第5話 辺境の眠り姫
ローラン王国に一人の女の子が生まれた。
その女の子はある女神の気まぐれによって、生まれた時から不思議な記憶を持っていた。
しかもその気まぐれな女神はその子に神の祝福も与えていた。
そんな彼女ではあったが、いくら神の祝福や不思議な記憶を持っているとは言え、それ以外は普通の子と変わらなかった。
彼女はお腹が空いたら泣き、おむつが汚れたら泣き、普通の赤子と同じように欲求と感情に身を委ねて育っていった。
しかし自我が芽生える頃になると、彼女はこの不思議な記憶の影響を強く受けるようになる。記憶から得た知識と経験が、彼女を必要以上に大人びた子供にしていったのだ。
やがてこの記憶によって、彼女の人生は大きく変わっていく事になる。
◇◆
私の名前はサラ・ハイラート。
私はハイラート家の嫡女として生まれた。
数代前に隣国バーダル帝国と接する辺境地を封土されたハイラート家は、王国の盾として代々ローラン王国を守ってきた。だがバーダル帝国との関係が良好になってきたこともあり、ここ最近のハイラート領は、防衛都市というよりも両国を結ぶ貿易路の要所となっていた。
ハイラート領が中継貿易の拠点となったことで、ハイラート家には莫大な利益が入ってくるようになっていた。
そんなハイラート領の三代目領主である父アルマンと、地方の貴族の娘だった母ソフィアとの間に生まれた私は、裕福な家庭で溺愛されて育てられていた。
ちなみに私、サラ・ハイラートは、まだ二歳の小さな子どもだ。
他の二歳の子供と比べてもかなりしっかりしていると思う。
まあ……私以外の二歳児をまだ一度も見たことはないのだけど。
それでもしっかりしている子供に違いないと思う。
なぜそう思うのか――。それには理由がある。
私は生まれた時から、自分が生まれてから死ぬまでの記憶を持っていた。
この記憶のおかげですでに文字が読めるし、計算の仕方もわかっていた。さらに二歳の子供が知らないような知識もたくさん知っているのだ。
そんな私だから、他の子よりもしっかりしているのは当然だった。
なぜこんな記憶を持っているのかと聞かれても、残念ながらその理由はわからない。
でもおそらくこの記憶は、「神の祝福」と呼ばれるものではないかと思っている。
この世界には神の祝福と呼ばれる、特殊な能力を持った者が時々現れるからだ。
だから神の祝福によって、未来予知の能力を授かったのではないだろうか。
まあいずれにせよ私が本当に神の祝福を受けたのかどうかは六歳になればわかる話だ。
ローラン王国では、六歳になったら神殿で洗礼を受ける。その時に祝福を受けた者にだけ神から啓示が与えられるのだ。
私の持っている記憶が未来の記憶だと気がついたのは、最近のことだ。
今では未来の記憶だとちゃんと理解しているが、最初はこの記憶が何なのか私には分からなかった。おそらく赤子の発達していない脳では、状況を理解することが出来なかったのだろう。
私が自分の記憶と向き合うようになったきっかけは、文字の読み方を教わっていないにもかかわらず、書庫にあった本を簡単に読むことが出来たことだった。その本に書いてあった知識と、私の中にある記憶の情報が一致していたことも、未来の記憶だと信じる要因になった。
ただし問題もあった――。
それは私の持っている記憶が、自分が生まれてから死ぬまでの記憶だということだ。
記憶にある出来事と同じ事が、将来本当に起こってしまったら私は困るのだ。
なぜ困るのかというと、もしも記憶が事実だとしたら、私は近い将来死んでしまうから――。
それもバーダル帝国とセンチネル神聖国の手のものによって無残に殺されてしまうのだ。
記憶の中の私は十八歳の時に殺されてしまっていた。しかもすぐには死ねずに、激痛に苦しみながら徐々に命が失われていくのだ。
私にはその時の生々しい記憶が鮮明に残っていた。
正直言って二歳の子供には酷な記憶だった。最初は怖くて怖くて、思い出すたびに泣きじゃくっていた。
だが泣くことにすっかり疲れて切ってしまったある日、私の中に別の感情が芽生えてきた。
