑事の推理には、かなり信憑性があるような気がするな。そのあたりから捜査を進めていくという筋ができただけでおありがたい。この事件は、訳が分からないところが多すぎて、実は何を最初に取っかかればいいのか、そのあたりが見えていなかったことで、五里霧中だったんだよ」

 と本部長は言った。

「それともう一つ気になったことなんですが、女将の死体を隠してあったあの洞穴ですがね。本当に誰も知らなかったんでしょうかね? あの温泉宿は結構昔からあって、常連のお客さんも多いという。そんな昔からここにあった宿の従業員も結構皆それぞれに長いと聞いています。女将や番頭くらいなら知っていたかも知れない。そう考えると、どうしてあそこに死体があったのかということで考えると、女将が共犯者だと考えて。犯人が女将を殺そうと迫った時、女将がギリギリでそれを察して、殺されないように逃げ込んだ場所があの洞窟だとすると、それを追ってきた犯人とあそこで取っ組み合いになって、そのまま殺されたとも考えられますよね。だから、犯人はそれ以上女将を他に連れていけなくなった。何しろ全身ずぶぬれですからね」

 と山田刑事は言った。

 実はこの話は、事件の核心を得ていたのだが、その時残念なことに山田刑事は気付かなかった。もし、このことに気づいていれば、ひょっとすると、この時点で犯人が分かっていたかも知れない。

 ともあれ、この話も一連の山田刑事の推理の中に埋もれてしまうのだった。

「そのあたりも、死体がどうしてあそこに隠されていたかということに、何らかの意味があると、山田刑事は思っているんだね?」

 と本部長に訊かれて。

「ええ、そうです。たぶん、この事件の表に現れている事実のどれも、意味のないというものはないと思うんです。すべてが、何かの根拠によって存在し。それをいかに理論づけて組み立てていくか、それがこの事件解決への糸口であり。最短距離なのではないかと思っています」

 この山田刑事の熱弁は、まさに捜査の教科書とも言えるべき内容のことだった。

 一体どのように事件を解釈し。解決の糸口をこれから組み立てていこうというのか、山田刑事の手腕が試されるというものだ。

 捜査本部で、山田刑事が事件の事故推理を語っていたその時、富田刑事が却ってきた。富田刑事は、事件関係者から再度の聞き取りを行っていたのだが、その中で仲居さんから興味ある話が訊けたと言って帰ってきた。

「興味ある話というのは、どういう話なんですか?」

 と山田刑事が訊ねると、

「実は、あれから仲居さんから話を訊いていたのですが、最初は皆が話しているのと同じようなことしか聴けなかったので、一種の人の話の裏付けにしかならなあったんですが、私が、事件の前日までは、結構宿泊客がいたという話をした時、急に何かを思い出したようにハッとしたんです。それで聞いてみたのですが、前日まで宿泊していて、最終日の昼過ぎにはチェックアウトを済ませて、帰っていった人が、翌日、露天風呂にいたという話だったんです。その人は、どうやら、宿泊客の中の柏木夫妻の旦那さんである、柏木徹さんと親しくお話をしていたということだったので、柏木さんのことを調べていると、どうやらあの夫妻、偽名を使っていたようなんです。ただ住所は、男の方の本当の住まいを記載していて、まったくの偽証というわけではなかったんですね。もっとも、名前を偽っているというのは、それだけでおかしいんですが……」

 と富田刑事は報告し、一旦口に水を含んだ。

「怪しいような気がするけど、この事件に、どこまで関係があるのか、疑問というところですか?」

 と山田刑事が訊くと、

「そういうことかも知れませんね。その柏木徹に訊いてみると、本名は、山内竜彦というのだそうです。ただ、女性の方は本名のようで、名前を柏木由香というのだそうです」

 というと、

「二人は不倫なのかい?」

 と訊かれ、

「不倫ではないようですね、お互いに独身で、ただ、これは山内本人から聞いたのですが、お互いにアブノーマルな性癖があるということでしたが、さすがに今の段階では、それ以上を聴くのは忍びなかったので、話題を変えましたが、二人は、ところどころ中途半端に名前を偽っているのは、何か悪いことをしているからというよりも、ここにいる間は自分でいたくないという思いがあったからのようですね」

 と富田刑事は言った。

「昨夜の露天風呂では、どんな感じだったんですか?」

 と山田刑事が訊くと、

「ええ、露天風呂に二度目に入った時のことのようです。山内は、由香という彼女にも誘いをかけたのだそうですが、由香は一人で部屋にいるから、露天風呂に言っておいでと言って、送り出してくれたと言います。その露天風呂の中で、山内が出会ったのが、小学生の頃の知り合いであった、鳳麗子だというのです」

「鳳麗子?」

「はい、今は恋愛小説家として有名な。坂東あいりだというんです。風呂で昔の懐かしい話をしていると、のぼせるのを忘れて話をしていたというので、結構長く風呂で話をしていたということでした。その時、麗子が昨日まで宿泊していて、今日自分が泊まるということをどこからか聞きつけて、それで話に来てくれたんだと言ったそうです:

