第8話 鬼畜感情

 耽美主義というものは、何においても「美」が優先するというものである。小説、絵画、その他の芸術において、耽美主義を避けて通ることはできないであろう。

 十数年くらい前に、戦前の探偵小説作家の、「端部主義」的な場面を大げさに映像化したものがあったが、実際に小説を読んでみると、そこまでの耽美さは見えてこない。確かに、殺害の動機などで、

「美の追求」

 のためか、彫刻であったり、絵画や、あるいは氷の彫刻などというシチュエーションで美を強調しているものもあるが、それはあくまでもストーリー展開における一種の「演出」にすぎないものであった。

 猟奇的な殺人を耽美主義への追求から、殺人の動機として取り上げることは、一種の言い訳にしか過ぎないはずなのに、耽美主義をあまりにも表に出しすぎると、犯罪自体を美化してしまい、何が悪いことなのかということに目を瞑った作品になりかねない。

 それを本当に作家の先生が考えていたことなのかを考えあわせれば、耽美主義を前面に押し出した演出は、映像効果としてはいいのかも知れないが、マナーにそぐわないのではないだろうか。

 確かに耽美主義は道徳観よりも美という芸術が優先するというものなので、そうなると、支離滅裂な感じになってくる。

 少なくとも、耽美主義の本質を理解して小説に生かそうと思っている綾子には、過去のテレビドラマとして製作した作品を、ただの映像作品としては、問題ないかも知れないが、少なくとも芸術という意味合いで作品を表に出すのであれば、否定せざる負えないと思うのだった。

 綾子が目指している小説は、探偵小説を描くことだったが、そのためには他の大衆作品も読んでみたいということで、いくつかの小説も読んでみた。

 だが、何か物足りなさがあったのだが、その理由が分からない。そこで、これまで、

「道徳的見地の作品はあまり好きではない」

 という理由から避けてきた、純文学というものに触れてみることにした。

 大衆文学と違って、純文学というジャンルには、いろいろな制約があり、自由な発想が育つ環境ではないという見地から、純文学に触れなかったのを後悔していた。

「道徳的なことで、まるで某国営放送のような厳しい制約があり、放送禁止用語がそのまま文章としては使ってはいけないものだ」

 という勝手な思い込みを負わされていたようだ。

「一体何が勘違いさせたのだろう?」

 純文学の『淳』という言葉がまずいのであろう。

 性的描写であったり、放送禁止用語に絡むようなことはすべてご法度であるかのような錯覚が、綾子にはあった。

(ちなみに綾子はその時知らなかったが、秋月も同じ勘違いをしていたのだが、それはまだここでいうことではなかった)

 だが、実際に純文学作家と呼ばれる作家の本を読んでみると、自虐的な作品もあったり、性的描写も巧みに描かれていたり、それこそ、「耽美主義」的な作品も数多く存在していることで、純文学の定義を調べてみたのだ。

「純文学とは、娯楽性の強い大衆文学との比較のための小説分野で、娯楽性よりも芸術性のある小説を総称する」

 というようなことが書かれていた。

 確かに黎明期の純文学というのは、自然主義が基本であったが、そのうちに社会派の出現、さらに反自然主義と呼ばれる作品や、耽美系のものまでもが純文学として入り込んでくる。さらに筋の面白さと小説の芸術的価値を関係ないと見るか、あるいは、筋の面白さこそが、小説という形式の特権という考え方が生まれてくる。そから、純文学というものが確立されていくわけだが、戦後になっても耽美系であったり、不条理主義などという形式も純文学に入り込んでくる。

 綾子が考えたこととしては、

「要するに文学というのは人間物語であり、そこに芸術的な側面が見られれば、それが純文学である」

 と考えるようになった。

 それまでの大衆文学と純文学との違いを思い図っていくと、結局は、その区別が曖昧であるということに行き着いてしまう。

 そこには、

「芸術性というものを何と取るかによるのだろうが、耽美主義のように美だけに求めていいのだろうかと、綾子は考えるのだった。

 綾子が耽美主義という言葉を思い出したのには、もう一つ理由があった。それが、二人が死体を発見した時に見た。

「エレベーターでの不思議な死体」

 だったのである。

 何故、背中を刺された死体がエレベーターの中で腕を広げるように、向こう側に向かってもたれかかっていたのか、そして、耽美を感じさせたのが、手を広げた時に感じた、まるで空を飛んでいるかのように見える姿だった。

