第7話 洗礼の儀
「そう言えば、もうすぐ洗礼の儀ね」
夕食の席で母ソフィアが私に話しかけてきた。
ローラン王国では、六歳になると神殿で洗礼を受けなければならない。儀式は月に一度行われており、同じ誕生月生まれの子が各地の神殿に集まるのだ。
この洗礼の儀だが、王国民にとって非常に重要な行事の一つとなっていた。
というのも、洗礼を受けて国教の信者になると、やっと王国の一員として扱われるようになるのだ。
貴族などは、洗礼の儀の後に誕生日パーティーと称して各地から有力者を招き、王国の一員となった子息子女のお披露目会をするのが習わしになっていた。
「ねえ、お母様――」
私は洗礼の儀に関して、どうしても知りたいことがあった。
それは、神の祝福についてだ。
この世界には、特殊な能力を持った人間が極稀に生まれてくる。それは神から恩恵を受けた者だけに与えらえる特別な能力だと言われていた。
生まれた時から、自分が生まれてから死ぬまでの記憶をすでに持っていた私。
この不思議な記憶は、神の祝福によるものではないかと私は思っていたのだ。
果たしてこの記憶が神の祝福なのかどうかは、近々私が参加する洗礼の儀式で分かる。
祝福を受けた者だけ、洗礼の儀で神様から啓示を受けるからだ。
そういう事もあって私は、洗礼をすでに済ませている母に聞きたいことが山ほどあった。
早速矢継ぎ早に質問する私――。
・神から祝福を受けたかは、どうやって分かるの?
・神から啓示があるって聞いたけど、それってどんな風なの?
・神の祝福を受けた人はその後どうなるの?
「まあ!サラがこんなに質問してくるなんて珍しいわ」
よっぽど珍しかったのか、母はすごく嬉しそうだ。
実は私は不思議な記憶の事もあって、幼い頃から色々な事をすでに知っていた。そのため、あまり母に質問をする事がなかったのだ。
そういえば侍女たちも、幼児期によくある「なぜ?どうして?期」が、私に無かったのを不思議がっていた。
母は、私の質問に丁寧に答えてくれた。
「神の祝福を受けたかどうかは、神の前で祈りを捧げた時に分かるの。でも神の祝福を受けた人間なんて数年、数十年に一度現れれば良い方だから、その辺について詳しく知ってる人ってあまりいないのよ」
そこまで言うと、母は一旦ひと呼吸おく。
そして、今度は自慢げに話を始めた。
「ところがね。実は私は知ってるの。――ちょうど私が洗礼を受けた年にいたからなのよ。祝福を受けた子が」
母の言葉を聞いた私は、思わず身を乗り出す。
そんな私の姿を見た母はさらに得意げに語りだした。
「洗礼を受けた子どもたちは、順番に神像の前で祈りを捧げるのよ。そしてある女の子が祈った時だけ神像の内の一体、ヘイムダル様の像が輝き出したの。彼女はヘイムダル様から祝福を授かったのね。その場にいた人たちは皆驚いていたわ」
神殿には最高神オーディーン様、雷神トール様をはじめ、様々な神像が何体も祀られているのだそうだ。
母は当時のことを思い出したのか、懐かしそうに微笑む。
「儀式の後にね、彼女にこっそり聞いてみたの。あの時に何があったのかって」
「なんて言ってたの?」
「その子が言うにはね、祈りを捧げていたら突然目の前に神様が現れて語りかけてきたんですって。その時にどんな祝福を頂いたのか教えてもらったそうなの。でも私やその場にいた人たちには神のお姿は見えなかったし、お声も聞こえなかったわ」
そこまで聞いて私は改めて確信をした。
おそらく私の持っているこの記憶は、神の祝福などではないのだろうと。
なぜなら洗礼の儀で神の声を聞いたという未来の記憶を、私は持っていなかったからだ。
(これで楽な気持ちで洗礼の儀を受けられるわ)
神の祝福ではないということは、王都に連れて行かれる心配も無くなったということになるからだ。
だたしちょっとだけ残念に思った事もあった。
なぜだかは知らないが、私は昔から神様という存在が気になってしようがなかったのだ。
だから神様と一度お話してみたいと思っていたからだ。
それに……、神様に伺えばこれから起こるであろう事から自分の身を守るためのアドバイスがもらえたかもしれない――。
「神の祝福って、きっとすごい力なんだろうね……」
私は聞こえるか聞こえないか位の小さな声でつぶやく。
