第3話 試練①

 深い闇の中、私はあてもなく、ただ底に向かって落ち続けていた。

 最初は恐ろしくて悲鳴を上げてしまったが、いつまでも落ち続けていれば、さすがに慣れてきたようだ。


(それにしても、一体どこまで落ちていくのかしら)


 慣れとは恐ろしいもので、私は落下し続けているにも関わらず、今では女神様にお会いした顛末を思い返す余裕すら出てきていた。


 時の狭間でお会いした女神ヘル様は、本当にお美しい方だった。

 そしてヘル様はおっちょこちょいな方だった。

 "次の道"へ進む事を希望したのに、しまうのだから。私はヘル様のそんな所が神様らしくなくてとても可愛らしく思えた。


(ただ――、また人生をやり直す事になるとは思わなかったわ……)


 私は大きなため息をついた。


 恨みを持つほどの辛い人生を、もう一度やり直さないといけないなんて。

 私にとっては想定外の展開になってしまった。


(これが幸せな人生をやり直すのなら、また話は別なのだけど――)


 それに気になる事もあった。


 女神様は「魂は過去の記憶を持っていない」と仰っていた。

 とすれば――人生をやり直した場合、今ある記憶は消えてしまうのでないだろうか。


 もしもこれまでの記憶を何も持たずに、人生をやり直すのだとしたら――。


 きっと私は何の対策も出来ないまま、前回とそっくり同じ人生を歩んでしまうに違いない。だって人生をやり直しているという自覚が無いのだから。

 せめて人生をやり直す機会を頂いた事だけでも覚えていられたら――。


(いやだわ私ったら。さっきから悲観的な事ばかり考えている――)


 人生をやり直す事は、すでに決まった事なのだ。

 ヘル様だって、間違えたわけではないのだ。

 それに……、もしかしたら、今度は幸せな人生を送れるかも知れないじゃない。


(そうよ。今度は幸せになれるかもしれないもの! うん、きっと大丈夫―――)


 私はネガティブな気持ちになりかけていた自分自身を奮い立たせる。

 悪いことばかり考えていたら、本当にそうなってしまいそうだからだ。

 とにかく少しでもポジティブに考えてみよう。



 その後もしばらく深い底に向かって落ち続けていたのだが、突然底の方から小さな光が見えてきた。

 きっとあの光が終点に違いない。


「やっと底が見えてきたわ」


 小さかった光が徐々に大きくなってきた。

 すでに死んでいるので、おそらく底に落ちてもたぶん死ぬことはないだろう。


 だぶん――、だけど。


 あれ? 落ちても痛みとかはないですよね?

 もしもすごく痛かったらどうしよう……。

 そう考えた途端に不安になってくる。そしてだんだん怖くなってきた。

 だが、いまさら落ちるのを止めることは出来ない。


(どうしよう、もうぶつかる。ちょ、ちょっと待って! いやああああ――)


 私は思わずギュッと目を瞑った。



◇◆



 私は、しばらく目を閉じたまま固まっていた。

 どうやら心配していた痛みはないようだ。

 てっきり底にぶつかったと思ったのだが、衝撃も一切感じなかった。


 ゆっくりと目を開け、周囲を見回してみる。


 私は、とある部屋の中にいた。


 部屋の中央には大きなベッドが置いてあり、ベッドの側には体格の良い男性が一人、少し離れた場所で数人の女性が頭を垂れて待機していた。

 華やかな天蓋付きのベッドと可憐な調度品の数々は、決して派手過ぎず、かといって地味でもなく、この部屋の主のセンス良さが滲み出ていた。


 ここはおそらく貴族の奥方様の寝室ではないだろうか。

 私は何となくそう感じた。


 しかしなぜ、私はこんな場所にいるのだろうか。


 今分かっていること――。

 それは女神様に導かれて、人生をやり直す道へ向かったということだけだった。


 とにかく今の私には情報が無さ過ぎだった。


 もっと何かしら情報を集めないといけないと思い、今度はベッドへと目をやる。

 ベッドには、一人の女性が横になって休んでいた。

 よく見ると、彼女は腕の中に布で包まれた小さな赤子を抱いていた。

 きっと赤子を産んだばかりなのだろう。


 私は部屋を、彼らが何者なのかをじっくり観察する事にした。


(えっ! 見下ろす?)


 今まで気付かなかったが、私は高い場所から部屋を見下ろしていた。


 慌てて自分の足がちゃんと地面についているのかを確認したが、どこにも自分の足が見当たらない。それどころか、手や体も自分の目では確認する事が出来なかった。

 まるで体だけ別の場所にあって、意識だけこの部屋に飛ばされたみたいな感覚だ。


 もしかして、今の私は意識だけの存在なのかしら……。

 何が起こっているのか、私は未だによくわかっていなかった。


 そもそもここにいる彼らは一体何者なのだろう?

