第7話 耽美主義

 綾子がこんなにも秋月に対して思い入れているのは、綾子の方だけの問題ではないような気がしていた。

――この秋月という男性は、女性を惹き付ける魔力のようなものを持っているのかも知れない――

 と感じた。

 自分相手にだけであれば、決してそんな思いを抱くことはなかったが、玲子が彼を慕って、旦那の不倫相手の名前まで暴露してくれたのを聞くと、

「そこには、何か彼女の意図的なものがあるのではないか?」

 という思いと、

「秋月が玲子の気持ちを引き付けたからだ」

 という思いがあるのだが、どちらが強いのかと言われれば、後者に違いないだろう。

 だが、前者を否定することはできない。むしろ、前者だという考えが頭から離れないのは、殺人事件という重たい事実があるからだ。その事実があるから、殺人事件のような理不尽なことが起こった理由を求めるのは当然のことであるし、そこには必ず強い何かの意志が働いているはずなのだ。

 それが動機ということになるのだろうが、動機を巡るその中で、細かい意図が微妙に絡み合って、結び付いているのを気付かずにいてしまうと、それが複雑に絡み合って、本当は単純なことだったはずなのに、その単純さを見抜くことができず、本質に迫ることができないというのが、事件を難しくし、解決をいたずらに遅らせてしまうということになるのだろうと、綾子は感じたのだった。

 この秋月という男が、玲子からその話を訊かされて、一体どんな気分になったのだろう。自分の精神を抑えるどころか、身体の方が反応してしまったことで、今度は身体を抑えることができなくなって、綾子を呼ぶことになったのかも知れない。だが、初めてのわりには、綾夫が現れたのに、必要以上のドキドキを感じた。それはこれから童貞を失うということに対してのドキドキではなく、自分が何かから逃れられるかどうかの瀬戸際のように感じていることで、綾子も彼が初めてだということは看破してはいたが、

「何か、普段の初めてという人とは違っているような気がするわ」

 と、漠然として感じていたが、その理由が分からずに、綾子自身も戸惑ってしまったことも事実だった。

 身体と、身体から直接に感じる神経は、まさに初めての人間であったが、それ以外は初めての人間とは思えないようなものがあった。

 一つには何かの覚悟があった。

 初めての行為に対しての覚悟というものでもなく、それは身体から直接感じる精神に属するもので、そんなことは最初から分かっていることであった。

 綾子はその時の秋月の心境を思い出していた。

 さっきの秋月の話を訊いて、どこ自虐的なところの強さを感じていたのは、きっと投げやりな気持ちになってしまった自分を苛めているからではないかと思えた。

――やっぱり、この人も、銃なのかも知れない――

 と、その時に再認識したが、どうも少し違っているような気がした。


――同じ従であっても、私の従とは違っているわ――

 という思うであった。

 彼が感じている従が、何に対してのものなのかが分からないのだ。

 玲子に対してのものと言えなくもないが、その理由の一つに、この間玲子の死体を発見した時、ビックリしている中で、秋月のホッとした印象が垣間見られたことがあった。

 最初は、

――どういうことなのかしら?

 と感じたが、ハッキリとした理由が分かるわけでもなかった。

「玲子さんは、僕に不倫をしていることと、その相手の人の名前を言いたかったんだろう?」

 と秋月がいうと、

「まさかとは思うけど、玲子さんは自分が殺されることを予知していて、その前に旦那の不倫相手を誰かにいうことで、もし自分が死ぬことになったら、その人が怪しいということを誰かに知っておいてほしかったと思っているのかも知れないわね。それともう一つ考えられることとしては、他に何か旦那に対して恨みのようなものを抱いていたとして、その気持ちをぶつけたかったのかも知れないわね。後者は、かなり考え方としては抽象的なんだけどね」

 と綾子は言った。

「前者はあり得るかも知れない。言われてみれば、あの時の玲子さんは、何か思いつめたようなところがあった。確かに今から思い返してみるから、綾子さんが殺されたという目で見ることで少し見え方が歪んでいるのかも知れないけど、元々が殺人事件を遡って考えているのだから、最初から歪んでいたわけなので、この考え方が普通とは違っても、普通ではないもの同士が絡みあって、負に負を掛けると整数になるというのと同じ感覚なんじゃないだろうか?」

