異世界の箱入りご令嬢と人生やり直し

第2話 邪な女神

「あの……、もう一度言っていただいてもいいですか？」

　神様の仰っていることがいまいち理解できなかった私はもう一度聞き返した。

「だ・か・ら、あなたがどっちかを選ぶのよ。次の道に進むのか、それとももう一度人生をやり直すのかを」

「その……よくわからないのですが、私は人生をやり直せるのですか？」

「そうよ。あたしは強い恨みや未練を持ったままの魂にチャンスをあげているの。――てか、もう一度人生をやり直せるなんて、あなた相当ラッキーなのよ」

　女神様の言葉に私は戸惑う。

　そもそも恨みや未練があるといわれても、何も心当たりがないのだ。

　もう一度思い当たることがないのか、思い返そうと思ったその時、私はある事に気が付く。

　自分の名前どころか、自分自身について何も覚えていない事に――。

(もしかして私……、記憶がない！？)

　そういえば――。

　たしか……、女神様は自分の名前を思い出せないでいた私にこう仰ったはずだ。

　自分の名前を覚えていないのは、当たり前の事だと。

　もしかしたら、女神様なら私が何も覚えてない事について何かご存知なのかも知れない。

「恨みや未練について、私には心当たりが全くないのです。それどころか、私は自分自身について、何も覚えていないようなのです」

「そりゃそうよ。今のあなたは魂だけの存在だもの。稀に生前の記憶を持ったままの魂もいるけど、ほとんどの魂はあなたみたいに生前の記憶なんて持ってないわ」

　魂は記憶を持てない……？

「今は記憶喪失状態と同じだって考えればいいのよ。それならあなたにも理解できるでしょ」

　記憶喪失というのは、わかりやすい例えだった。

　何も覚えていない理由が分かり、私はなんだか気持ちが楽になった気がした。

　心に余裕が出来て冷静になってきたせいなのか、女神様が人生をやり直す他にもう一つ選択肢があると仰っていたことをふと思い出す。

「もう一つの選択肢は、次の道へ進む――、でしたよね？　これについて教えていただけますか」

「次の道とは新しい選択をすること。過去を捨てて新たに旅立つの」

「それは……、つまり生まれ変わって新しい人生を送るっていう意味ですか？」

「たしかに転生して新しい人生を送れる魂もいるわね」

（今女神様は、魂"も"っておっしゃったわ。――つまりそれって……）

　私は女神様がなぜそういう言い方をされたのか、その理由をなんとなく察した。

「つまり……、そうじゃない魂もいるってことですよね」

「わかっているじゃない。意外と頭が良いのね。進む道は無数にあるわ。でもどの道に進むか、それを自分で選ぶ事は出来ないわ」

　おそらく次の道とは一つではなく無数にあるが、どの道に進むのかは運次第ということなのだろう。

「次の道には、新たな人生を送る他にどんな道があるのですか？」

「そうねぇ……。例えばこの世界の礎になったり、エネルギーの集合体と融合したりする魂もいるわね。ただそうなっちゃうと、自我もなくただ無として存在していくだけになるわね」

「そうですか……」

　もしも「次の道」と「人生のやり直し」のどちらを選んでもかまわないと言われたら、人生のやり直すという方を選ぶ魂が多いのではないだろうか。次の道の方を選んでしまうと、意識を持たずに無のまま存在していく事になる可能性だってあるのだから。

　しかし――、私には強い恨みや未練の記憶がないのに、わざわざもう一度同じ人生をやり直す意味が見い出せなかった。

　前世の記憶が残っていない状態で、恨みだらけの辛い人生をもう一度経験する事にあまり乗り気がしなかったのだ。

　むしろそんな人生をまた繰り返すくらいなら、新しい道に進んだ方がいいのではないだろうか。いつしかそう思うようになっていた。

「決めました！」

「あら！　もっとゆっくり考えて決めていいのよ」

　意外とすんなり結論を出した私に、女神様は少々驚いたようだ。

「私は次の道に進みます。それでお願い出来ますか？」

　それを聞いた女神様の表情が変わる。

「えっ……、それで良いの？」

「はい。そもそも今の私は生前の恨みや未練って言われても、何も覚えていないわけですし」

「でも新たな人生を得られるのか分からないのよ。この世界の礎として、自我もなくただ無として存在していく事になる場合もあるのよ。そうなったとしても構わないの？」

「ええ。それでも構わないです」

　私はすでに覚悟を決めていた。

「……そう、わかったわ」

　決意が固い様子をみた女神様は、それ以上何も言わなかった。

「それではあなたの希望通りに、もう一度人生をやり直す道を開くわ」

「はい、お世話になりまし……、って、それ違いま――」

「では行きなさい」

　目の前の景色がグニャっと曲がるのと同時に、私の意識は深い底へと落ちていった。

◇◆

「見てたわよ」

　女神ヘルの目の前に、同じように美しい容姿をした新たな女神が突然現れた。

　凛とした顔立ちのヘルとは違い、穏やかで柔らかい表情をしている女神だ。

「あら！　フレイヤ。覗いてたの？」

「あの子は、次の道に進む事を選んだっていうのにどうして……」

「だってぇ」

「だってじゃないわよ。それに――、人生をやり直すには試練を受けないといけないって、あの子に教えなかったのはなぜ？」

「あっ、いっけなーい。忘れちゃった……てへっ」

　ヘルは上目遣いで女神フレイヤを見る。

「そんな顔をしたって駄目よ」

「フレイヤのいじわる……」

　そう言いながら、ヘルがふてくされた顔をする。

「ほとんどの魂が試練に失敗して、人生をやり直せていない事をヘルだってよく知ってるでしょ」

「だってぇ、だってぇ、だってぇ」

　ヘルの悪びれもしない様子に、ついフレイヤも感情的になる。

「試練がある事を事前に知っていれば、あの子にも心構えが出来たのに。ただでさえ魂っていうのは感情に支配されやすいのよ。もしもあの子が恨みに負けて、憎しみを増大させてしまったらどうするのよ」

「そうなったら試練は失敗ね。人生をやり直すために向かった世界で亡霊となって、永遠に彷徨い続けるの。――あらやだ大変！　どうしましょう」

「わざとらしいわね。あなたがそう仕向けたくせに」

「でもぉでもぉ……、あの子には特別サービスで、生前の記憶が戻るようにしてあるのよ。だから逆にあの子には感謝して欲しいくらいだわ」

　ヘルの言葉にフレイヤの顔色が変わる。

「それじゃあ試練に失敗した時は、あの子は生前の記憶を持ったまま亡霊に……」

「そうなるわね。失敗したら生前の記憶を持ったまま亡霊として永遠に彷徨うの。あの子はそれに耐えられるのかしら？　うふふっ」

　フレイヤは大きくため息をついた。

「どうしてこんなに性格が歪んでしまったのかしら？」

「そりゃこんな所に閉じ込められていたら歪みもするわよ。アイツのせいであたしは永遠に此処から出られないんだもの。フレイヤはいいわよね、どこにでも自由に出入りが出来て」

「オーディーン様に閉じ込められたのは、ヘルがいけないんでしょ。それに！　だからって救いを求めてきた魂に八つ当たりするのは間違ってい――」

「あたし、ああいう甘ったれた目をした子が嫌いなのよ」

　女神ヘルはそう言うと、ニヤリと笑った。

　それを聞いたフレイヤが再び大きなため息をつきながらつぶやいた。

「あの子……無事試練を乗り越えられるかしら」