 手を広げて、いかにも大きく見せようとするその感じは、左右対称に感じられることでも証明されているように思えた。背中に刺さったそのナイフも上から斜め下に向かって刺さっていて、血が流れるのを最大限に抑える科のようにしている情景が、微妙に血の流れに美をもたらしているかのようだった。

 もちろん、そこまで計算しているのであれば、あの死体は、もはやただの死体ではなく、アートと言ってもいいだろう。耽美主義を地で行っているかのごとく見えるその情景に、綾子は、芸術を創造せずにはいられなかったのだ。

 ここでいう「そうぞう」とは、思う「想像」ではなく、創作するという意味の「創造」である。

 アートや芸術は作り出すものであり、思うだけのものではない。文芸においても同じことで、いかに表現できているかが、美に直結しているのである。

 映し出された芸術に、色が加わる。真っ赤や真っ青、原色が彩りと膨らみを加える。それが芸術を深く掘り下げ、見る者すべてを魅了する可能性を秘めているのだ。

「あの時の死体には、それを感じさせる何かがあった」

 と思うことで、何か犯人の心境に近づいているかのように思えたのだ。

 確かに耽美主義にも見える死体であったが、最初から芸術性を醸し出しているわけでもなかった。それはすぐに分かったのであるが、どこか、犯人の知性と、綾子の知性に似通ったところがあるのを感じたのだ。

 それは子供のような悪戯心というのだろうか。綾子はそういう悪戯心を持った人をいつも気にしているような気がしたのだった。

 それを感じた時、

「どうして私が、この秋月といううだつの上がらない男に興味を持ったのか?」

 というのも分かった気がしてきた。

 そして、もう一つ感じたこととして、

「今回の事件に関係している人物は、それぞれに何かの共通点を持っていて、それを私が分かっているような気がする」

 という思いだった。

 他の関係者も、いろいろと分かってくれば、感じることであろうが、どこか鬼畜のような思いが、気持ち悪さを運んでくるような嫌な思いがあったのだ。

 綾子が、

「鬼畜」

 という感情を持っていたその時、捜査本部がちょうど開かれていた。

 そこで、辰巳刑事が調べてきたことで、新事実が分かってきたのだ。

「実は、被害者の旦那である遠藤隆二の不倫相手だった片桐澄子の旦那である。片桐正治という男なんですが、こいつがまたひどいやつだという話なんですよ」

 と、辰巳刑事が、

「こんなやつ、人間なんかじゃない」

 とでも言いたげなのか、その声は完全に上ずっていて、普通の人間に対しての言い方ではなかった。

「どうしたんだい? 辰巳刑事」

 と、山崎刑事も、少し興奮気味に訊ねた。

 すぐに冷静さを取り戻した辰巳刑事だが、油断すれば、また口調がひどくなるというのを分かっていながらの報告であった。

「片桐正治という名前なんですが、この男、顔立ちが端正にできているというか、いわゆる甘いマスクとでもいえばいいのか、要するにイケメンで、女性が放っておかないタイプなんです。サディスティックに見えることで、余計に女性が惹かれるのでしょうが、女性とすれば、自分だけのものにしておきたいと。お互いにそういう思いが交錯するからなのか、浮気性であるがゆえに、何人もの女に手を出しているんですよ。それを女たちも歯がゆく思いながらも、さらに強く惹かれるという。男としては冥利に尽きるとでもいうのか、見ているだけで忌々しさがこみあげてくるんですよね」

 と、いかにもエスカレートしてきそうな話だった。

 さらに続ける、

「この男、女をとっかえひっかえするくせに、やつには妹がいて、その妹というのも、さすがに血が争えないというか、とてもきれいなお嬢さんなんだそうです」

 というと、

「そうですっていうけど、会ってきたんじゃないのか?」

 と山崎刑事に訊かれて、

「いや、ある事情で会うことができなかったんだ。その事情というのをこれから話そうと思っているんだけどね」

 と言って、山崎刑事を制していると、

「そんな男がこの事件に登場してくるとなると、またややこしい人間関係になってきそうだね」

 と清水警部補が言った。

「ええ、そうなんですよ。天は二物を与えずと言いますがまさにそうなんでしょうね。特にこの片桐という男は、鬼畜にも劣るというものですよ」

 と、無意識に漏らした辰巳刑事のその言葉を聞いて、清水警部補と、門倉本部長は、ゾッとする震えを背中に感じた気がした。

 辰巳刑事は、根っからの勧善懲悪な刑事であった。

「正義を助け、悪をくじく」

 という言葉を自らが示しているような精神面では警察官の鏡だと言ってもいいのではないだろうか。

 そんな辰巳刑事を清水警部補は部下として誇りに思い、山崎刑事も同僚として、頼もしく思っている。

 そんな辰巳刑事は、考えていることがすぐに顔に出るのが玉に瑕だった。すぐに我に返ることはできるのだが、我に返ってしまうまでにそれほど時間が掛からないだけに、その時間がもう少しどうにかならないかと、清水警部補は残念がっていた。だが、総合的に見ても刑事として精神的にも肉体的にも十分である辰巳刑事を信頼もしているのだった。

