第9話 恐るべき過去
「なるほど、そうだったんですね」
秋月は、実際に見たわけではない映像を、自分なりに想像してみたが、何となく想像はついた。
知らないカップルや、大きなアタッシュケースの謎は残るわけだが、話を訊いていて、何か違和感があるのを感じてはいた。全体を通して聞いた部分における矛盾と言えばいいのか、それは映像を見ている人間には分かりにくい部分で、想像力を試される、話の聞き手になら分かる矛盾のような気がしたのだ。
秋月はそれを告げてみることにした。
「刑事さんの今のお話を訊いていて、何か矛盾のようなものが感じられたんですが、これは、物理的な矛盾なのか、心理的な矛盾なのか、どちらとも言い難いくらいのもので、たぶんその場合は、心理的な矛盾も否定できないんじゃないかと思うんです。だから、刑事さんには感じないような矛盾を自分が感じているような気がするんですが、いかがでしょうかね?」
と、秋月がいうと、
「矛盾とまでは考えていませんでしたが、何かムカムカしたものがあるのは事実です。何かを見逃しているかも知れないというようなですね」
と辰巳刑事が言った。
「それが何かが分かれば、少し事件の核心に迫ることができるんでしょうけど、私の意見としては、何か最初にその矛盾の原点が隠されているような気がするんです。ただ、そのことに気づいたとしても、謎は残る。却って深い謎になるかも知れないと思うんですが、それが事実に近づいているような気がして、そのあたりはどうなんでしょうね」
と、秋月は言った。
「なるほど、なかなか興味深い考えですね。秋月さんは、結構こういう事件に興味をお持ちなんですか?」
と訊かれて、一瞬ムッとした気分になった。
――仮にも被害者は、義理とはいえ姉ではないか――
という思いが秋月にあったからだ。
その気持ちを察してか、
「これは失敬、少し言葉が過ぎました。申し訳ありません」
と、辰巳刑事は口ではそう言ったが。本心は、違うところにあった。
これもわざと口にしたことであり、失敬とは思ったが、相手の反応を見たところがあった。
これも、辰巳刑事なりの刑事としてのテクニックであり、そこから今まで見えていなかった部分を垣間見ることができると思ったのだ。
「いや、私の方もですね。この間一緒にいた女性の方もこの事件に興味を持っているようだったんですよ。趣味のサークルでミステリーを書いているといっていたからですね。そういう意味で、あれから一、二度会って、意見交換をしたくらいですね。まあ、分かったこととすれば、この事件は思ったよりも人間関係が複雑で、私などから見れば、何か愛憎絵図のようなものが渦巻いているような感じですね」
と秋月は答えた。
「ほう、そんなに人間関係が複雑なんですか?」
「ええ、もう警察の方では捜査が行き届いているとは思うんですが、私の兄が不倫をしていて、その相手の旦那というのが、とんでもないやつらしいんですよね」
というではないか。
「それをどうして?」
と訊かれた秋月は、
「僕と一緒に死体を発見した綾子さんの幼馴染が、実は私の兄の浮気相手である片桐澄子さんらしいんですよね。彼女から話を訊いているといっていました」
と言った、
さすがに彼女が感じている「主従関係」のような抽象的な話はしなかったが、それを聞いて刑事も少し怪訝な顔になった。
「そうですか、それはすごい偶然ですね」
といって、少し言葉を切ったが、すぐに続けた。
「でも、幼馴染が浮気相手だったからといって、彼女は被害者とは直接関係があったわけではないんでしょう? それなのに、そこまで事件に首を突っ込むというのは、何か違和感のようなものがありますね」
と、ここでも違和感があるようなことを今度は辰巳刑事の方から話した。
「話をすればするほど、矛盾であったり、違和感のようなものが出てくるような気がしますね。それがこの事件の特徴になるのかしら?」
と、秋月がいうと、
「犯罪を捜査していると、そういうことは得てして多いものです。それは私はいつも感じていることなんですけども、その矛盾がたまに結び付いて、共有することがあります。それを思うと、今回の事件、人間関係が複雑すぎることで、見えない部分も結構あるんじゃないかと思うんですが、そういう意味では見えすぎるのも難しいところではないかと思うんですよ」
と辰巳刑事はそう答えた。
「刑事さんの方では、人間関係に関連した捜査はしていないんですか?」
と言われて、
「もう一人の刑事の方が、その問題を探っています」
と辰巳刑事がいうと、
「山崎刑事さんですよね?」
と言われて、
「ああ、そうだけど?」
と辰巳刑事が怪訝な表情で眉をゆがめながら答えると、
「一度山崎刑事さんからも、お話をいただけたらなと思いまして」
と言い出した。
――どうやら、この人は、この事件を人間関係の縺れが動機に潜んでいると思っているようだな――
と思った。
しかし、今出てきている事実だけを見ると、人間関係の縺れ委以外に犯行の動機は見つからない。むしろ、それ以外の犯行の動機があるとすれば、巧みに隠されたものであるとしか思えないが、隠そうとするとどこかに見えてくるもので、もしそれが今までに上がっている矛盾であったり、納得しがたいものであると考えるのは、少し突飛であろうか?
