第23話 エリザの過去
エリザは小さな窓から月を見上げている。
今宵は満月だった。窓に映る月は大きく、枠からはみ出そうだ。表面の模様まで視認できた。
「私達は月のような存在になるんだよ、エリザ」
昔、両親から言われた言葉を思い出す。
エリザの両親もまたジュベルの精霊だった。両親共に精霊の力を持ち、ストレイン家歴代一の呼び声が高かった。ラントの民を守護し、救済し、未来に導く。それがストレイン家に与えられた使命だった。
両親は品行方正な人物だったと聞いている。聞いているというのは、エリザに両親の記憶が殆ど無いからだ。父親はエリザが3歳の頃に死んだ。戦闘における殉職だった。
その頃ジュベルには古代生物・ジガーズが出現していた。ジガーズは歴史上最大の巨大怪鳥で、全長4.6キロ・6つの羽根を持ち、尻尾は3つに分かれている。白い胴体は太陽の陽を浴びると空と同化する。その間は物理攻撃が一切効かない。ジガーズの羽根は一枚一枚が鋭利な凶器で、無差別にその羽根を撒き散らす。また、3本の尻尾からレーザーを放ち、大地を焼き尽くす。大気を操り、半径5キロの範囲を真空にした。
突如現れた古の生物の討伐を、エリザの両親は任された。ストレイン家はジュベル有数の魔力を誇っていたが、一族はラントに残っていた。ストレイン家が「ジュベルの慈悲」と言い伝えられる所以だった。
エリザの父・アーノルドは、ジガーズが発する魔光弾を受けて死亡。アーノルドは負傷した戦士の盾となって死んだ。だが己の死と引き換えに、最強精霊魔法・アマンダンテを食らわせジガーズを討伐する。以降ストレイン家はジュベルの英雄と崇められ、国から特別な待遇を受けている。
父・アーノルドの死から2年後、今度は母・リレアが病死する。エリザが5歳の頃で、原因はジガーズ討伐の際に受けた毒だった。当時の魔法や医療ではジガーズの毒を治癒出来なかった。母親を亡くした幼いエリザは、三日三晩泣き続けた。
「おい、食事だ。食べろ」
鉄格子の隙間から質素な食事が差し出される。パンが1つとジャムとバターが少量小皿に乗っているだけ。牢獄の食事より貧しかった。
兵士は石の階段を上り、仰々しい扉から出て行った。辺りを照らすのは、2つの松明と月明かりだけだった。
エリザは施された食事に手を付ける。大人ではまるで足りない量だが、エリザは恵みに感謝して手を付ける。ラントには毎日の食事に困っている人が居る。与えられるだけ自分は恵まれている。
エリザは昔の記憶が乏しかったが、最近のことはよく覚えている。特に、ある日1人の青年が現れてからの日々は。
凡庸だった青年が現れると同時に、世界が活性化した。人々が急増し、経済の規模が飛躍的に膨らんだ。世界が巨大な濁流に巻き込まれたようだった。
エリザは、ヤマトが世界の救世主なのではないかと考え始める。あるいは、世界を滅ぼす破壊の使徒か――。
神は人間にそれぞれ役割を与える。彼にはどんな役割を持たせ、この世界に送り込んだのか。
エリザは「希望」と「警戒」両方の理由から、青年と行動を共にし始めた。エリザの推量は正しく、世界は膨張を続けた。
一方で、青年の登場はエリザ自身にも変化をもたらした。
青年はとても初心で世間知らずだった。出会った当初は、小さな弟を持った感覚でしかなかった。世話を焼いたけれど、彼の成長を見るのは微笑ましかった。幼少期から目上の者ばかりと接していたエリザにとって、青年との出会いは新鮮だった。
いつ頃からか、青年の好意を感じるようになった。その始まりがいつだったかは覚えていない。が、ぼんやりしていたその感情は、月日を重ねる毎に明確になった。
彼は自分に愛情を抱いている。そう認識すると、妙に恥ずかしかった。
迷ったが、エリザは彼の好意を「受け止めることにした」。もし彼が救世主ならばそれで良い。反対に破壊の使徒であれば、傍で抑制出来る。
彼との関係が始まり、月日が流れた。今も彼の本質は見えていない。
表面上、彼は誠実で純粋だ。だからといって救世主だという確証は無い。その逆も然りだ。
エリザは知っていた。成長の果てには滅亡しか無い。それは歴史が証明している。
世界を出来るだけ存続させるには、成長の速度を極力緩やかにする。それしか方法は無い。さもなければいずれこの世界は崩壊を始め、全てを神々に還すことになる。世界を滅ぼすのは、いつだって人間の「業」に他ならない。
エリザは意図を持ってヤマトを傍に置いた。だが、彼女の思考と心は乖離し続けている。本来の意図とは別に、純粋に彼を求めている自分が生まれてしまっていた。
現に今こうして捕らわれている時間も、真っ先に思い出すのは彼のことだった。
会いたいと、思ってしまっている。
エリザは自分が使命よりも己の感情を優先させてしまわないかを恐れていた。
「正しい選択とは」
月は、何も答えてはくれなかった。
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