「その妹なんですが、どうやら、正治にとっては、アキレス腱だったようで、自分が表でもてているということを妹に知られたくないという意識があったようです。妹に対しては頼りがいのあるお兄ちゃんとして見せておきたいということもあって、家の中ではべったりのくせに、表ではなるべく接しないように心がけていたといます。そのため、妹が高校生になってからというもの、ほとんど家に幽閉するようになって、半分は監禁していたようです」

 綾子が見たというユーチーバーの記事の男に似ているところがあったが、この正治という男はさらにその上をいっているのかも知れない。

 辰巳刑事もそのユーチューバーの記事については知っていて、

「最近の中でここまでひどい男もなかなかいないよな」

 とまで感じていたほどであった。

 そいつのイメージもあったからであろうか、辰巳には正治という男を許せないという感情が強かったのだ。

「ところで、この正治という男ですが、ある日、急に狂ったように妹に襲い掛かって、ついには最後の一線を越えてしまったということです。そこで完全に切れたんでしょうね。自分が、アジトとして借りていた部屋に妹を本当に幽閉してしまったということです。妹はすでに抵抗する意識もなくなっていて、精神に異常をきたしていたということです。だから、雄平に関しても簡単にできた。それがさらにやつを共謀にしたんでしょうね。それからのやつは家にも帰らず、女の部屋を泊まり歩いて、たまにアジトにやってきては、妹を食い物にする。さらにこいつの酷いところは、あれだけ恋焦がれて自分のオンナにした妹も一度抱いてしまうと、もう、他のオンナと立場は一緒なんですよ。ただ、手放さないのは、自分のものを他人が触るのを嫌がるやつっているじゃないですか。それと同じ発想なんですよ。好きだからだというわけではない。そこまでやつは鬼畜な人間なんですね。私も今までに何人もの色情好の鬼畜のような男を見てきましたが、ここまでの鬼畜は見たことがありません、妹は親に発見されてから、密かに病院に入院させたそうです。神経が病んでいるのでしょうがないところがあるんでしょうが、両親は、世間体を考えて、この鬼畜のような事実を隠蔽することにしたようです。だから、奥さんが殺されたといって事情を聴きに行った時、あっけらかんとしていましたからね。私も何かおかしいと思って調べてみたんですが、まさかここまでだったとはですね。正治は監禁暴行の罪で、やつがアジトにしていた所轄署の方で、収監されています。ある意味でやつは鬼畜にも劣るというのはそういうことだったんですよ」

 という、辰巳刑事からの衝撃的な事実が語られたのだった。

「じゃあ、奥さんが不倫をしていても、どっちもどっちということでしょうか?」

 と辰巳刑事に山崎刑事が聞くと、

「そういうことですね。不倫くらいではおつりがくるくらいですよ」

 と、本当に苛立ちを隠せない辰巳刑事がそこにはいたのだ。

 辰巳刑事の話は、捜査本部の空気を一変させた。今までは、殺人事件ではあるが、それほど複雑な事件でもないかも知れないと楽観視していた人たちの気持ちを一気に重くしたのである。しかし、死体発見の状況から考えて、少なからずのおかしな状況に、清水警部補は、

――そう簡単なものではないな――

 と思っていたが、それは、あくまでも状況の不思議さからであった。

 さすがにこのような精神的な歪さが絡んでこようとは思ってもいなかったのだ。

「この男を耽美主義による精神異常だというだけの物差しで測っていいものかどうか、少し疑問に思うが、どうだろう? 今回の事件に、この男の異常性癖が関係していると、君たちは感じるかね?」

 と言われて、辰巳刑事と山崎刑事は顔を見合わせたが、まず山崎刑事が答えた。

「私は関係があるように思いますね。私はここまで短期間ですが、今度の事件を見ていて、本当の被害者って誰なんだろう? って感じるんですよ。殺された玲子さんは確かに被害者以外の何者でもないですが、逆に誰かに対して加害者だったのかも知れない。また加害者にしか見えない、殺害された女性の旦那の浮気相手の旦那だって、ただの加害者だとした尺度で図ってもいいものかどうか、考えさせられますよね。本当は奥さんに浮気されたのが原因かも知れない。それでも許せない行為ではあるんですが、そうやって考えると、男女の間のこと、しかも夫婦間、あるいは不倫関係の相手などと、一組でさえ、何を考えているのか分からないところに持ってきて、この複雑な関係をどう考えればいいかなんて考えろという方が無理な気がします。間違った判断をしてしまいそうで、よほど慎重に考えないといけないとは思います」