今回のこの犯罪において、たくさんある矛盾を考えていくと、表に出ている部分だけを考えても仕方がないとも思えてきた。
せっかく人間関係やその裏に潜む愛憎が見えてきているのだから、そっちも考えてみる必要があるのだろうが、その部分は山崎刑事が担当している。
山崎刑事に遠慮しているわけではないが、今の段階で山崎刑事の捜査に首を突っ込むことはしてはいけないことだと思っている。
秋月というこの男が、なぜゆえに山崎刑事と話をしたいと望むのか、そのあたりと、彼がもう一人の発見者である、前から知っていたわけではない、その日知り合っただけだというもう一人の女性がどうしてこの事件に感心を持って絡んでくるのかということも、考えなければいけない謎として浮上してきた。辰巳刑事の方も、第一発見者のもう一人である綾子と話をしてみたい気がしてきたのだった。
最初は、
「第一発見者の一人に聴けばいい」
とだけ思っていたが、考え方が少し変わってきた。
そこにどんな心境の変化があるのか、その時はまだその気持ちの核心について辰巳刑事は分かっていなかった。
――ひょっとすると、彼が山崎刑事に会って、話をしてみたいと言った気持ちも、自分の今と同じようなものなのかも知れない――
と辰巳刑事は思った。
「秋月という男、刑事にしてみたら面白いかも知れない」
と、このうだつの上がらない男を見ながら、辰巳刑事はそう感じたのだった。
そんな話をしているところに、綾子から連絡があった。
「今、刑事さんが来られていて、いろいろ事情を聴かれているところなんですよ」
と秋月が答えると、さらに、綾子が何かを言っているようだ。
すると、秋月が、
「辰巳さん、綾子さんが辰巳さんにお話ししたいことがあると言っているんですが、ここに来てもらってもいいですか?」
というと、辰巳刑事も話を訊きたいのもやまやまのようで、
「ええ、もちろんですよ。事件に関しての新たな話が訊ければ嬉しいですよ」
と、答えたが、辰巳刑事としては、半信半疑なところがあった。
彼女が知っているくらいのことは、こっちも掴んでいるという意識はあったが。万が一見逃している部分があれば、その指摘はありがたい。善良な市民の通報レベルで考えていた。
それから十分ほどで彼女がやってきた。
「意外と近くにいたんだね?」
と訊かれて、
「ええ、今日は副業の方もないので、秋月さんに連絡を取ってみると、刑事さんと話しているということだったので、お邪魔かと思いましたが、やってきました」
という綾子に対して、
「いいえ、お邪魔だなんて。事件に関しての何かお話でしたら、こちらから伺いたいくらいのものを、ご足労いただけて、ありがたいと思っていますよ」
と、当然のごとくの社交辞令に秋月には聞こえた。
「警察の方では、片桐正治さん。つまり殺された女性の不倫相手が、ひどい人だという情報は掴んでいますか?」
と訊かれて、
「ええ、まあ、知ってはいます」
「じゃあ、あの男が、結婚前の所業までご存じではないでしょう?」
と綾子がいうので、
「ええ、そこまではまだ捜査はしていませんが、そんな前からいろいろあるんですか?」
と辰巳刑事が聞くと、
「そりゃあ、今あれだけの所業が分かっているんだから、他にもいっぱい出てくる可能性だって出てきますよね。しかも、過去に捕まったという事実がないのに、今そんな所業があるということは、当然、過去からエスカレートしているといってもいいんじゃないかしら?」
という綾子の言葉を聞いて、
「確かに、言われてみればそうですよね。ひどいことを何度も平気で繰り返す男は、およそ反省なんて言葉とは無縁でしょうからね。そうなると、どこまでさかのぼっていいのかというのも困りものですよね」
と、自分で今言った言葉にハッとした。
――帰って、もう一度、防犯カメラを見直そう――
と思ったのだが、それは後の話で、とりあえず、綾子の話を訊いてみることにした。
その話をいかに偏見を入れずに聞くことができるかというのも自分の課題だと思っていたが、そもそも、こんなクズのような人間に、少々の偏見も仕方がないとも思えたのだった。
「それでですね。あの男が大学時代のことなので、もう十年以上も前になるんでしょうか? その時、付き合っていた女性がいたらしいんですが、その女性が、一度浮気をしたらしいんです。たった一度だけで、バレるはずのないことだったんだけど、それがバレてしまった、理由は浮気男と、付き合っていた正治との間に協議があって、浮気の事実を作ってくれたら、謝礼を出すというものだった。正治としては、それをネタにして、彼女を自分のSM趣味の奴隷として扱いたかったんでしょうね。それには既成事実を作って、追い詰めればいいとでも思ったんでしょう。そうすれば、相手は自分の言いなりになるだろうし、やつの偏見の中に、『女は皆マゾヒストで、苛めれば、奴隷のように従う』という意識があったんです。