その感情とは――、未来を変えることはできないのだろうかという事だ。
それからの私は、毎日どうしたら殺されずに済むのかを考えるようになる。
そしてあんな風に死にたくないと思った私は、この未来予知に逆らうという決断をする。
18歳で死ぬ……、そんな運命から逃れようと考えたのだ。
まず最初に私が始めた事は、魔法の鍛錬だった。
魔法の勉強を始めようと思ったきっかけは、記憶の中の私が死の間際に残した感情だった。
その感情とは、「後悔」――。
記憶の中の私は、魔法や武術をちゃんと勉強してこなかったことをかなり悔やんでいた。
魔法や武術が苦手だったので、あまり身を入れて勉強していなかったのだ。
だから真面目に勉強していれば、殺されずに済んだかもしれないとひどく後悔をしていた。
一方で、二歳で魔法の鍛錬を始めるのは少し早すぎるのではないか、そう思ったりもした。
だが少しでも早く鍛錬を始めないと、魔法が苦手な私が18歳までに身を守る魔法を習得することなんて出来ないのではないか、という気持ちの方が勝った。
こうして未来を変えると決めた私は誰にも知られないように、一人で遊んでるふりをしながら魔法の鍛錬を始めたのだった。
なぜこっそり鍛錬をしているのかというと、二歳の子供が誰からも教わっていないのに魔法の鍛錬をしていたらおかしいと思ったからだ。
魔法の鍛錬方法については、私の持っている記憶が役に立った。
私は六歳の時から家庭教師に魔法を教わっていたのだ。
しかし本当に私の持っている記憶は便利だ。
この記憶のおかげで、魔法についてもすでにある程度の知識が私にはあった。
魔法とは一体何なのか――。
人は誰しも魔力の元になる魔素を溜め込める器を持っていて、この器は使えば使うほど扱える魔力量が増えていく。ちなみに魔素は目に見える物質ではないが、この世界の何処にでも存在しているような物質である。
魔力量とは、この魔素を取り込める器の大きさの事で、この器が大きければ大きいほど魔力量が多いということになる。
ただし、年令とともに魔力量の成長も鈍化していくので、魔法の鍛錬はできるだけ早い時期から始めた方がいいとされていた。
それから、魔法を行使するために使うのが精神力だ。
この精神力を使って魔素を魔力に変換して魔法として放出するのだ。
魔法の鍛錬とは、この魔素を魔力に変換せずに放出することで、自分の持っている器の成長を促すのだ。精神力を使って放出するので、魔法発動に必要な精神力を鍛える事も出来る。
きっと魔法が苦手な私が上級魔法のような大きな魔法を使えるようになるには、小さい頃から毎日鍛錬しないと絶対に無理だろうと思う。
生活魔法のような基礎魔法なら、小さな火を出したりするくらいなので、それほど大きな魔力は必要ない。だが攻撃や防御魔法のような上級魔法になると、それ相応の魔力量と精神力が必要になってくるのだ。
こうして死にたくない一心でニ歳で魔法の鍛錬を始めた私だったが、まだ幼いという事もあって加減がよくわからず、いつも精神力を使い果たしてしまっていた。
精神力が切れた状態は、フラフラして意識を失うほど辛い状況になる。最初に精神力切れを起こした時は、正直もう二度と鍛錬をしたくないと思ったほどだ。
ただ私は逃げなかった。どうしても無惨に殺される運命を変えたかったからだ。
それに記憶の中の私が、すぐに泣いて人に甘えてばかりだったのも気に食わなかった。
この反面教師のような自分を思い出す事は、私の気持ちを奮い立たせるのに非常に役に立った。
こうして私は毎回精神力を使い果たし、その度に気を失ってもあきらめる事なく鍛錬を続けた。
屋敷の使用人や私付きの侍女などは、毎日精神力切れで気を失った私を見ても、ただ遊んでいる最中に疲れて寝てしまったと思っていたようだ。
やがて私は周囲からこう呼ばれるようになる。
――ハイラートの眠り姫様と。
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