 何かしら手がかりが欲しいと思った私は、まずは赤子を抱いている女性から観察してみることにした。


 彼女はせっかく子を授かったというのに、少し寂しそうな顔をしていた。


女子めのこでした、申し訳ありません」

「何を言う。かわいい子ではないか」

「ですが……」


 ベッドの上で申し訳なさそうにしている女性と、そんな彼女を微笑みながら見つめる男性。後ろめたそうにする女性を気遣うよう、男性がやさしく語りかける。


「また授かればよい。それにいざとなれば、婿を娶ってこの子に継がせればよいのだ」


 それを聞いた女性は小さくうなずく。


「おおそうだ、実はもう名前を決めてある――」


 元気のない女性を励まそうとしているのか、わざと明るい声で男性が話しているのがわかる。


「この子の名はサラだ。良い名だろう」


 サラという名前を聞いた途端、私の中に電流が流れたような感覚が走る。


(この子は、生前の私だ…。)


 今の私には生前の記憶はない。

 この赤子が私だという根拠なんてものもない。


 だが私は確信していた。

 あの子はお前だ、過去のお前なのだ、と何者かがどこからか私に語りかけてくるのだ。

 とにかく口ではうまく説明出来ないが、この赤子が自分だと、私にはそれが分かるとしか言えない。


 しかしなぜ女神様は、私に生前の頃の私の姿を見せるのだろうか。


 残念ながら私にはその理由がわからなかった。

 とにかく今は彼らを注意深く観察して、少しでも多くの手がかりを見つけよう。

 それくらいしか、今の私に出来る事はなかった。



「良い名をもらいましたね」


 女性がスヤスヤと寝ているサラの手を握りながら語りかけた。

 そんな二人の姿を見て、男性はとても嬉しそうだ。


「この子はお前に似て、きっと美人になるだろうな」

「まあ……、ふふふっ」


 この子が生前の過去の私ということは、この二人は私の父と母に違いない。

 彼らは生まれたばかりの赤子を、優しい顔で見つめている。


 本当に絵に描いたような幸せそうな親子の姿がそこにはあった。


(でもおかしいわ。私が想像していた人生とは、ちょっと違う)


 というのも私は女神様から強い恨みや未練を持ったまま死んだと聞かされていたからだ。

 だからもっと悲惨な環境の中で私は生まれ育ったとばかり思っていた。

 しかし生まれたばかりの私は、明らかに恵まれた環境にいた。


 なぜ私は強い恨みを持つ事になったのだろう。

 もしかしたらこれからとんでもない不幸がやってくるのだろうか。


 そんな事を考えていたその時、突然目の前の光景がグニャッと曲がった。


 驚いている私を尻目に、目の前の景色は寝室から新たな場面に瞬時に切り替わるのだった。



◇◆



(ここは……?)


 気がつくと、私は綺麗に手入れされた庭園にいた。

 こぢんまりとしているが、噴水を中心に綺麗な左右対称のデザインとなっており、とても丁寧に作られている。


 しばらくすると、遠くの方から泣き声が聞こえてきた。

 私は声のする方へと自然と導かれていく。


「サラお嬢様、どうか泣き止んでくださいませ」


 侍女らしき女性が必死になだめようとしているが、目の前にいる4~5歳位の少女は一向に泣き止んでくれない。

 侍女はどうしていいのかわからず、泣いている少女の周りでオロオロしている。


「だって……だって……」


 いったい何があったのかと思い、少女をよく観察してみる。

 少女の顔を見た途端、私の心がざわつく。

 何か見覚えがあるような、懐かしいような感覚になったのだ。


 どうしてこんな気持になるのだろうと思っていると、私の背後から大きな声が聞こえてきた。


「いったいどうしたのです。なぜサラが泣いているのです?」


 見覚えある女性が慌ててやって来る。

 彼女は、先ほど見た光景の中で赤子だった私を抱いていた女性、つまり母だった。


(ということは――、やはりこの女の子は私だ……)


 先ほどから泣いている小さな女の子は過去の自分の姿なのだ。

 理由はわからないのだが、私にはそれ分かった。


(どうやらまた生前の私の姿を見せられているのね……)


 何の意図があって、この光景を見せられているのかまではわからないが、これにはきっと何かしら意味があるのだろう。

 だって私は、女神様の導きで今ここにいるのだから。


 とにかくここで起きている出来事は一つも見逃さないようにしないと。

 私はさらに注意深く様子を伺うことにした。


「ソ、ソフィア様。あっ、あの……、そ、その……」


 ものすごい勢いで奥方様がやって来たので、その勢いに圧された侍女はすっかり動揺してしまい、うまく喋れないでいた。


「もう一度聞きます。なぜサラは泣いているのですか?」

「そ、それが……。先程どこかで膝を擦りむいてしまわれたみたいで」


 ソフィアの顔色が変わる。


「まあ大変。怪我の具合は?」

「血も出ていませんし、転んで出来た擦り傷ではないので――。おそらく木の枝で膝を擦ってしまわれたのかと。ただ先程から泣き止んでくださらないので、どうしたらよいのか……」

