第6話 闇夜の秘密

 ハイラート辺境伯、アルマン・ハイラートには目に入れても痛くないほど可愛がっている娘がいた。


 アルマンは、最近その娘が「眠り姫様」と家の者たちから呼ばれていると知った。

 彼の娘サラは他の子供よりも体力がないようで、毎日遊び疲れるとその場にまるで倒れたように眠ってしまうため、家臣の間でそう呼ばれるようになったという。


 その話を聞いたアルマンは、なにか胸騒ぎのようなものを感じていた。


 確かにもともと食が細い子ではあるし、他の子よりも体が弱い面があるかもしれない。しかし毎日倒れたように眠ってすまうなんてことがあるのだろうか。


 だが娘付きの侍女に話を聞いても、昼寝にしては長い間眠っている事以外、特に変わった様子はないと言う。

 むしろいつも泣いてばかりで心配していたが、最近はあまり泣かなくなり、よく食べるようにもなって安心していると逆に言われてしまった。


 それでもアルマンは納得できなかった。どこか悪い所があるのではないかという疑惑が拭えなかったのだ。


 そこで、一度娘を医者に診てもらおうと考えた。

 ハイラート領で名医と評判の男を屋敷に呼び、早速娘を診てもらったのだが、特に悪いところは見つからなかった。


 誰もがこれでやっとアルマンも安心した、そう思ったのではないだろうか。


 だが、娘の事を一番わかっているのは自分だと自負していた彼は違った。

 サラを連れて王都へ行き、一度王都の医者に診てもらおうと思ったのだ。


 やはり信頼できるのは、王都の医者だ。

 それに日々政務に追われていて、娘にあまり会えないのだからちょうど良い機会だ。

 娘を連れての王都への旅は、きっと素晴らしいものになるだろう。

 そう思うとアルマンは俄然意欲が湧いてきた。

 早速王都へ出向く時間を作らなければいけない。

 政務に支障? そんな事はどうでもいいのだ。


 そう――、アルマンは娘の為ならどんな事でもする、そういう男なのである。



◇◆



 誰にも知られないように魔法の鍛錬を始めてからしばらく経った頃、私、サラ・ハイラートはあることに悩んでいた。


 魔法の鍛錬でいつも精神力を使い果たしてしまう私は、毎回気を失っていた。

 私に付いている侍女たちは、私が遊び疲れて寝てしまったと思っているようで、無理に起こさないように気を使ってくれる。

 だから私は気を失ったあとにそのままぐっすり眠ってしまっているらしく、そのせいで夜中に目が覚めて眠れなくなっていた。


 もしかしたらこんな風に思った人もいるかも知れない。


 昼間眠ってしまうのが問題なら、昼でなく、夜寝る前に魔法の鍛錬をすればいいのではと。


 たしかにちょうど寝る時間なら、気を失ってもそのまま寝ればいいので何も問題はないだろう。

 ただそう単純な話ではないのだ。


 というのも、魔法を使うと魔素が反応してしまい、体が発光してしまうからだ。

 要はこの魔法を発動する際に起こる現象がネックなのだ。


 ぼんやりとした薄い光のため、昼間なら魔法を発動してもほとんどの人は気付かない。だが夜だとさすがに気付かれてしまう。

 鍛錬の時も同じ発光現象が起こるので、夜に魔法の鍛錬をすると色々問題が出てくるのだ。

 しかも夜は私が眠りにつくまで侍女がずっと側にいるので、そんな中で鍛錬をしたら私が魔法を使っていると一発でバレてしまう。


 もしもまだ誰からも魔法を教わっていない私が、魔法の鍛錬をしていると周りが知ったら……。


 きっと家中が大騒ぎになるだろう。

 過保護な両親のことだ、私を心配して魔法の鍛錬を禁止にしてしまうかもしれない。そうなると私は身を守る術を失ってしまうことになる。


 それだけは困る。だって私は殺されたくないのだ。


 そんなわけで今日も魔法の鍛錬で気を失った私は、昼間しっかり睡眠を取ることが出来たため、いつも通り夜中に目が覚めてしまうのだった。


 人間は一度目が覚めてしまうと、もう一度寝ようと思ってもなかなか眠れない。普通の二歳児ならグズってしまって大変だろう。

 だが私は、いつもベッドで横になってじっと時間が過ぎるのを待てる子供だった。

 これは私の持っている不思議な記憶が影響しているのかもしれない。


 とにかく夜中に目が覚めてしまったら朝が来るのをじっと待っている、それが私のお決まりだった。


 でも今日は違った。

 だって…、ある考えがひらめいてしまったから。


(――そうだ! この時間を使って何かしよう)