そのために、彼女は男の異常性癖の犠牲になったんです。二人の間でどんなことが行われたのか、ハッキリとはしません。彼女はその後で記憶喪失になり、自分がどうしてこうなったのかをいえなかったようなんです。でも、あの男がバカなので、それをまわりに自慢たらしく話したそうです。さすがに片棒を担がされた浮気相手になった男性は怖くなって、彼から離れたそうなんですが、まわりの人はあまりにもひどい話なので、誰も架空の話だと思ってうて合わないほどの話だったようです。私は、その話を彼女の奥さんの透子さんから聞きました。あの男は澄子さんに対しても夫婦でありながら。SMの関係を続けていたので、脅迫のつもりで過去の話をしたんでしょうね。澄子さんはどちらかというと、マゾの気があったので、それほど苦しむことはなかったようですが、さすがに最近では溜まったものではなかったようです。それで、私に相談してきたというようなわけですね」
という、これまた、ひどい話を訊かされた。
「それは酷いですね。それで、その女性はどうなったんですか?」
と訊かれた綾子は、
「そこまでは澄子も知らないそうなんです、何しろ、あの男が床の言葉として言った言葉ですから、戯言かも知れませんが、あの男であれば、それくらいの過去があってもまったく不思議がないですよね」
というのだった。
「確かにそうですね。そのあたりをこちらでももう一度洗ってみましょう。まさか被害者の不倫相手に、そんな過去があったなんて、思いもしなかったですね。じゃあ、この不倫の関係の二人にもSMのような異常性癖な関係があったと見ていいんだろうか?」
と訊かれて、
「ええ、あったと思います。さすがにそこまでは私の口からは訊けなかったですねどね。でも、澄子さんの口から旦那に対しての暴露になるような話が訊けたというのは、少なくとも憎んでいることには違いはないと思います。でも……」
と言って、綾子は少し黙った。
「でも?」
と促されて、綾子は意を決して言葉を続けた。
「身体と精神とでは一致しない場合もありますからね。心では憎んでいても、身体が反応してしまうこともあるでしょう。特に男の方はそういうものだと思っている。しかも、長年の異常性癖を続けていると、相手のオンナがSMに対してどういう反応を示すかなど分かるんでしょうね。だから、澄子と結婚したのかも知れない」
「ということは、澄子さんは、あの男にとって、妻になるにふさわしい女性だったということでしょうか? 澄子さんの方では悩んでいるのかも知れませんが」
「そうでしょうね。逃げることのできないところまで、自分を追い詰め。男からは身体を開発されてしまったという、哀れな女ということかも知れませんね」
と、綾子はうな垂れるように言った。
さらに続ける。
「私は確かにデリヘル嬢なんて仕事をしているけど、別に嫌でやってるわけじゃない。男の人が喜んでくれれば嬉しいし、今までの自分を変えるにはいい機会だと思ったのも事実。しかもお金までね。だけど。あの男のように、自分の満足のためだけに、たくさんの人を不幸にしたりはしない。だから、あんな男が存在するのが怖いんですよ。こういう仕事をしていると、いつあんな男に引っかかるか分かったものじゃない。本当は警察も風営法で営業に市民権がある風俗業なんだから、他の人たちと同じように守ってほしいわよね。せめて、他の人たちと同じくらいまでにはね」
と、強調していった。
それは、普段から警察にいい思いがないからだろう。
そういえば、この間も少し話をしていたのを思い出した。
「警察というのは、本当に何かがないと動いてくれないもんね。少々の被害くらいだったら、親身になってくれないもの。本当に殺されたり、障害や窃盗などのような刑事罰に値することでもなければね。少々の脅迫や、ストーカー行為くらいだったら、まず動かないから、ほとんどの場合は手遅れなのよ」
といって、くだをまいていたっけ。
それを思い出した秋月は、
――ひょっとして、綾子がこのタイミングで警察にこの話をしたのは、最初から計画されていたことだったりして?
つまりは、秋月が単独で警察に事情聴取されることを予知していて、それを狙ったというべきか、
今日、警察が訪ねてくることはメールで知らせていた。だから、綾子は知っていたのである。
前に遭った時、
「お互いに警察から何かを聴かれることがあったら、お知らせするようにしましょうね」
といって、申し合わせていたのだ。
――それも、最初からの計算ずくだったとすると、綾子は一体何を考えているというのだろう?
そう思うと、綾子が何を考えているのかまったく分からずに、怖さだけが残る。
――そうなると、最初の発見もただの偶然で済ませることができるのか?
と考えた。
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