「まあ! 血が出てないからって問題ないとは限らないでしょ」

「もっ、申し訳ございません」


 ソフィアに睨まれた侍女は、土下座をして必死に謝罪をしている。


「サラ、そんなに痛むのですか?」

「あのね、すごく怖かったの」

「痛くはないのね?」

「うん。でもお外は怖いの」


 どうやらこの少女……、いや、前世の私は軽い擦り傷が出来ただけで怖くなり、泣いていただけようだ。


「もう大丈夫よ」


 ソフィアにギュッと抱きしめられて、サラはやっと泣き止んだ。

 そしてサラを抱きしめたまま、先程から土下座をし続けている侍女にソフィアは宣言した。


「外は危険です。今後サラを庭に出すことを禁止します」


 ずっと様子を見ていた私は、なんとも言えない気持ちになっていた。

 まさか自分がこんなにも泣き虫で怖がりな子だったとは思わなかったからだ。

 もしも誰かと一緒にこの光景を見ていたら、さぞ恥ずかしくて気まずい思いをしたに違いない。


(なんていうのか……私はずいぶん甘やかされて育ったのね)


 こんなに過保護に育てられて、ちゃんとした大人になれるのだろうか。

 そんな心配をしていたその時だった。


 また目の前の景色がグニャっと曲がったのだった。



◇◆



 次の瞬間に私がいたのは、先ほどまでいた庭ではなく部屋の中だった。

 目の前には大きな丸テーブルがあり、そこに座って勉強をしている年の頃は10歳くらいの少女と教師らしい女性。部屋の中にベッドやソファーなどは見当たらないので、さしずめここは勉強専用の部屋なのだろう。


 ――コンコン。


 ドアをノックする音がし、部屋に見覚えのある女性が入ってきた。

 私はハッとなって、すぐに少女の顔をよく見てみる。


(間違いないわ、この子はサラ――、いいえ、私だわ)


「これは奥様――」


 教師の女性が、母ソフィアに向かって一礼する。


「ベリンダ先生、ごきげんよう。調子はどうです?」

「相変わらず、サラお嬢様は魔法に苦戦されています」


 話を聞いていたサラの顔が曇る。

 サラの悲しそうな姿を見て、母親としてなんとかしてやろうと思ったのだろう。

 彼女はベリンダにこう切り出した。


「なんとかならないかしら? 特別な方法とかありませんの」

「魔法や武術は、少しでも早い時期に始めた方が良いとは言われていますが……」


 しばらく考え込んでいたベリンダだが、やがて言い辛そうにこう切り出した。


「やはり根気よく、鍛錬を毎日続けるしかないと思います。魔法というものはすぐに取得出来る方もいれば、取得に時間がかかる方もいるので……」


 母とベリンダ先生の会話を聞いていたサラは、さらに不安そうな顔になる。

 今にも泣き出しそうだ。


「お母様、私はお嫁にいけるのでしょうか?」

「まあサラったら、突然どうしたの?」

「だって……魔法が出来ないと嫁の貰い手がないって、侍女たちが話していたのを聞いたの」


 不安そうなサラに、ベリンダが微笑みながら答える。


「心配されなくても大丈夫ですよ」

「ほんと?」

「ええ。たしかに平民の間では、『生活魔法が出来ない女は嫁に行けない』なんて言葉がよく出てきます。家事と魔法は切っても切れない関係ですから。でも、貴族であるサラ様が家事をされる事など、まずないでしょうから」


 それを聞いたサラは安心したのか笑顔が戻る。


「じゃあ私、お嫁に行ける?」

「もちろんです」


 そして、ベリンダはサラをゆっくりと見つめた後、こう続けた。


「でも魔法の鍛錬は続けましょうか」


 そんなベリンダの言葉に納得できなかったサラは反論する。


「なぜ? だって私が魔法を使う事はないのでしょ? ならこれ以上魔法を勉強しなくてもいいじゃない」

「魔法を使うのは、家事の時だけではありません。鍛錬でより大きな魔力を扱えるようになれば、身を守る事も出来るようになるのです」

「でも……私魔法が苦手だし……、どうせやっても無駄だもん」

「基本だけでもマスターしておけば、将来必ず何かの役に立つはずです。とにかくがんば――」


「サラが嫌なら無理して覚える必要はないのよ」


ベリンダ先生の言葉を遮るようにソフィアが口を挟む。


「しかし、ソフィア様――」

「それにサラは伯爵家の娘。皆に守ってもらえる立場ですから」


 下級貴族の出でしかないベリンダはこれ以上何も言えず、引き下がるしかなかった。


「サラ、あなたはどうしたいの?」


 ソフィアは娘のサラに問いかける。


「私は――、もう魔法の勉強したくないの」


 それを聞いたソフィアは、ベリンダの方へ顔を向き直すと、こう言った。


「ではベリンダ先生。今後、魔法の授業はやらなくて結構です」



 やり取りを見ていた私は大きなため息をついた。

 私は絵に描いたような箱入り娘――いや、甘やかされて育った、ただのわがままお嬢様だった。


 このままだと、間違いなく何も出来ない駄目人間になるだろう―――。


 前世の自分の将来を案じていたその時、また私の目の前の景色がグニャッと曲がるのだった。

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