 と、秋月は自分の意見を述べた。

「ところで、秋月さんは、玲子さんという人にどういう感情を抱いていたの? 好きだったという感覚意外に」

 と綾子に訊かれて、

「そういえば、あまり考えたことがなかったような気がする。自分が綾子さんのことを好きだったという感覚すら分からなあったからじゃないかな?」

 と秋月が答えたが、綾子は少し考えて。

「それはきっと、あなたが普段玲子さんに感じている思いをなるべく表に出したくないという潜在的な思いが、玲子さんを好きだという自分の想いに近づかせたくないから、好きだという感覚迄も覆ってしまうほどの大きな風呂敷包みを抱えていたのかも知れないわね」

 と、言った、

「どういうこと?」

 と秋月が聞くと、

「きっとあなたには、玲子さんを慕っているという気持ちがあったと思うのよ、慕うという言葉は漠然としたもので、いろいろな意味があると思うのよね。あなたの場合は、相手に従うという意味での慕っている気持ちが強かったんじゃないかしら?」

 と、自分で言いながら、自分も澄子に似たような感情を抱いているということを感じていたのだ。

 もちろん、微妙には違っているのだろうが、その思いがあることから、綾子は、秋月の気持ちに近寄りたいと思っている。

 ただ、一つ綾子が気になっているのは、

――今ここにいる二人は、二人とも従の関係にある二人である。だから、主の考えていることがどういうものなのか、分からない二人だとも言える。考えが偏ってしまったらどうしよう?

 という思いであった。

 秋月がどのような従であるのか、綾子なりにいろいろと考えてみたが、どうしても肝心なところが分からずにいる。

「僕にとって、主というのは、やはり玲子さんなんだろうか?」

 と自分の主が玲子であるということを玲子が死んだことで認識しながら、それを確認すべき相手である同じ玲子が、もう二度と同じ空間で話すことができない相手だと思うと、自分の中に決して覗くことができない、

「開かずの扉」

 が存在してしまったことを悟ったのだ。

 綾子が興味を示してくれたことで、自分と一緒にいることが多くなってくれたことが嬉しかった。だがその反面、冷静になると、綾子の行動がいちいち気になってくるのであった。

 確かに彼女は小説を好きで書いているというが、それだけのために、好きでもない男に連絡をしてくれるだろうか?

 しかも、普通に知り合ったわけではなく、デリヘル嬢と客という、謂れのある仲ではないか、しかも一度だけ相手をしてもらっただけで、たまたまその日、事件に遭遇したというだけの、ただ、それだけの関係。それなのに、積極的に連絡先を交換してくれたり、さらにはこうやって自分の方から、

「逢いたい」

 と言って、事件の話を訊き出そうとするのは、彼女にも何かあるのかも知れない。

 いくら、彼女の幼馴染が、今度の事件で被害にあった女性の旦那の不倫相手だったとしても、そこまで彼女が深入りする必要もないだろう。

 その幼馴染にしても、ずっと仲が良かったわけでもないわけだし、いくら最近少し気になっているからと言って、そこまで構う気持ちにどうしてなれるのか、秋月には不思議だった。

 だが、不倫相手の片桐澄子という女性とのことは、すべてが綾子の口から出たものであって、どこまで彼女の話に信憑性があるのか分かったものではない。今は今までになかったような波乱が自分のまわりで巻き起こっているので、興奮状態にあるから、ほとんどのことに信憑性を感じてしまうのであろうが、元々自分のまわりに起こることに対して、信憑性を感じないようになっていた秋月にとって、目まぐるしいの一言に凝縮されそうな気がして、不思議なのであった。

 片桐澄子という女性を、秋月は知らない。

――ひょっとしたら、どこかで見たことがあったかも知れないが、知らないな――

 という程度である。

 何と言っても、実兄の不倫相手である。

 自分が好きな女性を裏切って、不倫をしていた。相手がどうであれ、兄の行動派許容の範囲を超えている。

 しかも、自分が好きだった相手を奪っておいての、さらなるその女性に満足できずの不倫ということを考えると、どれほど性欲なのか、征服欲なのかが強いということなのだろう。そんなもののために、自分の精神が犯されてしまうかも知れないと思うと、男女関係というもののドロドロさが滅する気持ちを誘発しているかのようだった。