それが聞こえたのかどうかはわからないが、母は私に小声でささやいてきた。
「これは内緒の話よ。実はね――、私が神の祝福でどんな力を授けてもらったのか知りたがっていたら、彼女私にこっそり教えてくれたの」
そう言うと、母はしばらく黙る。
私が話を聞きたがってる様子を見て、わざと焦らしているのだ。
「ねえお母様、早く教えて教えて!」
「うふふ、はいはい今から話すから落ち着いて。――彼女は千里眼っていう力を授かったって言ってたわ。遠くで起こっている事も、まるで目の前で起きているように見えるようになったそうよ」
――千里眼か。神の恩恵だけあってさすが凄い能力だ……。
たしか……、神ヘイムダル様は神々の監視者と呼ばれていたと思う。
どんな遠くの場所でも見通せる力を持っているのが、神の国の見張り番であるヘイムダル様。そのヘイムダル様が持っているお力の一つが、千里眼だったはずだ。
きっと祝福を受けた人間が得る力は、祝福してくださる神様の影響を受けた能力になるのだろう。
「祝福を受けた子は、今はどうしているの?」
「今も王都にいるんじゃないかしら。実は洗礼の儀以来、その子には一度も会っていないのよ。だからその後どうなったのかまでは知らないのよね。すぐに王都へ行ってしまったし、彼女の存在は機密扱いになってしまったから……。でもきっとすごく大事にされて幸せに暮らしていると思うわ」
おそらく王国は彼女を監視下に置くために、王都に連れて行ったのだろう。
それにしても六歳で親から引き離されるなんて――。周りは知らない大人の人ばかりで、きっと心細かったに違いない。
無理やり親から引き離されて王都で暮らすことになった子の人生が幸せだとは、私にはとても思えなかった。
それに――、もしかしたら幼い頃から貴重な戦力として戦争に駆り出されるかもしれないのだ。
この不思議な記憶が神の祝福じゃなくて、心の底から良かったと思った私であった。
ただし、どうしてこんな記憶を持って生まれてきたのか、疑問が残る形にはなったが。
でもその事については、またゆっくり考えればいい。
とにかく今は無事に洗礼の儀式を終えること、私はそれだけを考える事にした。
◇◆
儀式当日の朝、ハイラート家ではひと騒動が起きていた。
「だから嫌! 絶対に嫌!」
「お嬢様、お願いします! このままだと私はクビにされてしまいます」
この日のために父と母がわざわざ王都から服飾職人を呼び寄せて作った、ショッキングピンクのドレスは、目がチカチカするほどキラキラしたラメが散りばめられていて、それはもう趣味の悪い一着だった。
このド派手なドレスを無理やり着せられそうになっていた私は、それだけは阻止したいと必死に抵抗していた。
だってこんなドレスを着て洗礼の儀を受けたら悪目立ちしてしまい、一生の汚点になってしまうと思ったのだ。
「じゃあ聞くけど、レナはこのドレスを着たいって思う?」
まるで時が止まったかのように、無言のままで動かない侍女のレナ。
返答に困っているのか、目が泳いでしまっている。
「――ほらやっぱり。レナと同じように私だって着たくないの!」
「お嬢様!」
この戦いは、そろそろ神殿に出かけないと間に合わないという時間まで粘った私の勝利に終わる。
あの悪趣味なドレスを着なくて済んだ私は、ニコニコ顔で神殿へと向かう馬車に乗り込んだのだった。
「あのドレス気に入らなかったの?」
目の前に座っている父と母は、がっかりした顔をしていた。
その姿を見た私は、慌てて言い訳を始めた。
「ち、違うの。すごく素敵なドレスだったけど、今日はすごく天気が良くて青空が綺麗だから、きっとこの空色のドレスの方が合うって思ったの。だからあの綺麗なドレスは次の機会に着ようと思うの――」
(おそらく着る機会はないだろうけど……)
それを聞いた父と母の顔が綻ぶ。
「そうね。それじゃしょうがないわね」
「うむ。その空色のドレス、お前のアッシュブロンドの髪に合っているよ」
なんとか両親は納得してくれたようである。
私はほっと胸をなでおろす。
洗礼の儀式が行われる神殿は、街から少し離れた小高い丘の上にあった。
屋敷を出発した私達は、市街地を通って丘の上に建っている神殿を目指した。