 と、いう山崎刑事の返答は、どこか模範解答のようで、納得できる内容ではあるが、どこかいまいち心に響いてくるものではなかった。

 それを聞いた辰巳刑事が、ゆっくりと自分の意見を述べた。

「確かに、関係がないとは言えないと思います。でも、直接関係があるかどうかについては、どうも疑問が残るんですよ。人間関係というものは、なかなか難しいことですからね。私はそれよりも、現状の分析の方が先決のように思うんです、今、山崎刑事が言ったように、人間関係は難しい。だから、よほど慎重にやらないと、間違った判断をしてしまう。まさにその通りです。だから、まずは見えない部分よりも見えている部分を分析しながら、そこに精神的な部分を嵌めこむような感じでいかなければいけないと思うんです。それを思うと目の前に見えている不思議なことを一つ一つ考えてみる必要があると思うんですよ。人の気持ちはその時に出てきた矛盾を潰すために解釈するという方法もあると思うし、まずは状況なんじゃないかと思うんです」

 と、辰巳刑事は答えた。

「じゃあ、辰巳君は、今度の事件の不可思議な点を、どう考えるんだね?」

 と言われて、

「まず気になったのが、被害者を乗せたまま、数十分も同じ階にエレベーターがいたということです。実は防犯カメラで見てみましたが、防犯カメラの設置位置があまりよくなくて、入り口は見えるんだけど、エレベーターの中は見えないんです、確かに犯人が、ぐったりした被害者をエレベーターに乗せるのは見ました。発見された時間から遡って、大体二十分くらい前だったと思います。そこで、ごそごそとやっているようなんですが、エレベーターの中が見えないので、何をしているのか分かりませんでした。ただ、一つ気になったのが、被害者と思しき人をエレベーターに乗せてはいるんですが、どうも、雰囲気が違うような気がするんです。それから、しばらく誰も中から出てくる気配はありません。明るさが漏れていることから、その階で止まっているのは間違いないと思うのですが、乗り込んでくる人を映すカメラですので、仲はまったく分かりません。犯人も当然のことながら、目出し帽をかぶっていて、人相その他は分かりません。服装は作業服のような感じですので、帽子を脱いでしまえば、怪しまれることはないでしょう。ただ、もう一つ気になったのは、犯人が最後に降りる時、大きなカバンを持っていました。普通の旅行カバンに比べても、かなり大きなものです。コントラバス化何かの楽器くらいの大きさですね。アタッシュケースの比ではありませんでした」

 と辰巳刑事は言った。

「その映像が意味するものは一体何なんだろうね?」

 と清水警部補に言われて、

「さあ、今のところ分かりません。ただ、この謎が解けないと、人間関係を考えるのも難しいと思われます。犯人が何かの小細工をしたのは間違いないとして、その大きなカバンの中に何が入っていたのか、それも不思議ですよね。犯人は、そのバッグを持って、そそくさと隣のエレベーターに乗り込んで、階下に降りていきました。実に不思議な光景だったと思います」

 と、辰巳刑事は言った。

 あくまでも辰巳刑事は、人間関係よりも、事実関係で事件を見て行こうという考えのようである。そういう意味では山崎刑事の人間関係による動機から事件を探っていこうという考えを少し、食い違っているように思えるが、清水警部補としては、せっかく二人いるのだから、それぞれに別の視点から捜査をしてもらうのはいいことだと思っている。それぞれに調べが進んで行くうちに、動機も事実関係も少しずつあらわになってくると、そこから共通点が見えてくると、それが真実に近いものではないかと考えられるからだ。

「なるほど、二人の考えはよく分かった、それぞれで納得いくまで調べてくれるのが一番いいと思うのだが、今の私の中の考え方として一つ考えているのは、先ほど山崎刑事が指摘した『この事件における一番の被害者は誰か?』という言葉があったかと思うんだけど、それに付随したところで、逆に、この事件で誰が一番得をするのかということも、この事件の大きな要因じゃないかと思うんだ。これは動機を探る場合の一番最初に考えることだと思うんだけど、今一度、そのあたりも含めて探ってはくれないだろうか?」