 と富田刑事がいうと、

「何となく都合がよすぎる気がするな」

 と山田刑事がいうと、

「それも話したんですが、山内は怪訝な顔をして、それ以上でもそれ以下でもないと言っていました。山内が事件に関係がないのであれば、山内の言い分は分かる気がしますね」

 と富田刑事は答えた。

「とりあえず、私は明日、その鳳麗子を当たってみることにしますね」

 と言った。

「ところで、その山内という男は怪しいという感じはないのかい?」

 と山田刑事が訊くと、

「彼は偽名を使ってはいますが、あの温泉についてからの行動に怪しい点はありませんね。ただ、それは彼の証言がすべて裏付けられての話ですけどね。そういう意味でも鳳麗子に遭ってみる必要はあると思っています。宿帳の住所は控えているので、明日にでも行ってこようと思っています」

「住まいは遠いのかね?」

「いいえ、同じ県内に在住のようです。宿帳を見る限りですね。ただ、電話で連絡だけはついたので、アポイントはつけてきました。明日の昼頃に、会う約束をしています」

「ところで興味深い話というのは?」

「その山内の証言なのですが、彼はどうも胃下垂らしくて、不規則な時間にお腹が減ったりするそうなんです。それで深夜の一時頃に、お腹がカップ麺を食べようと、ロビーに飼いに行った時、玄関の方に向かって歩いている殺された佐山先生を見かけたというんですね」

 という。

「ということは、佐山先生は少なくとも、午前一時頃までは生きていたということになるんですね?」

「ええ、そういうことです」

 この証言は、ある意味興味はあったが、分かったのは、女将が殺害されたのは、それ以降ということになる。ただ、これは山田刑事の捜査を裏付けるだけで、何かの新しい発見ではない。それでも何か興味を感じるのは、この時間をこれでもかと考えさせるところに何かがあると言えるのではないかということだった。

 その日の捜査会議が終わり、翌日富田刑事は、さっそく、アポイントを取っていた鳳麗子に会いに出かけた。

 富田刑事は、実は彼女のもう一つの姿である作家の坂東あいりの作品が好きで読んでいた。まわりには、恋愛小説が好きだというのも恥ずかしく誰にも言っていなかった。富田刑事は、普段から自分が軟弱な男だと思われたくないという思いから、結構まわりに自分の姿を隠すところがあった。その影響か、恋愛小説を読んでいることを誰にも話していなかった。

 特に刑事になってからは、その傾向が大きく、どこか謎めいた雰囲気と、人に馴染もうとしない協調性のなさから、彼に対してのイメージは賛否両論があったのだ。

 富田刑事が知っている坂東あいりという作家は、普段から謎めいている作家であった。決して顔出しもせず、どんな女性なのか、誰もが知らないその存在は、編集者の人でも彼女のことを知っているのは、担当と役職クラスの人だけで、編集社に顔を出すこともなく、そのほとんどが表で会っていた。家に招くこともほとんどないという徹底ぶりだった。

「秘密主義の方が好きなのよ」

 と言っていたが、それで彼女に何のメリットがあるのか分からなかったが、作家というのは大なり小なり変わった人が多いので、彼女もその範囲内だと思われていたのだ。

 鳳麗子を訪れた富田刑事は、山内の話と、彼女を見たという仲居の話をすると、

「ええ、山内さんに逢いに行ったのは事実です。ただ、それは懐かしさと、自分の仕事のために遭ってみたかったからの行動なんです」

「お仕事というのは?」

「私は、作家をやっているんですが、そのネタを考えあぐねているところに昔懐かしい人の話を訊いたので、会ってみたくなったんです。話をしているうちに昔の気持ちがよみがえってくるから、それを確かめに行ったんですよ:

 と言った、

 彼女の話はそれ以上でもそれ以下でもなく、しかも、

「私忙しいのであまり時間がないんです」

 と言って、旅行カバンを手に持って、どこかに出かける様子だった。

「どこかにお出かけで?」

「ええ、昨日の山内さんとお会いできたおかげで、頭に作品のイメージが出来上がってきたので、いよいよ本格的に動こうと思い、取材旅行に出かけるんですよ」

 と言った。

「そうです。それはお引止めしては申し訳ないですね。お気をつけて行ってらしてください。私も次回作を楽しみにしていますね」

 と言って、出かけていった。

 山内は、その足で、編集社に赴き、坂東あいりの話を訊いてみたが、やはり彼女のことはウワサ通りだったようで、ほとんど、ここにも来たことがないので、どんな顔なのかもよく知らないという。この日は取材旅行だということで、鳳麗子の話とも合っていたので、坂東あいり、つまりは鳳麗子に対しての嫌疑は空振りに終わってしまったのではないかと富田刑事は感じた。

 富田刑事は、編集長に坂東あいりの話を少し聞いてみたが、

「ああ、彼女は気難しいところもありますが、人とあまり関わらないのは、自分が人を信じられないからだと言っていました。人を信じると裏切られることばかりだったので、信用しないようにしていると言います。それがすぐに顔に出てしまうので、人と関わりたくはないというのが彼女の話です。気の毒に思いますし、せっかくの才能があるのに、もったいないとも感じますね」

 と、編集長は言った。

「そうですね。あれだけの作品を書かれる人が、実はそういう暗の部分を持っているというのは、悲しいですよね」

 というと、

「作家というのは、大小の差はありますが、皆さん、そういうところを持っておられます。それがエネルギーとなって。作品を完成させるのだから、いい作品というのは、そういう人たちの血と汗の結晶だと思うと、少し悲しくなりますよね」

 と、編集長は言った。

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