 どうせ眠れないのなら、その時間を有効利用すればいい。

 そう思った私は、この時間を使って運動でもしようと考えた。もともと魔法の鍛錬にある程度目処がついたら、体を鍛えようと思っていたのだ。


 私が体を鍛えたい理由は魔法の鍛錬を始めた理由と同じだった。


 それは記憶の中にある私の後悔――。


 私は武術の訓練を途中で投げ出したことを後悔していた。

 だから武術で自分の身を守れたら、もしかしたら死なずに済むかもしれないと考えたのだ。

 ただ武術の習得は、今の私の体力ではとても無理だろうとも感じていた。


 武術は辺境の地で王国の盾役を担ってきたハイラート家にとって、嗜みの一つであった。

 しかし記憶にある未来の私は体力がなく、体を動かすことも苦手だった。武術の訓練に全くついていけないほど運動神経も悪かった。


 もしかしたら運動神経に関してはどうにもならないのかもしれない。だがせめて武術訓練に耐えられる体力くらいはつけておきたかった。


 小さい頃から走り回って遊んでいればそれなりに体力もつくのだが、私は過保護な両親に危ないからと外でほとんど遊ばせてもらえていなかった。

 だから目が覚めてしまうこの時間は、むしろ私にはチャンスなのではないかと思ったのだ。


 幸いなことに私の寝室はものすごく広いわけではないが、二歳の子供が駆け回るのには十分な広さがある。

 私はみんなが寝静まった中、音を出来るだけ立てないよう気をつけながら、まるで屋敷に忍び込んだ間者のように一人部屋の中を走り回るのだった。

 音を立てないように気をつけたのは、こんな夜中に走り回ってる姿を誰かに見られたら、夜中も侍女が監視するようになってしまい、体力作りが出来なくなると思ったからだ。


 そしてこの夜中の運動は思わぬ効果を生むことになる。運動をして疲れた私は、ぐっすり眠ることが出来るようになったのだ。


 こうして私は昼間は魔法の鍛錬、夜は体力作りに毎日勤しむようになる。

 最初は運動不足のせいか、少し走り回っただけでもすぐに疲れてしまっていた。

 だが継続は力なりである。

 諦めずに毎日運動を続けた私。

 しばらくすると、長い間走り回っても息が切れないようになり、さらにしっかりとした足取りで走れるようにもなってきた。


 しかし毎日走っているだけでは、そのうち飽きてくる。

 そこで私は、記憶の中の私が途中で投げ出した武術の基礎訓練を思い出しながら、その真似事をするようになった。

 柔軟体操や呼吸法、瞬発力や持久力を付ける訓練――、私は持っている記憶を参考にしながら、とにかく見よう見まねで色々な事を試していった。


 夜中の訓練で特に難しかった事がある。

 それは周りの大人達にバレないよう、音を立てずに静かに訓練をやらないといけなかった事だった。

 それでも繰り返し訓練すれば、徐々に上手くなっていくものである。


(最近気配を消すのがうまくなった気がする……。まるで本物の間者みたいだわ)


 いつの間にか私は周囲に気付かれずに運動をする事を楽しむようになっていた。

 調子に乗った私は部屋の外にも出るようになっていき、気が付くと屋敷の中で間者ごっこをして遊ぶようになっていた。

 毎日ミッションを決め、夜中に家の者に気付かれないように任務を遂行するのだ。


 最初は誰もいない部屋、例えば執務室や書庫へ行って、探検をしたり物の位置をこっそり変えたりするくらいだった。


 けれども子供というものはどんどん調子に乗る。

 私は様々な知識があっても、まだまだ子供だったのだ。


 ――どうせなら、人がいる部屋に侵入してみたい。


 間者といえば、諜報活動だ。

 私はすっかり間者気取りだった。


 最初に忍び込んだのは私付きの侍女、レナの部屋だった。

 私の部屋と違って、物があまり置いていない狭い部屋は、おのずと人と人の距離が近くなるので気付かれやすい。

 私はいつも以上に音を立てないよう気を使う。そして彼女が寝ているベットの側まで行くと、そっと枕元に小さな石を置いた。


 任務完了――。


 最後までレナが起きなかった事に満足した私は、自分の部屋に戻ると気持ちよく眠りについた。


 しかしこれがいけなかった。

 私はすっかり自惚れてしまったのだ。 


 その後も色々な人をターゲットにして夜中部屋に忍び込む私は、間者ごっこの任務を成功させ続けていた。

 しかし執事のルーベンの部屋に忍び込んだ時に、とうとう見つかってしまう。


 いつも通り夜中にこっそり部屋に入ったつもりだったのだが、私はいつの間にか背後を取られていた。


「何者だ」


 ルーベンは短剣を構えていた。

 私は降参した。


「ごめんなさい――」

「こ、これはお嬢様! 申し訳ありません。しかしなぜここに?」


(どうしよう……)


 どんな言い訳をしたらいいのか、全く思いつかない。

 そこで私は、とりあえず泣くという最終兵器を繰り出すことにした。


「ひっくひっく――、あのね、迷っちゃったの……」


 もちろん大嘘である。

 それにこんな真夜中に、幼い子供が歩き回っている時点でかなり怪しい。

 しかしルーベンは、私の嘘を信じてくれたようだ。


「そうでしたか。しかし――」


 ルーベンは言いかけた言葉を途中で止める。


「―――このわたしが気配を全く感じ……いや、そんなことは……」

「ルーベン?」


 私はわざと不安そうな顔で見つめた。


「すみません、なんでもありません。さあ……お部屋までお連れします」


 自分の部屋まで連れてきてもらった私は、しばらく寝付けなかった。

 初めて相手に気付かれてしまった事が悔しくてたまらなかったのだ。

 そして、誓うのだった。


「打倒ルーベン! としてのプライドに掛けて、私はここに誓うわ」



 その後も必死に魔法と体力作り、武術の鍛錬を続けた私。

 あっという間に時間が過ぎていき、いつの間にか私は五歳になっていた。


 生まれた時から持っていた記憶の中の私は、過保護な両親のもとで箱入り娘として甘やかされて育てられていた。

 だが私はこの記憶に逆らう道を選んだ。

 毎日続けてきた鍛錬は、きっと私を強くしてくれたに違いない。


 近々ハイラート家に、家庭教師の先生がやって来ることになっている。

 魔法の授業では、私が続けてきた魔法の鍛錬がきっと役に立つだろう。


 だが……、私は知らなかった。


 魔法や身体能力の鍛錬は、五歳までが一番飛躍的に伸びると言うことを。


 五歳になったサラ・ハイラートは、本人の知らぬ間に、恐ろしいほどの魔力量と身体能力を持った少女へと成長していたのだった。

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