「耽美主義」

 という言葉があるが、秋月はこの言葉が嫌いではなかった。

「道徳的な発想を二の次に置き、美というものをいかに追求するか?」

 という発想から来ているもので、

「美しければ、たとえそれが犯罪であっても、美というものに優先されるものではない」

 と言えるのだろうが、それはあくまでも芸術にのみ、ありえることだと思っていた。

 人間の精神に対して、そんな「耽美主義」を許してしまうと、秩序は失われ、無法地帯だけがそこに存在する形になってしまう。

 何も道徳的なことだけを肯定し、非道徳的なことをすべて否定しようというわけではないが、やはりある程度のものは容認されるべきではないかと思っていた。

 あまり性的な発想に詳しいわけではないが、ここでいう道徳的な発想というものの中で言われていることの中に、どうしても、疑問を感じることがあった。

 それは、

「近親相姦」

 という発想であった。

 昔から、非道であったり、

「鬼畜にも劣る」

 などと言われ、小説世界では時々題材にされて、そのすべてを否定され、さらには、殺人の動機として扱われていることがある。

 秋月も、子供の頃から、

「近親相姦というのは、口にするのもおぞましいくらいの鬼畜にも劣る行為である」

 と思っていた。

 だが、今考えてみると、

「なぜ、近親相姦がいけないのか?」

 という本当の理由が分かっていないような気がする。

 確かに昔から言われていることとして、

「近親相姦を犯してしまい、子供が生まれてくると、その子は指の数が足りなかったりという畸形の形で生まれてきたり、生まれつき身体が弱く、生まれながらに致命的な欠陥を持ったまま生まれてきたりするものだ」

 と訊かされていた。

 今でも、半分は、

「そうなのかも知れない」

 と思っていたが、果たしてどこまでが本当のことなのだろうか?

 近親相姦に対してのタブーのことを、

「インセスト・7タブー」

 という名称で呼んでいるらしいのだが、どうして、近親相姦が悪いことなのかという原因については、一致した見解が見られないという。

 そもそも、問題として、

「どこからどこまでが近親相姦なのか?」

 という定義も曖昧である。

 具体的には、

「何親等までは近親者に当たるのかということも曖昧で、その親等と言われる定義に、どこまで『血の濃さ』というものが反映されているかというのも、定かではないだろう」

 と言われてもいる。

 さらに、どこまでの行為がタブーとされるのかも問題で、もっとも、この話になると、不倫や浮気も似たような発想になりがちだが、

「性行為に及んだら近親相姦なのか? それとも性行為に及んで、そこで子供ができてしまうと、近親相姦としてのタブーなのか?」

 というところも曖昧である。

 不倫や浮気も、その人それぞれで、

「どこまでが許せるか?」

 という論議は結構いろいろ言われている。

「キスまでは大丈夫だ」

 などという発想もあれば、

「一緒に食事をした時点でアウトだ」

 という発想もあったりする。

 だから、そこまでが問題なのかを考えると、そこまで判断すればいいのか、一体それは誰が決めるのかということにまで言及するだろう。そうなると、堂々巡りは繰り返してはいないが、袋小路に嵌り込んだと言える状況になってくることを感じるのだった。

 そう考えると、

「一体誰がいつ、どこで近親相姦を『悪』と考えるようになったのだろうか?」

 これは太古の昔、聖書であっても、言われていることであり、多々ある宗教でも共通して近親相姦を戒めている。

 それを思うと、その底は深いようだ。

 だが、その深さに騙されてはいないだろうか。

 そもそも日本の歴史のみならず、世界史の鯉から脈々と繋がれる王家であったり、主君の家系は、近親相姦によるものが結構あるではないか。日本においても同じである。その時は、

「家畜にも劣る非道な行為」

 と言われなかったのだろうか?