 と清水警部補が言った。

「はい、よく分かりました。基本に立ち返って考えてみたいと思います」

 と山崎刑事が答えたが、その思いは辰巳刑事も同じだった。

 ただ、辰巳刑事の中で、この事件における登場人物のほとんどが、どうにも好きになれない人たちばかり、男女関係においての異常性癖迄出てくるようなので、それを考えると、嫌な気分になるのも仕方なく、どうしても人間関係であったり、感情よりも、事実関係から事件を掘り下げたくなる気持ちも分からなくはなかった。

 辰巳刑事は、どうしても勧善懲悪を表に出すような男なので、自分の中の勧善懲悪を逸するような場合、ついつい目を背けてしまうところがあり、それがまた彼の若さなのだろうと、清水警部補は思ってしまった。

――無理もないところではあるんだがな――

 と清水警部補は考えたが、辰巳刑事を暖かい目で見ようと思っている気持ちに変わりはない。

 山崎刑事のように、型に嵌った、いい意味でも悪い意味でも、いかにも、

「刑事の鏡」

 という人間には理解できない部分でもあった。

 ある意味、辰巳刑事には、

「昭和の頃の刑事」

 というイメージがあり、下手をすると、清水警部補よりも、いや、門倉本部長よりも、もっと古い部類の刑事であり、ある意味、彼のような刑事も必要なのではないかと思わせる人材だったのだ。

 そんな辰巳刑事のやり方で解決してきた事件も無数にあった。彼でなければ分からなかったことや、生まれなかった発想もあり、

「これが辰巳刑事の最大の特徴であり、最大の長所なんだろう」

 と清水警部補は感心していた。

 その日の捜査本部は、それから少し新たな事実についての報告もあったが、分かっていることの確認に毛が生えた程度であり、いちいち言及する必要のない内容だと思えるので、割愛することにしよう。

 その日の捜査会議が終了すると、その日はそこでお開きになった。翌日になって辰巳刑事は、第一発見者である秋月に会いにいくことにした。彼にアポイントを取ると、会社から少し離れたところで待ち合わせをして、話を訊くことにした。

 辰巳刑事が秋月を訪れたのは、やはり第一発見者の意見を、今まで出てきた事実を踏まえたうえで聴いてみることで、事件の核心に迫ることができるような気がしたからだった。その考えは捜査の基礎と言ってもいいだろう。最初の時は、ほとんど聞き出せなかったが、今回がどうなのか、少しワクワクした気分になっていた辰巳刑事だった。

 第一発見者である秋月も、満を持して待ち構えていた。彼も綾子という女性といろいろ話をすることで想像力が豊かになっていて、刑事の捜査がどこまで進んでいるのかが気になっているところであった。

 二人は喫茶店でコーヒーを注文し、出てきたコーヒーを一口口にした辰巳刑事が、

「さっそくなのですが」

 といって、話を切り出した。

「今回の事件で、私の方でも防犯カメラの映像を確認してみたりしたんですが、どうもカメラの角度が悪いようで、エレベーターの前、つまりエレベーターの上から、踊り場を映すところしかなかったので、エレベーターの中を確認することはできなかったんですが、顔を隠した人が、女性をエレベーターの中に引っ張り込んでいるのが見えました。それがあなた方が死体を発見する二十分くらい前だったんです。その時ですね、これは私も後で気付いたんですが、踊り場の奥の方で、一組のカップルがそれを見て、すぐに逃げ出したんです。薄暗いし、映像の切れ目くらいに遠い距離だったので、どんな二人かはわかりませんでした、男はスーツを着ていたように思えたんですが、それが分かっただけで、年齢や雰囲気はまったく分かりませんでした。それから少しして、犯人と思しき人がエレベーターの中から大きなアタッシュケースを引きずるように引っ張り出したんです。キャスター付きだったので、エレベーターの表に出すと、隣のエレベーターに乗せ換えて、そのまま降りて行ったんですよ。それから少しして、あなた方がやってきて、実際に死体を発見した場面が映っていたというのが、防犯カメラの映像でした」

 と辰巳刑事が言った。

 辰巳刑事はあれから、清水刑事に言われたように、もう一度、怪しい人物がエレベーターに近づいた二十分前から、もう一度防犯カメラの映像を確認していたようだった。捜査会議はお開きになったが、その後、二時間ほどかけて確認してみたところで、途中、一組のカップルが驚いたところを発見した。よほど用心して見ていないと、気付くこともないだろう。上ばかりを見たり、手前ばかりを見たりと、一つの別の角度から、続けて何度も見直した結果、得られた事実だったのだ。

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