私が住んでいる領都ケーネは、ハイラート領の初代領主ケネス・ハイラートの名を取って名付けられたハイラートの領都だ。中継貿易の拠点となっている事もあり、街中は大勢の人々で行き交っていた。
それにしてもまだ早い時間だっていうのに、すごい人だかりだ。
さすが王都より活気のある街だと言われるだけの事はある。
箱入り娘として育てられていて外出もままならない私は、馬車から見えるケーネの街並みに釘付けだった。
やがてケーネの市街地を抜けた馬車は、大きく広がった草原の中を走り抜けていく。
見渡す限りどこまでも続くなだらかな丘には、羊や牛が放牧されていた。
遠くに目をやると、高い山脈が連なっており、まだ頂上部分には雪が残っていた。
私は車窓から見える、この美しい景色にすっかり見惚れてしまっていた。
まさかハイラート領にこんな美しい場所があるなんて。
(私は記憶を持っているからハイラートの事なら何でも知っているつもりだったけど、実際はまだまだ知らない事が沢山あるみたいね。今までは鍛錬ばかりしていたけど、これからはハイラートについて勉強しようかしら……)
そんな事を考えている間に神殿に到着したのか、馬車がゆっくり停車した。
私は両親とともに馬車から降りると、神殿の中へと向かった。
周囲を見回すと、私と同じような年頃の少年少女が家族に連れられて神殿に入っていく。
ハイラート家の屋敷では私以外の子供を見かけたことがなかったため、子供が沢山いる光景はとても不思議だった。
建物に入ると、今度は儀式を受ける子供だけ別室へと集められる。洗礼は貴族と平民で区別はせず、皆平等に一緒で受けることになっていた。洗礼の儀では身分など関係ないのだ。
私は両親と別れると神官に連れられて別室へ向かった。
案内されたその部屋には、すでに大勢の子供が待機していた。
(せっかく同じ歳の子が沢山いるんだから、思い切って話しかけてみようかしら)
同じ歳の友達が出来るかどうかを考えているうちに緊張してきた私。つい歩き方もぎこちなくなってしまう。
とにかくどこかに座って一回落ち着こうと思い、とりあえず近くにあった椅子に座った。
しばらくすると、私のとなりに女の子が座ってきた。
そして私をジロジロと見つめた後、話しかけてくる。
「ねえ、あなた名前なんていうの?」
「サラと申します」
「何その喋り方。大人の人みたい」
そう言うと少女は、ケタケタと笑う。
「そんなに面白いですか?」
「うん。おもしろーい!」
「は、はあ……。私には何が面白いのかわかりませんが――」
「なにそれ。わかんなーい!」
訳がわからないのは、こっちの方だ。
そもそも一体何が面白いのだろう。
私には子供の気持ちが全く理解できなかった。
(駄目だ……おそらく私、きっと子供が苦手なんだわ)
そして先程まで仲良くなれるかな、なんて思っていたのは気の迷いだったと反省した。
その後は出来るだけ子供とは関わらないようにして、洗礼の儀が始まるまで大人しく待つサラであった。
いよいよ洗礼の儀が始まった。
神像が並べられた広間に子どもたちが整列し、家族はその後ろで様子を見守っている。
まずは神官が祈りをつぶやきながら、子どもたち一人ひとりの額に聖水を塗っていく。神官の祈りと聖水で体を清めた事で、子どもたちは入信が許可されるのだ。
こうして私も正式に国教の信者となった。
あとは神像に祈りを捧げれば、洗礼の儀式は無事終了となる。
子どもたちが順番に一人づつ神像の前に歩み出て、先程別室で教わった祈りの言葉をゆっくりと述べていく。
こうして、一人、また一人と子どもたちが祈りを捧げていき、とうとう私の番になった。
私は神像の前で目を閉じて跪き、祈りの言葉をゆっくりとつぶやいていく。
すると、今まで聞こえていたはずの周囲の雑音が突然消えた。
まるで人が誰もいなくなったみたいに、神殿の中は恐ろしいほど静まり返っていた。
一体なにが起こったんだろうと思った私は、閉じていた目をゆっくりと開けた。
私の目の前には、知らない女性が立っていた。
その美しい女性は私を見てニヤリと笑うと、こう言ったのだった。
「あら、久しぶり」
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