 それを考えると、過去から脈々と受け継がれながら続く、タブーというものは、

「タブーと分かっていても、それを肯定することが世間としての正しい姿だとその時は思っていたのだとすれば、近親相姦というのも、

「ひょっとすれば、わざと行われてきたことだったのではないか?:

 とも考えられた。

 そうなると、逆に、近親相姦を悪としてみなす考え方も、何か作為的なものが感じられる。

 耽美主義というのも、それらの発想から生まれてきたのだとすれば、

「インセプト・タブーというものが、耽美主義を生んだ」

 という考え方は、至極当たり前のことであり、

「耽美主義という発想は、生まれるべくして生まれてきたものではないだろうか?」

 と考えられるのであった。

 小説などの芸術の世界でよく言われる「耽美主義」という考え方、そこには芸術を超える何かが潜んでいると考えていいのかも知れない。

 その火付け役の考え方として近親相姦を引き合いに出したが。それはあくまでもたとえとしてである。肯定しているわけではないということは、読者諸君に弁解しておこう。

 綾子が描いている小説は、計らずとも、ミステリーの中でも「耽美主義に」に近いものであった。

 自分の中では、

「デリヘル嬢をやっていると、どこか耽美的な気持ちになっていくんだわ」

 という思いがあった、

 どちらかというと、思い込みに近いのかも知れないが、

「自分の中で耽美を追求することは、デリヘルという仕事をしている自分を肯定するものだ」

 ということに繋がっていた。

 ただ、これは、自分の中でデリヘルを無意識に否定しているということを叙実に表しているかのようで、それは、まるで近親相姦を否定している思いに似ているのではないかと思うのだった。

 綾子の中でも、近親相姦に対しての違和感はあった。それは近親相姦がタブーだというそのタブーに対しての違和感ではなく、近親相姦を悪とするその風潮に対しての違和感であった。

 綾子の場合は、秋月とは少し違っている。

「私は近親相姦をタブー視することに違和感があるけど、近親相姦をいいことだとも思っていない。その矛盾が、まるで自分を擁護するかのような言い訳のつもりで、近親相姦を利用しているのではないか?」

 と考えていることであった。

 つまりは、

「近親相姦を悪だと考えるのは、世間の勝手な思い込みだ」

 と自分に言い聞かせることで、世間的に、あまりいい印象を与えていないデリヘルという職業を、自分自身で肯定できる理由が欲しいというのが、その原点ではないかと思うのだった。

 確かに、世の中には、

「必要悪」

 というものがある。

 性風俗もその一つであり、実際には風営法という法律で守られてもいるのだ。

 法律を準するように営業をしていれば、誰からも文句を言われる筋合いがないのである。それはどんな商売にも言えることで、他の商売だって、どんなにいい仕事と言われていても、その裏で詐欺などの犯罪が絡んでいれば、立派な悪である。

 それでも、他の商売は。商売に対しての謂れはなく、犯罪そのものを糾弾することになるのだが、それが性風俗が絡んでくると、

「やっぱり、性風俗が絡んでいるんだ」

 であったり、

「やっぱり性風俗というのは、諸悪の根源なんだ」

 などという言いたい放題の言い方をするやつもいたりするだろう。

 だが、そんな連中は決して一人で唱えることはしない。集団意識に訴えるか、今の世の中ネットが主流であるということで、匿名で何でも言えることから、一人であっても、決して自分だとはバレないことで、いくらでも誹謗中傷ができる世の中になってしまったのだ。

 それを考えると。

「何て、卑怯で卑劣な連中が世の中には溢れているんだ」

 と言いたくなっても無理もないだろう。

 皆が皆、そんな連中に見えてきたとしても無理もないことで、そんな世の中で、

「人とのかかわりが大切だ」

 などという甘っちょろいことを宣っているのを聞くと、ヘドが出るほどだ。

 そんな連中は、どこに潜んでいるか分からない。ネットの世界では、同じ人間が、

「一人二役」

 はおろか、一人何役もこなせるというもので、そうなってくると、

「どこに倫理や道徳なんかがあるというんだ」

 と思えて仕方がないだろう。

「人を信じるから裏切られる」

 という言葉を昔のテレビ番組で見たことがあった。

 二時間ドラマだったような気がしたが、犯人が言った言葉であり、犯人ではありながら、気の毒な人生だったということを言いたかったのだろうが、今ではそんな人間が、世の中に溢れていることだろう。

「石を投げれば、該当者に当たる」

 という言葉があるが、まさにそれくらいのことであるだろう。

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